01 奄美剣星 著 扇子&鏡 『県立高校のホビット先生』
挿絵/Ⓒ奄美剣星 「ホビット先生」
「鏡よ鏡、世界で一番の美少女は誰?」
――君、大丈夫かね? そのために、私のような鏡が、この世にあるのだよ。……もっとも、美の基準というとのは、主観的なものだけどね。
まはりくまはら……。
バキッ。
女の子が呪文を唱えると、部屋に掛けられた鏡が割れた。
さらに……。
ポン。
二階部屋から音がした。妹は科学実験マニアで授業だけでなく家で実験をしていた。恐らくはアルコールランプにかけたフラスコの口から発したガスが軽く爆発したのだろう。シャーロック・ホームズも実験マニア設定だが、彼女のそれも趣味の域から外れ度を越したものになっている。
渓谷の町にある無人駅。そこから商店街を抜けて坂道を登って、河岸段丘上位段丘テラスにある県立女子高校にゆくには十五分ばかりかかる。――その日、同居している妹は、補習で遅くなるからドワーフ親爺に修理してもらった自転車を貸して欲しい、といったので許すことにした。
〈砂漠の蜃気楼工房〉の自転車はどんなに急で長い上り坂でも、高性能変速ギアで、汗すらもかかず、スイスイ登ってゆける。
妹は、ポニーテールにジャケットとスカートのブレーザー、パンプス。教科書はリュックに背負っていた。
「おはようございます、先生」
「おはよう」
英語教師が人差し指で眼鏡をずりあげた。ちょっと女性的な感じのするプロポーション。長めの髪に黒縁眼鏡。シルクハットに燕尾服、革靴、マントを羽織って、ステッキを手にしている。
よくあることで、若い英語教師は女子生徒たちにモテた。
その人がいる角度から、自転車のサドルに腰かけた妹の短い丈のスカートのなかをのぞくことは可能だ。……というか、見上げれば教え子たち全員のフレアスカートのなかをのぞきこむことができるほどに小柄だった。しかしそうしないのは、彼が教育者であり紳士だからである。
「――ホビット先生って、若くてキュートでジェントルマン、キュンキュンしちゃう!」
女子生徒とその母親たちは英語教師ホビット氏をそう評した。
*
その夜、無人駅前。
「ああっ、嫌っ、やめてぇーっ!」
円陣を組んだ不良グループ五人が人気のないのを見計らって、自転車に乗った妹を取り囲んでいた。みるからに乱暴しようとしている様子。
そこへだ。
「やめたまえ、君たち!」
帰りの列車に乗ろうと駅に立ち寄ったホビット氏一人が五人の暴漢に立ち向かった。
「なにいってんだ、チビ、俺一人でも蹂躙できちまうぜ」
不良の一人がボールのごとく、ホビット氏に蹴りをいれようとした。
刹那、氏はスティックの先端を男のスネに突き刺した。
男は膝を抱えてうずくまった。
「野郎……」
残る不良グループ四人が、本気モードになって、英語教師に躍りかかったのだが、彼は闘牛士のごとく巧みにすり抜け、その際、スティックを相手に突き刺すことを忘れない。――スティックは護身用で仕掛けがあった。……取っ手に引き金があり、指をかけると仕掛けられた注射針が飛びだす。氏は相手の神経にそれをぶちこんで局部麻酔をかけた状態にして立ち上がれなくしてしまうという、高度な格闘術を会得していたのだ。
小柄なホビット氏は、それで全員をのしてしまったわけだ。
自転車に乗ったまま固まった状態の妹は涙目だった。
「先生、わたし、わたし……」
「もう大丈夫、心配ない」
しかしそれは罠だった。不良グループ召喚された使い魔たちだ。外灯に照らされた妹の顔がニヤリと笑みを浮かべたときにそれらはフッと透けて消えていった。
妹は、英語教師ホビット氏の太腿に麻酔剤で満たした注射器の針を打った。そのうえで、僕から借りた自転車の籠に収めてさらい、二階の自室ベッドに引きずり込んで、既成事実をつくろうとしたのだ。
妹は、マリー・アントワネット王妃が、いつも手にしているような羽飾りの扇子を開いて笑った。
――ふふふ。これで私は公務員夫人よ。安定収入と年金で老後が保障されるというものだわ。
妹が県立女子高校にあがったころ、僕たちの両親は、旅行中に飛行機墜落事故で亡くなった。妹を無事に卒業させなければならない。
「部屋のドアを勝手に開けないでよ」
シングルベッドで半身を起こした下着姿の妹の横には眠らされたホビット氏がいた。
「お兄ちゃんは情けないぞ!」
「ねえ、警告しておくけど、私を誰だと思っているの?」
「魔法少女……」
この世界では成長過程にある女性を少女と呼ぶ。ならば魔女になる手前にいるのは魔法少女というべきものなのだろう。ここで僕は告白しなくてはならない。妹は魔法少女なのだ。妹が何者と契約し、何者と戦っているのか、何を守ろうとしているのか、僕には判らない。だが、これだけははっきりしている。被保護者たる妹が、人倫からそれることを阻止することは、――家長の責務だ!
「いでよ、わが下僕!」
妹が閉じた扇子を僕へ向けた。その先っぽからコウモリの姿をした使い魔が飛びだし、躍りかかってきた。
「家長をなめるんじゃねえ!」
妹よ、だてに十五年、おまえと暮らしてきたわけじゃない。手の内はすべて知っている。……僕は台所から持ってきた越後三条産真鍮製鍋の蓋を盾にした。すると、そこにコウモリは勢いよくぶつかって、下に置いた鍋本体に落ちた。そこで、すかさず蓋を閉じた。あとは火に駆ければ使い魔は異界に戻る。
さて。
家長にして保護者である僕には妹の不始末に対する責任が課せられている。
*
翌日。
姉の嫁ぎ先である〈炎竜洋菓子店〉で一日五品限定であるところの、〈女王の涙〉という特注タルトを買って英語教師のお宅を訪ね詫びた。彼は寛大な人でそう怒っている様子でもない。
「お兄様は、僕がスイーツに目がないことを御存じなのですね。しかし貴男が、あの〈炎竜洋菓子店〉のお身内とは知りませんでした。いま珈琲をいれましょう。焙煎屋でまろやかな味わいのベトナム珈琲を手に入れたんですよ」
いい奴だ。(少し背は低いが)知的で二枚目、そのうえ腕っぷしがよくて、紳士ときている。たしかに妹が惚れるのも無理もない。――僕は妹が正しいサクセスで恋を成就させることを切に願った。
また、しばらく経った。
*
バキッ。
二階で、新調した魔法の鏡の割れる音がした。妹はちっとも成長していない。
ノート20180820
シリーズ
『ドワーフ親爺の自転車屋』 ncode.syosetu.com/n4889dc/1/
『エルフ先生の診療所』 ncode.syosetu.com/n4889dc/5/
『炎竜洋菓子店』 ncode.syosetu.com/n4889dc/10/
『県立高校のホビット先生』 ncode.syosetu.com/n4814ex/7/