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自作小説倶楽部 第17冊/2018年下半期(第97-102集)  作者: 自作小説倶楽部
第102集(2018年12月)/「イルミネーション」&「ソリ」
23/27

01 紅之蘭 著  イルミネーション 『ハンニバル戦争・終章3 完結』

【あらすじ】

 紀元前三世紀末、地中海世界の覇権をかけた第二次ポエニ戦争の別名はハンニバル戦争という。古代ローマは、カルタゴのハンニバルと呼ばれる男によって一時は滅亡の淵に立たされた。ローマを救ったのは、ハンニバルの戦術を究明したスキピオだ。そのスキピオをしてハンニバル戦争は終わった。

挿絵(By みてみん)

挿絵/Ⓒ 奄美剣星 「最後の口づけ」



 紀元前二〇〇年、バルカン半島のマケドニア王国が、突如、ギリシャ制圧せんと南下を開始した。アテネなどのギリシャ諸都市国家は、窮状をローマ元老院に訴えた。ローマにとって、ギリシャは、対ハンニバル戦争(第二次ポエニ戦争)の盟友で、見捨てることはできなかった。ローマ元老院は、執政官フラミニヌスを派遣した。このときになると、ローマの基本戦術は、スキピオの戦術を踏襲したものとなっていた。そのためマケドニア軍は、旧態然とした密集歩兵隊形では歯が立たず、大軍を擁していたのにも関わらず、たちまち壊滅させられてしまった。

 こうして、ローマのフラミニヌスは、マケドニア王フィリッポス五世を交渉のテーブルにつけ、講和条約を締結させることに成功した。紀元前一九七年のことだ。


 他方、紀元前二〇〇二年の講和で、ローマの下位同盟国となったカルタゴだ。その二年後にハンニバルは将軍職を辞し、二〇〇六年には元首スフェスとして、行政改革を行った。改革には、大土地所有者・大商人といった貴族特権階層からより多く税を搾り取るという荒療治があった。当然、カルタゴ貴族たちは、ハンニバルに反感を持った。

 そこでカルタゴ貴族たちは妙案を思いついた。

 ちょうど、マケドニア王国がローマの軍門に屈したところだ。そのマケドニア王国とハンニバルが陰で結託していたと密告すればよいではないか。

 折しも、カルタゴ貴族たちがローマ人質として差し出していた子弟が帰国していた。人質とはいっても、ホームステイの留学生のようなものだ。カルタゴ貴族の子弟たちが滞在していたローマ人家庭では、わが子のように遇されていた。もちろんただの家庭ではない。上流階級の家庭だ。カルタゴ貴族は息子たちに密書を持たせて、これら家庭を訪ねさせ、ハンニバル謀反と告げた。その話はたちまちローマ元老院に上申された。

 奴隷身分に落とし、ローマ市中を引き回しにされたハンニバルを見てみたい!

 嬉々としたローマはハンニバル捕縛のための兵を艦船に乗せた。

 事態を知ったハンニバルは、カルタゴの町の内港に係留していた、今や十隻しかない軍船・三櫂層船の一隻に乗り込んだ。船に乗り込んだハンニバル一門の中には、老いた妻イミリケの姿もあった。

「あなた、今度は私を連れて行って下さるのですね?」

「カルタゴノヴァには、ハシュルドゥルパルやマゴーネといった弟たちがいた。ここにはもうおまえを守ってくれる者はいない。ローマ人にとられたりしたら大変だ」

 ハンニバルが隻眼をつぶって笑ってみせた。

 ハンニバルはシリア王国へ亡命した。

 同王国は、あのアレクサンダロス帝国瓦解後、将軍たちによって分割されて成立したマケドニア、エジプト、シリアの三国の一つだ。シリアは、小アジア・メソポタミア・ペルシャを版図としていたため、三国の中では抜きんでて大きかった。――ローマに対抗しうるのは、シリアしかない。

 紀元前一九五年、ハンニバルはシリアへ亡命した。

 ハンニバルの晩年は受難だ。

 対ローマ戦争を決めたシリア王国はハンニバルを使いこなせなかった。シリア軍六万が小アジアからヨーロッパ側に上陸してきたとき、待ち受けていたローマ軍に壊滅させられてしまったのだ。その後、ハンニバル率いるシリア艦隊百隻が、ローマ艦隊百隻と戦い敗走した。すると、制海権を奪われ、すっかり戦意を喪失したシリア王アンティオコスは、さっさと講和してしまった。この講和条件の中にハンニバルの引き渡しがあった。もちろん、そうなる前に、ハンニバルは再び一門とともに亡命した。

 シリア王との交渉に当たったのはスキピオだ。スキピオもアンティオコスも、無理にハンニバルの後は追わなかった。

 シリア王との講和をまとめて、スキピオがローマに凱旋すると、待っていたのは弾劾裁判だった。ローマ元老院反スキピオ派領袖カトーは、配下の護民官をつかって、若いときからの数々の武勲のために見て見ぬふりになっていたスキピオのいくつもの軍令違反を列挙したのだ。スキピオは、裁判中だったのだが腹を立てて退席した。世論が騒然となりかけたので、元老院は罪を問うのを止めたが、スキピオは二度とローマの市門をくぐることはなく、家領の別荘で晩年を過ごした。

 一方のハンニバルが、たどり着いたのは、黒海沿岸に面した小アジアのビティニア王国だ。彼が着いてそう間を置かずローマ軍が攻めてきた。すると国王は、ローマ軍がやってくると城門を開き、国土を献ずる代わりに、国民の生命を保障させた。しかし、功を焦ったローマの百人隊長が、ハンニバルの邸宅を囲んだ。いよいよ覚悟したハンニバルは、邸宅に火を放ち妻イミリケとともに自決した。スキピオの没年と同じ紀元前一八三年のことだった。

「あなた、今度も逃がしませんよ」

 ハンニバルが隻眼をつぶった。


 カルタゴの滅亡はハンニバルを追放したことが原因だ。ハンニバルのいないカルタゴなぞ、肥えただけの羊と同じだ。カルタゴと同じローマの下位同盟国であるヌミディアは、頻繁にカルタゴとの国境を荒らしまくった。

 ヌミディアのマシニッサ王は、ハンニバル戦争以来のスキピオの盟友で、その後の戦闘にもたびたび騎兵や戦象を出していた。当然、ローマ元老院のおぼえめでたい。カルタゴは、事態をローマに訴えたが、取り合ってくれない。仕方なく傭兵六万を雇ってヌミディアに反撃した。――それが講和条約にある、防衛といえどもローマに断りなく戦争をしてはならないという文言に抵触した。

 条約違反が原因でカルタゴは、ローマに滅ぼされてしまった。

 絶望した市民の大半は泣きわめきながらピルサの丘に集まり、焚いた炎の中に身を投じた。あるいは、思いとどまって生き残った者はローマの奴隷となった。

 第三次ポエニ戦争と呼ばれる虐殺のあとカルタゴの町は、原形をとどめないほど徹底的に破壊された。紀元前一四六年のことだ。

 さて、闇の中で炎上するカルタゴの町を見ていたローマ将兵の中に、一人涙する男がいた。エミリアヌス家からスキピオ家に養子に迎えられ、執政官として指揮を執っていたこの人スキピオ・エミリアヌスは、「ああ、かつての地中海の覇者カルタゴが燃えている。――およそ国家というものは未来永劫続くものではないのだな。われらがローマもいつかはあのように……」と、横に立った従軍歴史家に心中を語った。

(完結)

【登場人物】


《カルタゴ》

ハンニバル……名門バルカ家当主。新カルタゴ総督・天才将軍。次弟はハシュルドゥルパル、末弟はマゴーネ。妻はスペイン諸部族の一つの王女イミリケ。

シレヌス……ギリシャ人副官。軍師。ハンニバルの元家庭教師。


《ローマ》

スキピオ(大スキピオ)……プブリウス・コルネリウス・スキピオ・アフリカヌス・マイヨル。大スキピオと呼ばれ、ハンニバルの宿敵に成長するローマの将軍。父親コルネリウス(父スキピオ)、兄アシアティクス(兄スキピオ)、叔父グネウス。これらの人々はいずれもローマの将軍としてカルタゴと戦った。妻は執政官ヴァロスの娘アエミリア・ヴァロス(パウッラ)。


《ヌミディア》

マシニッサ……西ヌミディアの王。スキピオの盟友。

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