01 奄美剣星 著 狩り 『ローレライ交差点』
挿図/Ⓒ奄美剣星「ローレライ交差点」
雪が降って積もったためか渋滞になった。数珠つなぎというか、のろのろ運転というか、ともかく動きが悪い。週末の個人タクシーを始めた僕だが、その日は商売あがったりになることを覚悟した。
やがて。
後方から、上り坂でしかも雪道になっているところを、自転車が追い抜いてゆく。よくみれば、僕が妹に貸しているというか、取り上げられている、砂漠の蜃気楼工房社製で職人のドワーフ親爺が手を加えた自転車だ。
「へへーん、ゆっくり走るといいわ、お兄ちゃん」
「生意気な妹め」
しかし妹は二百メートルばかり先をいったところで自転車を停めた。――渋滞の原因を理解したらしい。
メイ・ビー、管見を通していうなれば、これは明らかな人選ミス。――というより、県警のボーナス査定のためか、はたまた事故を誘発するためか、それとも大量に違反切符を切りまくる陰謀か嫌がらせなのではないかとしか考えられない。大体にして、信号機が壊れたからといって、あのような交通課婦警を誘導員として交差点に立たせたのはゆゆしき問題ではあるまいか……。ばん・きゅっ・ぼーん。そうとしか形容しがたいグラマラスなボディーをジャケットとネクタイを結んだ水色のシャツの下に隠している彼女の名前はローレライ。――イマい、ナウイ、いかしているぜ。……大地震と豪雨による土砂崩れで埋まった人外集落〝狼沢〟の子孫は〝あっち〟の住人であると識別することができる。
やわらかな春の日に、突拍子もなく、花散らしの横風が交差点を通り抜ける。長い髪が春風にたなびいたとき、ローレライは鍔つきの制帽が吹っ飛ばされないように両手で押さえつけた。そのとき。……挑発的なまでに膝丈上の制服スカートが風に煽られ、黒ストッキングに透けてフリルのついた白の下着がみえた。ハイカラさんが通る、ご機嫌だぜ。
「死刑!」
長髪のローレライがウィンクした。
時間が停まる。されども交差点をゆく自動車やらバイクやらトラックやらは停まれない。誘導員ローレライの〝そこ〟に目がいったまま、スローモーションのように、車は十字路を抜けてゆく。――あれまあ。待たされていた横列にGOサインがでたんだ。君たち縦列はSTOPなんだよ。しかしドライバーどもは手信号なんざみちゃいない。おいおい、どこをみているんだね。……わおっ、モーレツー! 胸騒ぎ億千万の総玉砕、ドライバー鼻血ブーッ。
などと、ラップのリズムで死語を連発させている場合じゃない。
Kポップ風の卑猥なダンスをする婦警の正体、おおよその察しはついている。欧州風にいうなら吸血鬼、日本風にいうなら雪女――実際のところ吸血鬼は血を吸ったりはしない。ターゲットの捕食とは、精気を奪うこと、すなわちエナジー・ドレインだ。
いままでのろのろした流れが、交差点のところで急に加速され、スリップした自動車が次から次へと横滑りしてぶつかりだした。……いまのところは、けが人だけですんでいるようだが、そのうち死人がでそうな勢いだ。
僕が運転席のドアを開けて、雪の歩道にでてゆこうとした刹那、横から反対車線を無理に抜こうとしたトラックが、愛車を横の崖に弾き飛ばした。車はダイビングして、ちょろちょろ冷水が流れる雪の小川に落っこちた。
「畜生!」
妹が、駆けてきて、崖下にいる僕をのぞきこんだ。
「大丈夫、お兄ちゃん?」
「メイビー、大丈夫……」
かなり古いテレビ・ドラマ再放送で主人公がしている口癖を真似ている僕。
「さすがは私のお兄ちゃん、一見ひ弱でもタフだわ」
「ジーク義兄さんのところに寄って、ドーナッツを買ってきた。こいつも無事みたいだ」
「縁竜洋菓子店ブランド十五番〝幸せのドーナッツ〟!」
「あれけっこう好きなんだ。――よっしゃあ、いっちょう揉んでやるわ!」
婦警に化けているヴァンパイアに宣戦布告しているのが、遠くからでも身振りで伝わってきた。妹が何者と契約して、何と戦っているのかは知らないが、使い魔を操る〝魔法少女〟であることだけは知っている。しかし、素人目にでも、力量差は明らかだ。
「いかん。まだおまえが相手できる段階じゃない」
僕は崖をよじ登った。かすり傷を負っているが、五分もすれば治癒することだろう。
交差点では自動車が玉突き状態になっていて、髪の長い婦警が妹のうなじに噛みついているのがみえる。サーベルタイガーのような牙を剥きだしにして、血をすすっているようにもみえるのだがそうではない。ああやって逃げられないようにして、エナジー・ドレインをかけ、精気を吸い上げているのだ。
ヴァンパンイアは憶測百人強のドライバーを血祭りに上げつもりだったのだろう、交差点に蜘蛛の巣を張ったわけだが、人狼1/4にして〝魔法少女〟な妹の生命エナジーは、彼らよりもはるかに、魅力的な御馳走のはずだ。
学校では超問題児ではあるけれど、わが家では末っ子で甘え上手、最も愛されている。そんな妹を見殺しにしたら、〝炎竜洋菓子店〟オーナーである元勇者に嫁いだ、暴走族元クィーンの姉貴が、昔の手下を率いて殴り込んでくるだろう。否、それ以前に、ヒステリーになると鹿にトドメを刺すかのごとく僕の首筋にかぶりつく人狼純度百パーセントな〝ヨメ〟が僕に飛びかかってくるに違いない。
ぐちゃぐちゃに凹んだ玉突き自動車列、妹が乗り捨てた自転車を横目に、積雪の歩道を前かがみになりながら、地吹雪をかいくぐって、ローレライのところへたどり着いた。――器用な奴だ。妹のうなじを噛みながら、ハミングをしている。
僕は半目をあけてぐったりしている、制服・トレンチコートを羽織った妹が宙吊りになっていた。
「お兄ちゃん……」
僕は婦警の格好をしたローレライの頭に手をやろうとする。
むこうは牙を引き抜いて跳びかかってくる。
いまだ。義兄がつくった、〝幸せのドーナッツ〟を食らいやがれ!
魔女たるローレライは、あーん、と恋人に甘えるかのごとく、パクッと僕が宙にさしだした焼き菓子を一かじりついた。
し・あ・わ・せ……。
それはそうだろう。炎竜が吐き出した熱気は、人やら人狼の何倍もの生体エナジーだ。それで焼き上げられた焼き菓子は超生体エナジーの結晶ともいえる。死に際の人間が食べたら、〝ポパイ漫画〟みたいにホウレンソウ缶詰を食べた主人公水兵のごとく起死回生となって、ヴァンパイアである雪女も飢えが満たされたというわけだ。
「――ローレライよ、僕は狼沢集落一門の家長だ。ドーナッツは気に入ったか。ときどき買ってきてやる。だからこれからは、いい子にしていろ!」
「判りました、いい子になります」
バスが突っ込んだ信号機のなかに、半ば透けた身体の雪女が消えていった。……もちろん、僕の分は元より、妹や〝ヨメ〟の分が入ったドーナッツの箱ごとお持ち帰りして。
その日の午後、年齢不詳な謎の女医・エルフ先生がいる診療所には、救急車がピストン輸送で怪我人を運び込んだので、スタッフはテンヤワンヤだった。――〝魔法少女〟である妹も手当を受けたが、回復は早く、僕はドワーフ親爺が手にかけた自転車の荷台に横座りさせて、夕方には愛妻の待つ家に戻った。
「お帰り」
〝ヨメ〟が玄関を開けてくれた。異様な気配を察してか、長い髪に隠した頭部にある犬みたいな耳をピクピクと盛んに動かしている。
僕は〝ヨメ〟に事情を説明しながら、妹をお姫様抱っこして、二階部屋まで運んでやった。
了
シリーズ(挿絵付き)
『ドワーフ親爺の自転車屋』 ncode.syosetu.com/n4889dc/1/
『エルフ先生の診療所』 ncode.syosetu.com/n4889dc/5/
『炎竜洋菓子店』 ncode.syosetu.com/n4889dc/10/
『県立高校のホビット先生』 ncode.syosetu.com/n4814ex/7/
『送り狼伝説』 ncode.syosetu.com/n4814ex/12/




