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蒼の脳  作者: Arpad
3/8

第二章 Humanity Club

「今日もか!」

 天霧は、机に走った衝撃で目を醒ました。その目の前には椅子ごと机に寄り掛かっている稲葉の姿があった。

「やっと、終わったか・・・」

 大あくびをかく天霧に、稲葉は嘆息した。

「あんた、いつもいつも寝てばかりで、夜寝てないんじゃないの?」

「・・・稲葉よ、この世で一番退屈なのは、すでに知っていることを60分間も語り聞かされることなんだ」

「はぁ・・・?」

「それはもはや、子守唄の如く・・・」

「・・・それじゃ、勉強に付いていけなくなるんじゃない?」

「ん? 入学してからスタイルは変わっていないが、少なくともお前さんにテストで負けたことは無いぞ?」

「っ・・・それを言う!? くっ、密かに傷付いていたのに・・・」

「まあ、ほら・・・勉強の場は学校だけじゃあ無いってことさ」

 天霧が帰り支度をしようと立ち上がる。だがその態勢で、眉間にしわを寄せ、止まってしまった。

「節々が痛い・・・」

「なに老人のような事を言ってるのよ。ずっと寝てたからじゃないの?」

「それもあるが・・・それだけでも無いのだ、よっ!!」

 盛大に背伸びをした天霧であったが、骨が不気味な音を発てたと思った次の瞬間、立ち眩みを起こし、再び自席に倒れ込んでしまった。

「あぁ・・・目が回る」

「アホだぁ・・・・・・あのさ、天霧。この後は用事とかあるの?」

「・・・ん?」

「昨日の、何かおごってくれるって約束。果たしてもらおうかと、これから」

「ああ・・・そうだったな。だが、申し訳ない。今日は白兎を送った後、知り合いの見舞いに行く予定なんだ」

「それは大変・・・てか、琴音を送るのは決定なんだ」

「まあ、習慣みたいなものだからな。食事の前に手を洗うのと同じだ」

「へぇ・・・仕方ない、クラブに行くしかないか」

「ん? 珍しいな、仲良しクラブなのだろう、あそこは?」

「ん~ちょっとね、大したことは無い・・・はずなんだけど」

「・・・サボりたいのか?」

「・・・ちょっと」

「人ならば、そんな時期もあるだろう。明日で良ければ、俺が『無理矢理』サボらせよう」

「あはは・・・ありがとう、期待はしないけど」

「身も蓋も無いな」

「ほら、琴音も来たよ。帰った、帰った!」

「ああ、また明日」

 稲葉の様子に引っ掛かりを覚えながらも、鞄を手に、白兎の元へ向かった。


      

「睛ちゃんの様子がおかしい?」

 白兎との下校中、天霧は帰り際の出来事を切り出していた。

「ああ・・・確証は無いが、あのクラブで何かあったんだろうな」

「人類クラブ、ですね・・・入会条件は生身の人間であること」

「人間同士、仲良くしよう。そんな目的で放課後に集まっている。ARに馴染めないやつらか行き着く場所だ」

「そういえば、人間の生徒のほとんどが入会しているのでしたね?」

「ああ、稲葉や岡本も入学時から入っていたな。入っていないのは、ARどころか、人間とのコミュニケーションが嫌な奴か、ARとも違和感無く付き合える奴、そして俺だな」

「忠邦君は、何故入らないのですか?」

「ん? お前と一緒に居るのに、あんなクラブに入っている暇は無いだろう?」

 常識を聞かれたような、釈然としない表情で、天霧は首を傾げた。それを見た白兎は、手を口元に寄せ、微笑んだ。

「ふふっ、普通の女の子なら、ときめくところなのでしょうね」

「そんなに変な事言ったか?」

「いえ、気にしないでください。そういえば、岡本君の様子もいつもと違いましたね、今日はとても静かでした」

「岡本も・・・なら、あいつもサボらせるか」

「サボらせる?」

「ああ、明日、稲葉に何か御馳走することにした。どうもクラブに行くのが億劫な様だったからな、サボらせるんだ」

「なるほど、それは善い事ですね」

「岡本も誘ってやるとして・・・白兎、お前はどうする?」

「そうですね・・・今回は遠慮させて頂きます」

「ん? 断るのは珍しいな、少し驚いた」

「忠邦君の度肝を抜けるとは光栄ですね」

「いや、そこまでじゃないが」

「学校で切り出せないなら、きっと秘密の話なんです。秘密を漏らすなら、なるべく少なくしたいのが、定石ではないでしょうか?」

「確かに・・・だが、ARの方が人は思いの丈を吐き出し易いんじゃなかったか?」

「それは、ARに自律思考機能が搭載される前の事ですよ。人間と見分けがつかなくなってからは、働く心理も人間相手と同じになったそうですよ」

「そうなのか・・・」

「忠邦君は分け隔てが無いですからね・・・であるからして、私は泣く泣く遠慮するのです」

「泣く泣くねぇ・・・分かった、家までは送るからな?」

「はい、睛ちゃんのこと、お願いしますね」

「お願いされてもなぁ・・・」

 ここで、一旦会話が途切れたが、白兎の自宅が見えてきた頃、彼女は再び口を開いた。

「そういえば・・・最近、夢を見たんです」

「そうか・・・」

 数歩進んだ後、天霧は彼女の発言の異常さに気が付いた。

「夢、夢って、Dreamの夢か?」

「Dream以外の夢って、何でしょうか?」

「・・・すまん、知らない。夢を見たというのは、本当か? 羊の夢か?」

「いいえ、何というか・・・そう、見たこと無い忠邦君がいました」

「なんだ、笑い転げていたのか?」

「確かに見たこと無いのですが・・・夢の忠邦君は幼かったんです」

「幼かった・・・俺が?」

「はい・・・見たことが無いはずなので、メモリーの故障では無いはずなのですが・・・」

「そうか・・・また今度、紺野さんにメンテナンスしてもらおうか」

「はい・・・さてと、今日は忠邦君の笑い転げる夢を見てみたいな」

「止めなさい」

 軽く、頭部にチョップを入れると、白兎は笑いながら、自宅の玄関まで駆けていった。

「そこは私の采配ではありませんので、楽しみです!」

 失礼しますと言い残し、白兎は手を振りながら帰宅した。手を振り返しながら、天霧は小さく笑ってしまった。

「高性能な思考エンジンを組み込んだが、ここまで豊かに成長するとはな・・・」

 白兎の姿が見えなくなると、天霧は振っていた手を握り締め、作った拳をじっと見据えた。



 白兎を送り届けた天霧は一路、第零区へと向かっていた。目的地は、第零区にある保安局病院。目的はもちろん、負傷した田上の見舞いである。

 クルミ割りとの接触の後、田上は第二区の区立病院へ搬送されたが、負傷の割りには命に別状は無かったので、翌日、つまり本日の午前中には待遇のより良い保安局病院へと移動することになっていた。天霧は自宅でスーツに着替えた後、バスに乗り、第一区と零区の境たる関所へ到達していた。

 第零区は、コンノ関係者のみが立ち入ることを赦された場所である。民主的な観点から批判の声もあるが、ここは民主主義的な共同体ではない。そもそも民主主義なんてものは、とうの昔に滅んでいる。

 コンノの技術者パスを提示して関所を抜け、5分ほど歩くと保安局病院に行き着く。受付に保安局員のパスを提示することで、田上さんの病室番号を尋ねた。

「お疲れ様です、田上さんの病室は512号室です」

「どうも」

 看護師に礼を述べ、エレベーターで5階へ向かう。512号室、天霧はドアの取っ手に手を掛けた。

「・・・失礼します」

 中へ入ると、そこは個室。ベッドには田上の姿があった。

「おう、カラスじゃあねぇか」

「元気そうで何よりです、田上さん」

「それな、元気なんだよ。しばらく入院なんて面倒で堪らん」

「脚は動脈をやられ、折れた肋も肺に刺さりかかっていたんですよ? 早くクルミ割りを追いたいのは解りますが・・・」

「いや・・・クルミ割りは、暫くは姿を見せないだろうな」

「それは、例の勘でしょうか?」

「まあな。あれだけ巧妙にしっぽを掴ませなかった奴のことだ、手の内を読まれたとなれば、しばらく様子見だろうよ」

「確かに・・・とはいえ、監視は付けるのでしょう?」

「ああ、一応エマージェンシーサインには気を付けるように報告しといたが、どこまで追えるか不安だな」

「早めに、クルミ割りがARを誘い出す手法を特定する必要がありますね。エマージェンシーということは、目の前で犯罪行為が行われていたのでしょう」

「ああ、そのへんも特定を急ぐように報告しておいた。そしたら、俺は療養してろとよ」

「ええ、療養してください」

「カラスよ、お前もか!」

「クルミ割りがしばらく動かないのであれば、その間に回復してください」

「はぁ・・・わかってるさ。進展があったら、また連絡する」

「ありがとうございます。私はこれで、お暇させて頂きます」

「ああ、わざわざ済まんな」

「では・・・そうだ、言い忘れていましたが、ここに来たのは保安局の者ということになっているので、そのようにお願いします」

「分かったよ。お前さんも大変だな」

「全くです」

 一礼し、天霧は病室を後にした。病室出るとちょうど、花束を持った若い男と目が合った。天霧は会釈をし、歩き去ろうとした。だが、すれ違ったその時、男が口を開いた。

「あんたが、特務隊のエージェントか?」

「・・・はい?」

 その発言に警戒する天霧。しかし、そんな素振りはおくびも出さず、ただいきなり、見知らぬ人物に変なことを言われた人のリアクションを取った。

「さすが、演技が上手いようだな?」

「何を言っているのですか? 私は保安局の・・・」

「・・・私は田上の上司、雲野だ」

 田上の上司ということは、保安局員のフリは無駄であると天霧は悟った。

「・・・いったい何の御用で?」

「あまり、田上の独断を助長しないで頂きたい。我々は組織だ、人の勝手な行いが、皆の足並みを崩してしまう」

「・・・しかし、田上さんは器物破損犯と侮りながらも、誰も捕捉出来なかったクルミ割りにたどり着いた」

「それで死んでは意味がない。今回は、あんたが居たから田上は助かった、その点は礼を言う。だが、次からはあんたが居るから田上が無茶をしかねないということを承知して欲しい」

「彼は、誰かを頼りに危険へ飛び込むような人物ではないでしょう? どちらかと言えば、一人で飛び込むタイプだ。だから、私は声が掛かる限りは付き合うつもりですよ」

「ふん、情報は流そう。だが、捜索自体は他に回す。我々は別件で忙しいのでな、連絡は萩から入れさせよう」

「・・・分かりました」

 二人は同時に踵を返し、雲野は田上の病室へ、天霧はエレベーターへと姿を消していった。


                 


 天霧が病院を出た際、端末を確認するとメッセージが入っていた。菱形島の彩藤長官からである。電話をかけ直してみると、すぐに応答した。

「遅い!」

「・・・病院に来てたんですよ」

「え、病気?」

「いえ、見舞いです」

「誰の?」

「話すのは面倒なので、自力で調べてください」

「一応、上官なんだけどな・・・まあ良いです、それよりも貴方がくれたプレゼントの件なんだけど、しばらく話せるかしら?

「はい、大丈夫です」

「よろしい。例のデータを基に、うちの諜報班に探らせたところ、面白いことがわかったわ」

「不謹慎ですよ、面白いだなんて」

「心にも無いことを。あの用途不明金、各反AR団体の代表者たちは、どうやら女に貢いでたみたいなの」

「・・・はぁ?」

「正確には違法風俗の経営。ARを鹵獲してずいぶんと好き勝手していたようね・・・」

「・・・最初からそう言ってください」

「・・・てへ☆」

「だから、流行りませんって・・・それにしても、反AR団体の代表者が聞いてあきれますね」

「ええ、公表すれば反AR団体は軒並み失墜していくでしょうね。胸糞悪い連中を潰せただけでも良しとしましょう」

「つまり、テロの準備ではなかったと?」

「そう思うでしょう? でも、私は目の付け所が違った」

「え?」

「違法経営の連判状に名前の無かった団体があったの。無関係なのか、蚊帳の外だったのか」

「どこ何です?」

「人類解放党、若年層を中心とした新興組織ね」

「聞いたことが無いな・・・」

「けっこう過激派よ、火炎瓶上等。ARを無差別に炎上させる損壊事件を起こしてる」

「そんな奴らが居たとは・・・潰さないと」

「勝手なことはしないように・・・話を戻すと、金の流れ着く先ではなく、源流を遡ってみたの」

「ああ! それが人類革新党だったんですね?」

「御明察! 何を取引していたのか、それはこれから聞き出すとするわ」

「保安局への報告は?」

「情報を引き出し尽くしたら、引き渡します」

「また対抗意識燃やしちゃって・・・」

「暇ですからね。それに今回の一件は荒れそうな気がするし、こちらの案件になるかもね」

「はぁ・・・自分はしばらく学業に専念しますので、非常時対応でお願いします」

「ええ、都流木さんの班に警戒をお願いしているわ」

「御願いします・・・お話は以上でしょうか?」

「ええ、良い暇潰しになったわ」

「失礼します」

 関所を目の前に、通話を終了させた天霧は、少し考え込んでいた。過激派の新興テロ集団とクルミ割りは何か繋がりがあるのだろうか。損壊事件という点では重なるが、接点は見えてこない。答えが出ない中、ふとコンノの社員食堂が目に留まり、天霧は何かを思い出したようにそちらへ足を向けた。


                   

             

 社員食堂で夕飯を調達した天霧は、陽も暮れ欠けた頃、一区の自宅へとたどり着いた。自宅には、一時帰宅した時には居なかった久遠の姿があった。

「・・・ほげぇ」

 ソファにて、緩み切った顔で、寝息を立てている。その様子に、苛立ちを覚えた天霧は先程買い求めたペットボトル飲料を、久遠の首筋に当ててみた。

 すると、みるみる表情が強張っていく。天霧が距離を取ると、程なくして久遠は絶叫と共に飛び起きたのであった。

「ゆ・・・夢?」

 悪夢の後のテンプレートな言葉を呟く久遠。キョロキョロと辺りを見回すと、テーブルに買ってきた夕食を取り出していた天霧に、よろよろと歩み寄ってきた。

「うぅ・・・鷺塚~首んとこ血とか出てない?」

「ん? 出てないが? どうかしたのか?」

「いや、変な夢見ちゃってさ。可愛い女の子と食事してた筈なんだけど、気付いたら首筋にナイフを押し付けられて、切られたところで目が醒めてさ・・・何か、感覚残ってんだよねぇ」

 久遠は、首筋を擦りながら、深い溜め息をついた。

「幸せだったのになぁ、突然グロッキーだよ・・・」

「・・・ざまぁみろ」

「ん? 何か言った?」

「いや、どれを食う? って言ったんだよ」

 天霧は、テーブルに並べた弁当を手で示した。

「わぁぁ、麻婆豆腐に、鶏天弁当だ! 何て原始的で、アンバランスな食事なんでしょう!!」

「零区に行ってきたから、ついでに買ってきたんだ。あそこ限定だからな、本物の弁当は」

 コンノでの食の状況は数年前の日本とはかなり異なっていた。科学調味料をふんだんに使った旨味でもって、栄養分を形にしたものを摂取する。例えるなら、見掛けから味、食感まで麻婆豆腐だが、それを構成する物は全く異なっており、必要な栄養素のみを摂取出来るものになっているというわけだ。舌の上では麻婆豆腐、身体の中ではサプリメント。つまり、偽物、なのである。

「しかし、コンノは回顧主義者が多い。本物の食材を使った、昔ながらの食事を好むとはな・・・後から不足分の栄養を別途に摂る必要があるというのに」

「でも、解る気がするよ。いくら五感を騙せても、どこか釈然としないものはあるからね・・・というか、鷺塚だってクッキングプリンター使わないで料理作ってるじゃん?」

「それは、調理をするという感覚を忘れないためだ。個人的には偽物も嫌いじゃない」

「まあ、味気ないわけでもないし、知らなければ気になりもしないだろうしね」

「元々コンノ社員用の生産プラントしかなかったのだから、避難民流入における食糧問題解決の為には仕方ない。それに自分が口にするものがどうやって作られているのか、その実態を気にも留めないのは今に始まったことじゃない」

「ちょっとちょっと、難しい話はここまで。早く食べましょう。わたしは麻婆豆腐ね~」

「分かったよ。温めるから手洗いとうがいをしてきなさい」

「うわぁ、ここにも説教シスターが居たかぁ。別に大丈夫だよ、ちょっとくらい」

「おいおい、寝起きの口の中がどんな事になっているか、知らないわけじゃあないだろう?」

「分かっていますとも、う〇ちでしょう? 行ってきますよ~」

「おい! わざわざ言葉にするな、はしたないぞ!!」

「わ~シスターが怒った~」

 久遠は、くすくすと笑いながら、洗面所へと駆けていった。

「はぁ・・・そのシスターに同情する・・・いや、知らないのか」

 天霧は、やるせない気持ちになりながらも、弁当をレンジで温め始めた。二つ目を温め始める頃には、久遠も戻ってきた。テーブルに着き、そして何の気なしにテレビの電源を入れた。

「そういえば、田上のおやっさんは元気だった?」

「ああ、ピンピンしてたよ。お前も来れば良かったのに」

「いやいや、わたし面識無いし。わたしにとっては画面の中の人だよ」

「そうだったな」

 二つ目の弁当も温まり、天霧は両手に弁当を携えて、テーブルへと戻った。

「待ってました!」

 やけにテンションが高い久遠に若干引きながら、天霧もテーブルに着いた。

『いただきます!』

 割り箸が割られ、弁当の蓋が開け放たれる。スパイシーで香ばしい香りが辺りに広がり、空っぽの胃がにわかに騒ぎ出す。

 天霧は鶏天を白米に乗せ、久遠は麻婆豆腐を白米へ掛け、それぞれ口に運んだ。

「う、美味すぎる!」

「ああ、無駄なものを食べている感じ、この雑味が良いな」

「いやいや、その表現を肯定して良いのかな。何か不味そうだよ!」

「自分でも料理作るから、そんなにありがたみは無いな。というか、あんまり違いが分からない」

「いやいや、この疑似(ケミカル)とはまた違う、身体に悪そうな感じ、このジャンクフード感が良いのですよ」

「それも不味そうだぞ」

 そのまま、しばらく食べ進め、一段落ついたところで天霧が話を切り出した。

「それで、クルミ割りの手口は判ったか?」

「ん~昨晩のエマージェンシーサインが出た場所の監視カメラからその他カメラまで、同時刻の映像を片っ端から洗ったけど、見事に死角になってるね。まるで示し合わせたみたいに」

「カメラはいくつくらいだ?」

「50メートル以内に絞って、全部で1千強くらいだったかな。ブルーライト用の眼鏡してたけど、目がイカれそうになったよ」

「流石だな・・・あっ」

 ここで、天霧は気が付いた。一時帰宅してから約3時間ほど、その間に1000件もの映像を分析し終えた久遠。その疲れは相当なものだろう、学業の後だし、寝てしまっても無理はない。自分はそんな久遠を悪夢で叩き起こしたのだということに。

「どうかした?」

 久遠に問われ、天霧は我に返った。沸き上がる罪悪感、天霧は堪えられず、あるものを冷蔵庫から取り出してきた。杏仁豆腐である。

「これもやろう、報酬だ」

 もちろん、自分用にこっそり買っていたのは、言うまでも無い。

「やった、中華コンボだ!」

 幸せそうに、杏仁豆腐を口へ運ぶ久遠。それを見て、天霧の罪悪感もだいぶ薄れていた。

「しばらくはクルミ割りも動かないと俺も田上さんも考えている。だが、奴の手口を暴けない限り、次の犯行も後手に回ってしまう」

「分かった、見落としが無いか見直してみる」

「すまないな・・・」

「白兎ちゃんを護る為、だもんね」

 そこで、久遠の杏仁豆腐を掬う手が止まった。いつになく、真剣な表情で天霧をまっすぐ見据えた。

「あのさ・・・前にも聞いたけど、何で白兎ちゃんを護るの? それはまだ、教えてもらえないのかな?」

 天霧はしばし沈黙した。沈黙の中、様々な感情が渦巻いていた。白兎を護る理由、それはまだ話せない。イラつくこともあるが、彼女の、久遠秋鹿という人物の時間を、得体の知れないことに消費させているのである。申し訳ないと思わないことも無い。

「これはまだ、可能性の域を出ないことなんだ。実現するかしないか、何かしらの結論が出るまで、話すことは出来ない。そんな事に時間を割かせて申し訳ないと思っている・・・」

 天霧の返答に、久遠は静かに笑った。やっぱりか、そう言わんばかりである。

「わたしは、一応感謝はしているんだよ。あのまま犯行を続けてたら、身を滅ぼしてたのは事実だから・・・新しい私に、新しい家。手伝ってるのは、感謝半分、後は面白いからだから、気にしないでよ」

「・・・分かった、お前も心配しなくて良い。優れた人材を引き込むのには、相応の対価が必要だからな」

「ほほう、わたしはさながら島勝盛というわけですな、石田殿?」

「さて、それはどうかな?」

「つれないな~・・・そうだ、そんなに申し訳ないなら、女の子を連れ込んでも・・・」

「あはは、首筋に気を付けな?」

「なにそれ怖っ!? ホントすみませんでした!!」

「ははっ、躾が足らなかったみたいだな」

「くっ・・・おのれ、圧政者め!」

 ナイトメアとデリンジャー、互いに拳銃を向け合う二人。

「また悪夢を見せてやろう」

「また? まさかさっきのも!!」

 トリガーに指をかける二人、こうして夜は更けていく。

                


 個人にどんな事が起きようとも、学校は容赦なく登校を求めてくる。

「俺は、眠いから寝ている、それだけだ」

「こんな人より点数が取れないなんて、現実は厳し過ぎないでしょうか」

 堂々とする天霧に、稲葉睛は嘆息した。

 放課後、すでに見慣れた光景が繰り広げられている。

「稲葉よ、何故いつも起こそうとする? なにか迷惑を掛けたか?」

「掛けてるのよ! 人が必死に勉強しているのに、後ろで寝息を立てている奴がいる、こんな理不尽があって良いの!?」

「まあまあ、ほら、ノートは取っているんだぞ」

「・・・ほんとだ、いつの間に」

「迷惑を掛けているなら、謝ろう。だが、自分も寝たくて寝ているわけではない」

「・・・どういうこと?」

「自分だって、昼までは起きているぞ、問題は午後だ。程よい満腹感、麗らかな午後の陽射し、そして、もはや子守唄にしか聴こえない現代史・・・これは寝るだろう?」

「否定は出来ない・・・けど耐えなくちゃ!」

「教師も容認している」

「それよ、それが問題なのよ! 前に直訴しに行った時・・・」

「そんな事してたのか・・・」

「先生、困った顔で、釈迦だって説法聴かされたら眠くもなるさ、って言ったのよ? 諦めちゃってるのよ」

「理解のある先生じゃあないか。なかなか出来る事じゃない」

「何様よ!」

「まあまあ・・・稲葉さんや、そうは言うが、君にも責任があるのだぞ」

「え・・・あ、あたし?」

「そうだ、稲葉・・・君が良い香りを漂わせるから」

「・・・・・・おぅ?」

 思考が停止すること数秒、理解に達した稲葉は、一目で判るくらい、頬を真っ赤に蒸気させた。

「そ、それは・・・ど、どど、どういうっ!?」

「これは、香水か何かか? 金木犀の香りだ。マイナーだが手堅いチョイス、ほのかに薫る花の香ほど、眠りに誘うものは無い」 

「これは、別に、眠らせる為に、つけてるわけじゃあ・・・」

「これらの要素から、自分が必然として寝てしまうことが証明できたと考えるが、如何か?」

「分かりました、私の負けですっ!」

 不毛な戦いに終止符が打たれると、岡本がひょっこりと顔を出してきた。

「見事なまでに意味不明な理論展開、流石は天霧」

「ありがとう、岡本」

「いや~不意打ちも見事に決まりましたね。あれなら乙女心もイチコ・・・」

 岡本の発言を遮るように、稲葉の平手打ちが岡本の横っ面に炸裂した。

「お~っと、蚊がぁっ!!」

「俺ごと!?」

 そのまま、岡本は近くの机にしなだれ掛かり、頬を紅く染めた。

「快感・・・」   

「おい、その手のジョークは受けないぞ、岡本」

「あれま」

「そうだ、岡本よ。この後、俺の独断と偏見で稲葉を連れ出すのだが、お前も来るか?」

「おっと・・・マジですかい」

 岡本からおちゃらけた雰囲気が吹き消え、困惑した表情で稲葉の事を見た。

「クラブ・・・サボるの?」

 問われた稲葉は、小さくだがしっかりと頷いた。

「うん、今のクラブ・・・変だから、行きたくない」   

「稲葉さん・・・」

 岡本は意外そうな表情を浮かべた後、何か吹っ切れたかの様な清々しい表情になった。

「そう決めたんだ。なら、俺も乗っかろうかな。上手く言っとくから、楽しんできて」

 岡本は、今度は天霧に目を向け、間の抜けた敬礼をした。

「てなわけで、俺は残るんで」

「おい、どうしたんだ?」

「詳しくは、稲葉さんから。俺はもう行きますね!」

 アデューという言葉を残し、岡本は教室を出ていった。

「・・・」

 残された二人は、岡本の出ていった扉を、ぼんやりと見つめていた。そこへ白兎が、ゆったりと現れた。

「お二人とも、帰りましょうか?」

 二人は頷き、鞄を手にするのであった。


                   *


 白兎を送り届けた後、天霧は稲葉の要望で、第六区に来ていた。自然公園の奥、人知れず営まれている本物のケーキを売る店へ行く為である。

「もっとこう、学校帰りに寄るような、ライトなものだと思っていたのだが・・・」

 山道を登りながら、天霧は呟いた。

「一度は来てみたかったの、秘境のケーキ屋さん。天然素材100%で、中毒になるほど美味しいらしいの」

「ふむ、人は本物を欲する生き物らしいな。疑似ケーキなら都市部でも売っているのに」

「疑似ケーキも悪くは無いんだけど、甘さやコクが違うというか・・・甘いんだけど、この甘さじゃないというか、それに食物繊維特化とかカルシウム特化なんてケーキじゃ盛り上がらないじゃない?」

「そういうものか・・・まあ、ちょうど良い」

「・・・ん?」

 黙々と山道を登ること半刻、登りきった平坦な場所に真新しいログハウスを見つけた。

「はぁ、はぁ・・・あ、あれね、林の奥のログハウス。情報通りなら・・・はぁ、あれが秘境のケーキ屋さんのはず」

「そうか」

 息を切らせる稲葉と平然とする天霧。この差に、稲葉は苦言を呈した。

「何で・・・息切れすらしてないのよ」

「鍛え方が違うのさ」

「くっ・・・行くわよ」

 肩を怒らせながら、ログハウスへと向かう稲葉、天霧は肩を竦めて、その後に続いた。

 入り口には、openの木札が掛かっていた。営業はしているようである。

「こんにちわ~」

 特に臆することもなく、稲葉が店内へ入り、天霧もそれに続く。内装はこざっぱりとしていて、すぐにショーケースに目が行くようになっている。

「わぁ・・・!!」

 ショーケースを見た稲葉から歓声が挙がった。その理由はショーケースを見ればすぐに判った。ショーケースには、一つ一つの個数は少ないものの、多くの種類のケーキが所狭しと並び、それらは様々な色彩のグラッセで光沢を放ち、宝飾品のような気品を漂わせている。疑似ケーキで、ここまでの再現は出来ていない。

「お、美味しそう・・・」

 稲葉はもう、釘付けである。二人がそれぞれの思いを抱き、ショーケースを見ていると、店の奥から男が姿を見せた。

「いらっしゃいませ。ようこそCorruptionへ」

 その趣と落ち着きを兼ね備える渋い声に、天霧は反応した。店主とおぼしき山羊髭の男は、実にアルカイックな微笑を浮かべている。天霧は、意図せず、自然に人差し指を立てていた。

「へいマスター、キリマンジャロ一つ」

「ここ、ケーキ屋さんだよ!?」

 天霧に面食らいながらも、店主は笑みを称えたまま、頷いた。

「かしこまりました」

「あるんだ・・・!?」

「他にご注文はございますか?」

 天霧はショーケースに目を戻した。本物の食材というのは、現在では稀少、つまり高価と言える。その粋であるケーキは当然高額になる。疑似ケーキの3倍の値だ。

「では、チーズケーキを」

 だが、天霧は特に気にしていない。

「稲葉、決まったか?」

「クレーム・ブリュレ、洋梨タルト、シュークリーム!!」

「かしこまりました」

「多いな・・・払うの俺なのに」

「どうぞ、外のテーブルをお使いください。ご用意が出来ましたら、お持ち致します」

「は、はい、お願いします」

 天霧たちは、店を出ると店先のテーブル席を発見した。

「あ、あった」

 席に座ると、天霧はようやく一息つけたとばかりに息を吐いた。

「さて、これで話が聞けるな」

 そう振られると、稲葉は気まずそうに喉を鳴らした。

「岡本にも託されたからね・・・クラブの事なんだけど、ややこしい事になってて」

「ややこしい事?」

「今年からクラブを仕切っていた先輩が突然、代表を降りたの。そして、代わりに就いた先輩が問題で・・・反AR主義者、しかも排斥派だったのよ」

「ARを人間社会から駆逐せよ、だったか?」

「そう、それ。でもって、演説なんか始めちゃってさ。元々、ARが当然のように存在することに違和感を覚える人の集まりだったから、感化される人も出てきたの。これが先週の話」

「確かに、それは足も重くなるな」

「最近は、感化された人達が組織化していて、賛同しない者には制裁を加えるって言い出したの。何故か顧問は黙りでね、気味が悪くて、皆怖がって少しずつ従い出したの」

「・・・ふむ、順当だな。主導権を握ってからの、地盤固め、教師の制圧までが鮮やか過ぎる。それはだいぶ前から計画されていたんだろうな・・・」

「そして、あたしは今日、欠席した。どんな事言われているのかな、岡本は大丈夫かな・・・」

「サボらせたのは、自分だからな。もしもの時はこっちに回してくれ。それと、岡本ならのらりくらりとやり過ごせるだろ?」

「・・・そうね、あいつ、しぶといもんね」

「そうさ」

 その時、天霧の視界に、茜色の陽射しが射し込んできた。

 曇り空が晴れたようで、橙に輝く夕陽と茜色の空が姿を見せていた。また、それに気付いたことで、この席の眺望の良さにも気が付くことが出来た。

 夕陽に染まる自然公園と町並みである。

「・・・綺麗」

 稲葉はその光景に目を見張り、魅入っている。しかし、天霧にはそれほどの感動は生じていなかった。

 人が身近な自然現象に心打たれる時は、心に傷を負っている時でもある。稲葉は臆した様子など欠片も見せてはいないが、やはり気は滅入っているのだろう。天霧にはそう思えてならなかった。

 そんな折り、ログハウスの扉が開き、ケーキやカップを載せた盆を両手に携え、店主が出てきた。

「お待たせ致しました」

 店主は、抜群の安定感で危な気なく、盆をテーブルまで運んだ。

「チーズケーキとキリマンジャロのお客様と、こちらがクレーム・ブリュレ、洋梨のタルト、シュークリームのお客様」

 注文通りと言いたいところだが、稲葉の盆にも湯気の立つカップが載っていた。

「あの・・・これは?」

「アールグレイでございます。サービスですので、よろしければご一緒に」

「あ、ありがとうございます」

 稲葉はどうも、この店主には、たじたじである。その気持ちは、天霧には理解出来た。この圧倒的なダンディズム、意識せずにはいられないだろう。

 お会計は後ほど、そう言い残して、店主は店内へ戻っていった。早速、ケーキを一口。稲葉から言葉にならない感嘆の声が漏れた。天霧も少し目を見張っていた。舌に馴染むこの甘味、道中に稲葉が言っていたことが解った気がする。次いで、ホットな飲み物を一口、今度は濃厚な苦味と芳醇な香りが、口内に拡がる。

「ふむ・・・これも、本物か」

「合う~」

 ケーキを一口、口へ運ぶ度に、稲葉の表情が和らいでいく。食物繊維特化型疑似ケーキでは、こうはいかないだろう。これが、本物の効能(ちから)。ビブラ、クレーム・ブリュレ。ケーキを平らげるのに、そう時間は掛からなかった。ホッと一息ついていると、再び店主が現れた。

「お口に合いましたか?」

「は、はい」

「堪能させて頂きました」

「それは良かった。それで、急かす様ですが、もう陽が落ちます。夜の山道は危ないので、そろそろお帰りになった方がよろしいでしょう」

「なるほど、ではそうしましょう。稲葉、会計をしてくるから、少し待っていてくれ」

「わ、割り勘にしようか・・・?」

「本当か?」

「すみません、ゴチになります!」

「うむ、よろしい」

 会計となって、自分が如何に食べ過ぎたかを自覚したのだろう。後でレシートを見せてやろう、そんなことを企みながら、天霧は店主と共に店内へ移動した。

 再びショーケースを見た時、天霧の脳裏に、ふと久遠の顔が浮かんだ。そういえば、本物好きがもう一人居た。

「すまないが、ショートケーキも頂けるか?」

 次の瞬間には、そう口が動いていた。

「お持ち帰りですね、ありがとうございます。すぐにご用意致します」

 店主は、ショートケーキを取り出すと、ものの十数秒で箱に詰めてみせた。

「保冷剤は二時間ほどですので、留意ください。それでは、お会計失礼致します」

 踊るような手捌きでレジが打たれ、あっという間に金額が計上された。

「ん? これは・・・」

 表示された金額に、天霧は驚かされた。

 それは、ケーキだけの合計金額だったのだ。

「マスター、これは・・・」

「実は、当店の商品に珈琲はもちろん、紅茶もございません。お出ししたのは、私が趣味で置いていたものです。お代は頂けません」

「なっ・・・」

 なんというダンディズム。これが人の為せる事なのか、天霧は大いに驚嘆していた。

「しかし、あの一杯は対価を求めても良いものでしたよ?」

「ありがとうございます。趣味というのは、一人で追究しがちで、行き詰まり易い。言うなれば、そのお言葉が十分な対価なのです・・・私の積み重ねが、無駄ではないことを証明して頂いた」

 突け入る隙が、取り付く島がどこにも無い。難攻不落のダンディズム。これ以上は、彼のポリシーを冒涜することになる。

 天霧は、それ以上は追求せず、会計を済ませた。レシートを受け取り、店を後にする時に天霧は一言だけ呟いた。

「美味しかったよ、また来る」

 それに対し、店主は微笑みながら、深々と頭を下げた。

「お待ちしております・・・」

 天霧が外に出ると、稲葉はもう山道の入り口に立っていた。

「ほら、早くー!!」

 茜色に輝いていた空は翳り、辺りは薄暗くなっていた。

「はいはい」

 天霧は小走りで近付き、レシートを彼女の眉間に叩きつけてやった。

「何事!? ・・・うわ高っ!?」

「ああ、高くついたが・・・面白いものが見れた」

「はぁ~ご馳走さまです。あれ、一つ多くない?」

「気に入った証拠さ」

「あたしのは?」

「お前さん・・・3つも食ったろう?」

「気に入った証拠よ」

「なるほどな」

「そうだ、今度は皆で来ましょうか?」

「俺は出さないぞ?」

「わかってる、あたしだってそこまで図々しくないわよ!」

 肩を怒らせながら、山道を下り出す稲葉。

「やれやれだな」

 天霧は肩を竦めて、その後を追った。


                *


 稲葉を彼女の自宅近くまで送り届け、天霧は帰宅した。驚くべきことだが、ケーキ屋を出てからちょうど二時間である。

 リビングには明かりが点いていることから、久遠は既に帰宅しているのだろう。しかし、照明は点いておらず、息を潜めているかの様に気配がしない。もしもの事態に備え、天霧は音を発てないように、リビングへ近付いた。すると、リビング内に光源を見つけた。それはPCの光で、ぼんやりと人影を照らし出していた。どうやら、久遠のようである。

 天霧は、リビングへ踏み込み、照明のスイッチを押した。一気に光度が上がるリビング、目が眩んでもおかしくないのだが、ソファに寝そべる久遠は動じることなく、PCの画面をじっと見つめている。

「ジャーニー、どうしたんだ電機も点けずに?」

「・・・・・・」

 反応が無い、ただの屍の様に。とはいえ、操作する手だけは動いている。

 この状況が不可解過ぎて、天霧は首を傾げた。

「よくわからないが、ケーキを買ってきた。食べるか?」

 ケーキの箱をテーブルに置くと、ややおいて、久遠がゆっくりと振り向いた。箱を捉え、視線が側面に印字された店名を追っていく。

「Corruption・・・・・・Corruption? ・・・・・・コルプション!?」

「どうかしたか?」

「買ってきたの? わざわざ?」

「ん? あ、ああ・・・」

 わざわざ、天霧はそこに引っ掛かりを覚え、そして思い至った。久遠は、Corruptionが秘境のケーキ屋だという事を知っているのだ。つまり、久遠が言ったのは、買ってきたの? わざわざあんな人里離れた場所に? となる。

 天霧としても、自分で思い立って、あんな所へ足を運ぶわけがない。そうなると、誰か発起人がいることになる。それは稲葉だ。事情はどうあれ、端から見たら逢い引きに他ならない。どう説明して、面倒事を避けようか。そういえば、今日は合挽きが安く手に入る日であった。

「ジャーニー、これは・・・」

「そこまで、殊勝にされたら、赦さない訳にはいかないなぁ~」

 あれほど無表情だった久遠の顔が、満面の笑みに変化している。

「そうか、良かった・・・ん? 赦す?」

「まさか、謝罪の為にあんなところまで買いに行くなんて、そんな可愛いらしい事もするんだね~」

「・・・」

 どうやら、久遠の頭の中には、天霧がcorruptionに行く理由が存在しているらしい。面倒なので、天霧はそれに乗っかることにした。

「ああ、本物の嗜好品だぞ」

 もちろん、親指を立てるのは忘れない。

「おお!! まさか2日も本物を頂けるとは」

「・・・一応、普段食わせているのも、本物の食材なんだが・・・」

「それはそれ、これはこれ。家庭の料理に慣れてると、外食が美味しくなるものでしょう?」

「贅沢者め・・・」

「何買ったの?」

「ショートケーキだ」

「良いchoiceだ!」

 久遠は早速箱を開き、ショートケーキを取り出した。

「御開帳~・・・こ、これは、疑似の漂白された様な白さとは違う、まさに白無垢(ミルク)!」

「・・・俺には判らない」

「トーシロウだな。それよりセバス、フォークを取ってくれたまえ」

「・・・かしこまりました」

 セバスとは執事の名の代名詞の様なもの。天霧は、本物の執事よろしく、恭しく礼をし、キッチンへ移動した。

「投げましょうか、御主人様?」

「いや、手渡しでしょ!」

「自信あるので」

「それ洒落にならないよ!?」

「仕方がないので、天霧は普通にフォークを手渡した」

「仕方がなくないし、何のナレーションなの!」

 フォークを受け取った久遠は、見惚れるような所作でショートケーキを一口台に切り取るや、それをすぐさま口へ運んだ。

「ああ、この舌触り。柔らかく滑らかなこの感じ、まるで処女の口づけのようだわ」

 うっとりと、唇に指を添える久遠。その妖艶な仕草に、久遠の学園での様子が垣間見えるようである。ただ、そんな久遠の様子を、天霧は白い目で見ていた。

「お前が言うと、笑えないぞ」

 そんな天霧の呟きなど何処吹く風よ。久遠はケーキに夢中である。

「そうだ、何であのケーキ屋の事、知ってたんだ?」

「ふぉ? うくっ・・・そこ学園では有名な店なの。よく話題に挙がるから気にはなってたんだけど」

「箱入り娘があそこまで行くのか?」

「もちろん、お手伝いさんだけど。これで話に付いていける」

「なるほど、情報が命というわけか」

「そゆこと☆」

「・・・聞いてなかったが、卒業したらどうするつもりなんだ?」

「ん? 死ぬよ?」

 久遠はあっけらかんと、迷いもせず、答えを口にした。

「なんだって・・・?」

「だから、死ぬんだって」

「お前・・・」

「ちょっと勘違いしてるから説明させて。死ぬのは久遠秋鹿という、コ・セ・キ」

「・・・ああ、死んだことにすると」

「そう、久遠秋鹿という人物は、卒業直後、不幸にも事故で命を落としてしまう。才色兼備、将来を有望視された、引く手あまたの美少女よ、ああ、美人薄命とはこのことかぁ~ってね」

「脚色が半端ない」

「シャラップ! 私は御嬢様にとってのイコンとなり、久遠の名誉は悲劇と共に永遠の美談となる計画・・・どうよ?」

「さあな・・・せっかく戸籍を作ったのにまた作り直すのか、面倒だな」

「えへへ、お願いします~」

「はぁ・・・それで、その後は?」

「女の子と戯れながら生きていく!」

「字面だけなら、最高のクソ野郎だな」

「もちろん、これなら鷺塚からのお仕事に専念出来るようにもなる。なんなら、戸籍の名字は天霧にしましょうか?」

「お断りだ」

「じゃあ、鷺塚?」

「合わせてくるな」

「え~冷たいなあ」

「名前なら、ほら、ジャーニー秋鹿とかで良いじゃないか?」

「芸人か、私は!」

「調子に乗ると、夕飯抜きだ」

「ええ~今日の夕飯は?」

「そうだなぁ」

 天霧は冷蔵庫に手を掛けた瞬間、閃いた。合挽き肉どころか食材を補充していなかった。

「よし、今日はクッキングプリンターだな」

「ええ~夕飯は偽物?」

「連日嗜好品だからな」

「は~い・・・」

 久遠は気だるげに、PCをシャットダウンするのであった。


     

 クルミ割りとの遭遇から三日目、2夜に渡って奴は出現しなかった。

 手口がバレたからか、はたまた次なる策に移ったのか。定かでは無いが、どちらにしろ、久しぶりに天霧はゆっくりと眠ることが出来た。これまた久しぶりに、予鈴の10分前に当校すると、いつになく真剣な顔で、稲葉と岡本が会話をしていた。

「おはよう」

 天霧が挨拶すると、二人は幽霊でも見たような顔で、動きを目で追った。

「天霧氏が、予鈴ギリギリに来ないなんて・・・」

「これは、良い兆候なの? それとも悪いの?」

 さらに鬼気迫る顔になる二人、これは退っ引きならない事態に陥っているのだと、天霧は推察した。

「なるほど・・・クラブに動きがあったわけだ」

 二人は、手札を見抜かれたギャンブラーのような、愕然とした表情になった。

「なんで、分かったの?」

 稲葉の問いに対し、天霧は苦笑した。

「いやいや、話を聞いたのは昨日の今日で、近々で岡本と真剣に話すことなんてクラブの事だろう? つまり、クラブでマズイ動きがあったと推察出来るわけだ」

「なるほど・・・」

 この説明で稲葉は納得したが、岡本は異論を唱えてきた。

「わからないぞ、実は俺と稲葉さんがデキテルのかも・・・しれない?」

「いや、それは無いから」

「ビンタ無しのマジトーン!? これはとても傷付く!!」

「落ち着け、岡本。それで、クラブで何が起きたんだ?」

「・・・昨日、稲葉さんが欠席することを当たり障り無く誤魔化そうとしたんすけど・・・会長は納得しなくて、今日、稲葉さんを査問に掛けるとか言い出したんすよ」

「従順ならざる者は赦さず・・・典型的な独裁だな」

「そうなんすよ、だから、稲葉さんにあいつらヤバイからインフルエンザっつって休んでって言ったんすけど・・・この通り」

「ええ、逃げるわけにはいかないし」

「稲葉、こういう事になったら、自分が名乗り出ると言っただろう? 何故隠そうとした」

「でも・・・サボると決めたのはあたしだし、それにやっぱり迷惑掛けられないよ」

「いや、迷惑ではないさ。少し興味があるんだ、その会長に」

「え?」

「反AR主義を、学舎で宣う奴の面を拝見したくてな。というわけで岡本、案内頼むぞ」

「え、どこに?」

「決まっているだろう? 査問をするっていう場所にだ。乗り込んでやるのさ」

『ええっ!?』

「放課後が楽しみだ。そうだ、白兎にも伝えておかないとな」

 天霧は鞄を置くなり、白兎の席へ向かった。白兎は既に着席し、よくわからない詩集を読んでいる。朝は稲葉と共に来ているのだ。

「おはよう、白兎」

「おはようございます、忠邦君。いつ来てくれるのかと思っていました」

「悪いな。悪いついでに、今日は送る事が出来なくなった。代わりにジャーニーに来てもらうが、前に会ったことがあるよな?」

「はい、とても素敵な方でしたね」

「そうなのか? まあ、あいつに来てもらう。大丈夫だと思うが、ジャーニーにも気をつけるんだぞ?」

「うふふ、よくわかりませんが、何か楽しそうですね」

「ああ、手がかりが掴めるかもしれないからな」

「ん?」

 こうして、天霧は放課後まで目を爛々と輝かせていた。余談だが、それを見た現社教諭は、いつもより熱を入れて、教鞭を執ったという。



 放課後、天霧と白兎の姿は校門にあった。

 稲葉の査問というのは、ホームルームから30分後と予定されていたので、それまでに久遠と落ち合い、白兎を託そうと天霧は考えたのだ。残り5分を切ったところで、一台のリムジンが現れ、校門前に停まった。

 そして、案の定、中から現れたのは久遠であった。

「お待たせ致しましたわ、白兎さん。さあ、参りましょうか」

 見事なエスコートで、瞬く間に白兎を車へ乗せる久遠。自身も乗り込もうとしたが、天霧に肩を掴まれ、阻まれた。

「おい、これは何だ」

「し、仕方ないでしょう。学園の近くでタクシーなんて呼べないし、それにリムジンの方が早く着けるから・・・チャーターしました」

「チャーター!? 確かに無理を言ったが、何故リムジンなんだ、高級タクシーでも良いだろう?」

「一度乗ってみたくて・・・ほら、リムジンくらい乗ってみせないと、怪しまれちゃうし」

「はぁ・・・まあ良い、ちゃんと送れよ」

「わかってるって、預かった時より、艶々にして帰すからさ」

「何をする気だ!」

「まあまあ、ほら、急ぐんでしょう?」

 確かに、時間は迫っている。仕方なく、天霧は手を離し、久遠はリムジンへ乗り込んだ。

「それでは、失礼致しますわ」

「忠邦君、また明日~」

 颯爽と走り出すリムジン、何故か白兎の家とは逆方向にである。

「何を企んでいるんだ、あいつ・・・」

 気にはなるが、時間が無い。天霧は下駄箱で岡本、そして稲葉と合流し、目的地へと急いだ。二人は近くで見守っていたいのだそうである。 そして、岡本に案内されたのは、半円形の講堂であった。

「ここか?」

「この中には、会長を筆頭とした委員会と、一般会員が待ち構えてるはず・・・」

「なるほど・・・中の全員が稲葉の登場を念頭に置いてるわけか・・・」

「そう、だからあたしが・・・」

 天霧は、出入口に手を掛けようとする稲葉の襟を引っ張った。

「急くな、俺が行って場を混乱させ、主導権を握る。二人は後から入って高みの見物でもしていてくれ」

 天霧は、出入口に手を添えると、一旦振り返った。

「すまない。二人に先に謝っておく」

『え??』

 天霧は、扉を押し開け、講堂へと足を踏み入れた。講堂は、舞台と、何処からでも舞台を正面に見えるように設計された観覧席で構成されている。そして今回、舞台と観覧席の間には即席の被告人席が用意されていた。ここに、稲葉を座らせれば、見事な魔女裁判ぶりである。

 天霧は、舞台上に置かれた椅子にふんぞり返る委員会員見据えながら、被告人席に腰を降ろした。

「何ですかあ、あなたは」

 委員会員らの中央に座す、一際偉ぶった男子生徒が口を開いた。

「あんたが会長か?」

「ええ、3年の畑中(はたなか)です。あなたも名乗っていただきましょうか?」

「そうだな、2年の天霧だ」

「あなたは、上級生への礼儀というものがなっていませんね」

「それは仕方がない。ここへは敬う為に来たわけではないからな」

「では、何をしに? これから査問会を開くので、邪魔をして欲しくは無いのですが」

「話しに来たのさ。いずれぶつかる事になるだろうからな」

「・・・はい?」

 会長が首を傾げていると、委員会の一人が何かに気付いたらしく、ファイルをめくり始めた。そして、あるページに至り、それを会長に提示した。

「ああ、会員ではないのですね。確かに、非会員の方とはいずれお話に行くつもりでしたが、何故今ここに?」

「言ったはずだ、話しに来たと・・・これ以上くだらない妄想を広めないでもらおうか?」

「・・・何だって?」

 余裕を見せていた会長の表情に、翳りが見え始めた。

「ふっ、非会員の君には解らないだろう。我々の思想が如何に崇高なものかを!」

「そうは思えないがな?」

「流石は過剰感情移入症の疑いが高いとされている人物だな! 奴等の、ARの危険性を理解していない!!」

「ほう、危険性とは?」

「いくら人間に似せようが、奴等は機械なんだ! 機人と同じ、人間面した機械だ! 奴等が反乱を起こさないと誰が言える? 今排除しなければ、我々が排除されてしまうのだ」

「ARの反乱か・・・では、問おう。人間とARの違いとは何だと考えている?」

「決まっている、我々には自我がある!」

「自我、確かにそれはよく言われる、人間味というやつだな。だが、それはもうARに搭載されているぞ? 彼らには喜怒哀楽がある」

「あれは、借り物の感情だ! 自発的に芽生えたものではなく、プログラムでしかない!!」

「ああ、彼らの感情表現は与えられたものだ。だが、それは人間も同じでは?」

「人の感情は生まれ持ってのものだ! 天然なんだ!!」

「確かに、赤ん坊の時の感情は生存本能だ。だが、物心ついてからの感情は、教えられたものなのでは?」

「何だと!」

 会長は、顔を真っ赤に怒らせながら、立ち上がった。

「我々は、理解出来ない赤ん坊の頃から、社会のルールや倫理観、言葉などの表現方法を植え付けられる。人間の感情とはそれらをベースに生じる現象、いや生じさせている事象に過ぎない」

「それはッ!!」

「否定出来るのか? 今お前が抱いている憤りや掲げている思想も、誰かに、何かにこうあるべき、こうすべきと教えられたものだろう?」 

「くっ・・・」

「お前は、生じた感情を素直に表現しているのか? 状況に合わせて感情をコントロールしているだろう? その時点でお前の言う天然は人工になっている。否定することは出来まい」

「・・・」

「結論から言えば、我々も機械と言えなくもないということだ。生まれたては獣であった我々に、知識を教え、人間という機械にしているのさ。身近では、我々は日本人に改造済みだな」

「暴論だ・・・ッ!」

「そうかもな、だが、足元が崩れるようだろう? これでARの感情を否定出来なくなったな」

「くそっ・・・」

「どんどん行こう、お前は人間とARの違いが自我だと言ったな? つまり心の有無だ。お前はARに自我は無いと言う。しかしそれでは、機人とARをイコールには出来ないぞ?」

「どういうことだ・・・!」

「機人の中身は人間だからさ、機械の身体に脳を移植しただけのな」

「・・・まさか」

「知らなかったのか? 授業で聴かなかったか、機人は科学者の成れの果てだと? 居眠りは関心しないな」

「そんな事ぐらい知っている!」

「知っているのに、解らないのか? 機人が人なら、奴等が起こしたのは機械の反乱などではなく、ありふれた同士討ちに過ぎないのさ」

「・・・ッ!?」

「そう、お前の教わった反AR思想には矛盾がある。ARに自我が無いというなら機人とイコールには出来ず、自我があるとしたら、ARは機人はもちろん、人ともイコールになる。これじゃあ、機械の反乱という妄想で繰り広げられる人種差別になってしまうな?」

「違う! あいつらとは違う!! 全然違うじゃないか!?」

「お前とは話しにならんな、これでは授業だ。ちなみにARと機人の設計思想の違いは知ってるか?」

「関係ないだろう!?」

「おっと、またARと機人をイコールに出来ない理由が増えたな。ARはより人間らしく、機人は肉体からの解放がスローガンだ。これは真逆だな?」

「ぐぐっ・・・」

「お前は理論を展開する為の材料を持っていない。つまり、これはお前の思想ではない。お前は誰に、その思想を語るようにプログラムされたんだ?」

 この言葉に、会長の真っ赤だった顔が青ざめた。何かを隠しているのだろう。こうなると、この手の人種は無茶苦茶な事を叫び出す。それがトドメになるとも知らずに。

「・・・さては貴様、本当はARなんだな? だからクラブにも入らず、ARの擁護をするんだ!」

「・・・なるほどな」

 天霧は頷き、立ち上がると、舞台へ上がった。

「昔・・・ある科学者は、自分が人間であることを認知する為に、自らの腹を割いた。麻酔も使わず、自らの手でな」

「な、何を・・・ッ!?」

「ここでやってみせよう。見逃すなよ」

 そう言うと、天霧は観覧席の方を向き、Yシャツをたくしあげ、腹部を晒した。そして、ブレザーの内側からナイフを取り出すと、晒した腹部に突き立てた。

 切っ先が皮膚に食い込んでいき、漏れだした血液が皮膚を伝りだした。

「止めろ!!」

「どうした、会長殿。血を流すくらいならARも出来るぞ? 割腹して初めて、生命が顔をだす。まあ、腸だろうけど」

 さらに食い込む切っ先、会長は目を覆った。

「止めろ!? 止めてくれ・・・」

「・・・ふん、見る覚悟も無いのか。なら、俺の意見が正しいわけだな?」

「・・・ああ」

 会長の、消え入るような承認と共に、講堂に歓声が挙がった。内容は、観覧席の生徒たちから天霧への賞賛や感謝である。

 天霧は、大声でそれに応えた。

「黙れ、日和見共!!」

 講堂内が、一瞬にして静寂に包まれた。

「これは他人事ではないのだぞ! 排斥論は危険思想だ、危険思想の温床となる集会は解散させられる。つまりこのクラブは解散になる」

 講堂内にどよめきが拡がる。本当に、トップがすげ変わるくらいにしか考えていなかったのだろう。

「この際だから言っておくが、これから必要とされるのは、人同士のコミュニケーション力ではなく、実務を行うARへの指揮能力だ。彼らはただの機械ではない、今のうちから慣れておけ!」

 固まる生徒たちに、天霧は嘆息した。

「何をしている、今日中にARの友人を一人でも作ってこい! 今すぐだ、動け、動け、動け!!」

 天霧の一喝を受け、生徒たちはガタガタと立ち上がり、我先にと講堂の出入口へ殺到した。

「・・・いや、逃げんでも」

 天霧が呆れていると、呻きに近い声が、耳に届いた。

「このままでは、済ませないぞ・・・」

「ああ、掛かってこい」

 天霧は振り返り、鼻で笑うと、他の生徒らに混じって、講堂を後にした。だが、講堂を出てすぐ、稲葉と岡本に発見された。

「天霧!」

「ああ、悪いな、潰しちゃったよ」

「それは驚いたけど・・・それよりお腹! ナイフ!!」

「ああ、これな」

 天霧は先ほどのナイフを取り出すと、手首に押し当て、一気に引いた。稲葉は悲鳴を挙げ欠けたが、手首が切れていないのに気付き、押し留まった。

「偽物・・・?」

「ああ、玩具だ」

「血とか出てたような? まあ良いけど、あんなに会長をコテンパンにして、あれじゃあ仕返しとかされるんじゃ・・・」

「だろうなぁ」

「あの会長はテロリストと繋がりがあるって、皆ビビってたんすけど・・・」

「そうこなくっちゃな」

『??』

 あまりに軽い反応に首を傾げる二人。

「ちょっと用が出来た、先に失礼する。二人も帰って休めよ」

 そう言い残し、足早に立ち去る天霧。十分距離を取ってから、端末を取りだし、電話を掛けた。

「もしもし、白兎か? 今どこに・・・はっ? 第三区? ジャーニーめ。俺もすぐに行くから、伝えておいてくれ」

 電話を切って早々、天霧は別の人物へ電話を掛けた。

「長官殿、今暇ですか? いや、皮肉ではなくて・・・はい、御願いしたいことがありまして」



 クラブ崩壊の翌日、事態は動いた。あの会長からお誘いがあったのだ。昼休み、屋上に来いというのだ。稲葉と岡本は一戦構えそうな気概であったが、天霧はそれを宥め、一人で屋上へ向かった。

「白兎をよろしく」

 そこは忘れずに頼んでいた。屋上へ出ると、そこには先日の会長と、他4名が待ち構えていた。

「用は何ですかい、元会長殿?」

「お前が、お前が台無しに・・・」

 明らかに様子のおかしい元会長、懐から回転式拳銃を取り出した。

「これは、穏やかじゃないな」

「何、これだけじゃ無いさ・・・」

 すると、他4名が一斉にブレザーを開いた。胴体には異質なものが巻き付けられていた。

「・・・プラスチック爆弾か」

「その通り、これでこの学校を吹き飛ばす。だが、その前に計画を潰したお前だけは、この手で殺してやる!」

 銃口を向けられた天霧だったが、彼は顔色一つ変えなかった。

「ふむ、その感情は本物だな。喜べ、お前は獣だ」

 何の素振りも、兆候も無く、屋上出入口の上部スペースから人影が5つ、現れた。濃紺の戦闘服と留紺の防弾ベスト、そして防弾バイザー付きのヘルメットを身に纏い、消音器付きのライフルを立て膝の姿勢で構えている。

「斉射」

 真ん中の腕組みをした人物の号令と共に、4つの銃口からゴム弾が吐き出された。それらは綺麗に、元会長を除く会員の眉間を捉え、一撃で昏倒させた。

「な、何なんだ!?」

 向けられていた拳銃が上に浮いた瞬間、天霧は間合いを詰めた。懐からナイフを抜き出すなり、一閃。回転式拳銃を斜めに寸断した。そして、間髪入れずに背後へ回り、ナイフを元会長の喉元に添えてやる。

「会長さん・・・自分の生を、その目で見てみるか?」

「い、命だけは・・・ッ!?」

「残念、俺はそのセリフが嫌いなんだ」

 迷い無く、ナイフはスッと元会長の首を這っていった。

「かはッ・・・!?」

 元会長は、白目を剥き、失禁しながら、その場に崩れ堕ちた。

「まったく、えげつないな」

 そう呟くと、指揮を取っていた真ん中の人物が、飛び降りてきた。

「そうか、都流木?」

 都流木と呼ばれた人物は、天霧に歩み寄ると、腕を組んだ。

「スイッチのオンオフで恐ろしく切れたり、全く切れなくしたり出来るナイフか。それにしても、好きだなそのドッキリ・・・」

「ああ、少し苛ついてたからな、こいつには。それにしても、相変わらずお前の四体同時コントロールは見事だな」

 天霧は、上部に待機したままの4つの人影を見上げた。あれはAAR(強襲型アンドロイド)、感情の代わりに性能の高い戦闘用プロトコルを搭載している。しかし、自律行動は出来るものの、全ユニット間の連携は指揮者が担っていた。チームプレーには、人の指揮が必要になるのである。とはいえ、それは自分の身体の他にも身体を動かすようなものであり、大変難しい。2つ機能的に動かせたら、かなり優秀だと評価される。そんなものを、都流木は四体も操っているのだ。

「特務隊実働部隊の一翼をワンマンアーミーでこなすのは、天才としか言いようが無いな」

「・・・そ、そうか?」

 照れ臭そうにヘルメットを掻く都流木。その行為に意味はあるのだろうか。

「部隊と言えば、私ではなく、お前の部隊を使えば良かったじゃないか?」

「あぁ・・・うちのはなぁ、ちょっと教育機関には連れて来れないな」

「・・・なるほど、納得した。私が悪かった」

「いや、気にしてない。無駄足にはならないだろうさ、お前の仕事に役立つはずさ」

「だと良いけどな。まあ、とりあえず運び出さないと・・・運べ」

 指示を受け、動き出すAAR達、これは簡単な指示の為、自律行動で遂行される。自らが仕留めた獲物を肩に担ぐと、屋上から次々と飛び降り出した。

「おい、これ大丈夫なのか?」

「ん? ああ安心しろ、この下の教室は全て空いてるぞ?」

「いや、そうじゃなくて。ここ4階なんだぞ?」

「AARはこの高さなら大丈夫だぞ?」

「人は?」

「ん?」

「担いだ人はどうなんだ?」

「・・・駄目なら、この方法は選択しないだろう・・・たぶん」

「あぁ・・・俺は責任取らないからな。それと、こいつはお前が運ぶのか?」

 天霧は、気絶した元会長を指差した。

「私は触りたくない。AARに任せるさ」

 すると、先ほどAARが狙撃を行った場所から、新たに二体姿を現した。

「さらに二体、だと!?」

「今は、シンクロさせなければ、六体指揮できるんだよ」

「天才が進化したら、何に成るんだ?」

「好敵手に褒めちぎれるのは、良いものだな・・・よし、運ばせよう」

 一体は天霧の切り裂いた拳銃と元会長を担いで飛び降り、もう一体は都流木の傍に控えた。

「さてと、私も撤退する。お前の予想が正しいなら、他にも出張らないといけないからな」

「ああ、よろしく頼む」

「任せておけ」

 都流木は、ロープを使い、ラぺリングで降下していき、残っていたAARがロープを回収し、飛び降りていった。

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