第七話
翌日。
男子どもからは羨望とも嫉妬ともとれるような目で見られながらも、何事もなく放課後を迎えた。
「今日は何も無いんだな」
前の席の男子──麻生というらしい──が俺の方を見ながら、物足らなそうに呟く。
昨日と一昨日が例外であって、そう何度もあんなイベントがあってたまるか。
さすがにもう交友関係の再会は打ち止めだ。幼馴染は一人残っているが、千夏が把握していないのならこの学校には居まい。
まぁ、まだ綾香さんという爆弾が潜んでいるけど。
「それじゃ、森君。また明日ね!」
麻友莉はそう言い残して、帰って行った。
……明日?
今日は金曜日で、明日は学校は休みだ。俺はもう部活に入る気はしていないし、麻友莉たちも帰宅部らしいのだが。
「明日どっか行くのか?」
麻生が麻友莉の発言に喰いついた。
「いや、何も約束とかしてないよ。また来週の間違いだろ」
気になるのなら、本人がいるところで聞けよ。
夕食後、自分の部屋で寛いでいると、麻友莉からメールが来た。明日、会えないか、と。
まだ知り合って間もないが、俺が把握している麻友莉の性格だと、直接電話で話をしそうなモノなのだが。
特に予定もなく、また麻友莉と仲良くすることにも異存はないので、とりあえずOKと返信。
場所と時刻が書かれた簡素なメールが届き、俺も了解とだけ返信した。
***
翌朝、指定された喫茶店に向かった。
最近よく見かける、人の苗字らしきカタカナが店名の頭に付いたチェーン店だ。
その店に辿り着いた時、既に麻友莉は店の前で待っていて。
麻友莉の前に、大学生くらいの男が立っていた。
近付くと、麻友莉は俺に気付いて、手を振った。
男はそれに気付いて、俺の方を向いた。
「……そいつが彼氏?」
いきなりそんな事を言い出す。俺の方を見ながら、麻友莉に問うているのか。
麻友莉に目を向けると、俺に向けてウィンク。
……大凡の状況は理解した。
話を合わせろってことだよな。
「俺が彼氏だけど、何か?」
「……そうか。邪魔したな」
男はそう言い残して、歩いて行った。
店に入って、二人ともコーヒーとケーキのセットを注文した。
店員が離れると、麻友莉がため息を吐いた。
「いやぁ、助かったわ。チナやメグと一緒にいることが多いから、ウチに声掛けてくるのあんましないのよ。久しぶりでびっくりしたわ」
やはり、ナンパされそうになってたんだな。
麻友莉は何故か自嘲気味だ。見ているとなんだか落ち着かない気分になる。
「言ったでしょ。田中さんも結構可愛いって」
前に言った事を繰り返すと、麻友莉は頬を染めた。
「……もう。そういうこと平気で言うん、反則やで」
フフッと笑う麻友莉を見て、俺もようやく落ち着けた。
「それで。何か話があるんでしょう?」
今日、呼び出された理由。千夏や萌のことしか思い当たらない。
「それな。……ウチとも、もう少し、仲良うして欲しいと思うてな」
「……えっ?」
更に頬を染めて、なんだか告白っぽいことを言われ、固まってしまった。
「いや別に、ウチと付きおうてとか、そこまでの話やないんよ。ただ……チナとメグは、森君とは旧知の仲で、下の名前やあだ名で呼び合ってるやん? だから、ちょっとだけ、仲間はずれみたいな気分になるんよ」
なるほど。
仲良し三人組の中に、俺という異物が入った時。自分だけ距離感が違うことに疎外感を抱いたのか。
俺との距離感なんて、個人個人で違ってて当たり前なんだが。そんなことを言っていたら、誰かに彼氏とか出来たとき、一気に関係が崩れそうな気がするぞ?
ただ、これまで仲良くしてきて、価値観を同じくして過ごしていたのだろう。自分だけが違っていることに不安を覚えたのか。
「別に、田中さんと仲良くすることに否やは無いけどさ。だけど、田中さん自身が俺と仲良くしたいとかじゃなく、疎外感から逃れたいからという理由なら、悲しいな」
「そっ、そんなん、ウチ自身も仲良うしたいに決まってるやん。でなきゃ、初対面でお茶に誘ったりせぇへんよ。ウチ、逆ナンとかあれが初めてやったんよ?」
ああ、一応逆ナンの認識はあったんだ。
「それなら、OKだよ。……麻友莉って呼んでいいのかな?」
「ええよ。……ほなウチは……カズやんと呼ばせて貰うな」
……あだ名が増えてしまったらしい。
***
「行ってきます」
月曜の朝。
階下から綾香さんの声が聞こえたので、俺は下に降りた。
綾香さんはバス通学で、バスのダイヤとルートの関係から、俺より三十分くらい早く家を出る。
朝から身支度とかしている綾香さんとニアミスしない様に、時間に余裕がある俺は、綾香さんが出かけた後から用意を始める。
綾乃さんには朝食の準備に余計な手間を掛けさせてしまうが、綾香さんがストレス無く暮らせるように、俺からお願いしたのだ。
綾乃さんは、余計な気遣いだと渋い顔をしていたのだが、そこは押し切った。その方が、俺も気兼ねせずに済むから、と。
「おはようございます」
「おはよう、一樹さん」
曾祖父と祖母はもっと早起きなため、平日は俺が最後だ。
「ご馳走様でした」
食器を流しに運び、弁当を受け取ろうとして。そこに、もう一つ弁当らしき包みがあることに気付いた。
「あ、そうそう。一樹さんにお願いがあるの。綾香、今日は用事があって急いでいたみたいで、お弁当を忘れて行ってしまったのよ。綾香の分、届けて貰えないかな」
……ちょっと眩暈がした。
学校では接触しないようにしているのに。周囲に気付かれずに弁当を渡す、という高難易度のミッションが発生してしまった。
「あ、はい。判りました」
普段お世話になっている身、断るなんて選択肢は無かった。
さて。
どうやって、綾香さんに弁当を渡すか。
むき出しの弁当包みを持ち運んだりしたら目立ってしまうし、それが弁当であることもバレてしまうので、中学で使っていたサブバッグに入れて来ている。どこにでもある様なデザインだし、どこの中学でも似たような物を使っていると思うから、あまり目立たないと思ったのだ。
問題は、受け渡しの方法だ。
出かける前に綾香さんの携帯にメールを入れてみたのだが、案の定、返信もなし。綾香さんも携帯を学校に持って行ってはいるのだが、学校にいる間は電源を落としたままなのだ。通学時間中は電源を入れていることに期待したのだが、どうやらバスに乗った時点で電源を落としたものと思われる。
休み時間などにチェックすることを期待して待っていたのだが、二時間目が始まっても返信は無い。
次の休み時間、仕方が無いので、目立つことを承知で五組の前に行くことにした。要は、直接接触はせず、携帯を見ることを促せればいいのだ。
五組の前をゆっくりと歩──こうとしたところで、戸口から萌が出て来て鉢合わせしてしまった。
戸口の向こう側、教室の中央付近に、ちょうど座っている綾香さんの姿が見えた。ただ、こっちを見ていない。
「かっ、一樹君! ひょっとして、あたしに会いに来てくれたのかな!?」
萌はまた素っ頓狂な声で、とんでもないことを口走る。
この前ほどの大声では無かったが、十分に周囲に聞こえる大きさだ。
また周囲の注目を集めてしまった。ただ、幸いにして、綾香さんも何事かとこっちを向いてくれた。
「い、いや、ただ通り掛かっただけ、なんだけど……」
いいながら、携帯電話を握った右手を振る様にして、綾香さんと目を合わせながら、頭を掻く。気付いてくれるかな?
不安に思っていたが、接触を避けている筈の俺がわざわざ教室まで訪れたことに疑問を感じてくれたらしく、携帯を取り出して操作する様子が見えた。
「そっ、それじゃ、俺はあっちに行くから」
萌を宥め、そのまま五組の教室を通り過ぎる。
先の階段まで辿り着いたところで、メール着信。
状況を把握してくれたらしく、弁当は保健室の校医に預けるよう依頼された。校医には万が一何かがあった時のため、事情を話してあるらしい。
正直、ほっとした。誰かに預けるにしても、事情を説明するのも秘密にして貰うようお願いするのも大変だろうと思っていたのだ。既に事情を知っている人相手なら、面倒な話にならずに済む。