第五話
食後暫くして。俺の部屋に、また綾香さんが訪れた。
用件は判っている。千夏のことだろう。
「綾香さん。心配しなくても、千夏を家に連れてくることはしないから。『居候の身だし、客が来るのを嫌っている人も居るから』って、言ってある」
帰る時、千夏が遊びに来たそうなことを言いだしたので、そう答えたのだ。
「居候って、あなた……」
「大丈夫、そんな風に思っている訳じゃないから。ただ、対外的な言い訳としては、もっともらしいでしょ」
仮にとはいえ、俺が肩身の狭い思いをしているという設定話に、綾香さんは苦虫を噛み潰したような顔をした。善良な人だな。
「……ごめんなさい、私のわがままに付き合わせてしまって」
「いや、わがままとかじゃないでしょう。綾香さんの懸念はもっともだし、俺も賛同してるから」
俺の返事に、一応納得はしてくれたのか、綾香さんは苦笑しつつため息を吐いた。
「……それから、一点報告があるんだ。千夏と、さっき話に出たうちのクラスの子なんだけど。その二人と仲のいい子が、綾香さんのクラスにもいるみたいなんだ」
***
翌日。教室に入ると、やけに注目を受けた。
いや、廊下を歩いている段階で、既に何人かに見られていたか。
俺が見慣れぬ転校生だから、ではないのだろう。
注目はされるものの、話しかけてくるやつはいなかった。麻友莉も、目で追ってはいたが、俺が席に着くまでは静かにしていた。
「……それで?」
昨日の件だろう。麻友莉は頬杖をついて、俺をジト目で見ていた。
麻友莉の方を向くと、周囲の人間もこちらの様子を窺っているのが目に入った。
……千夏の影響度、パネェな。
「千夏とのことか?」
一応、訊ねてみる。余計に騒がれそうなので、無駄な抵抗はしない。
「チナと幼馴染やって?」
「ああ。電話でも話した通り、俺は元々こっちの人間で、千夏とは小学校卒業まで一緒だった。家も近所だったから、家族ぐるみの付き合いだったよ」
説明口調でわざとらしいが、周知する意味で、既に電話で麻友莉に話したことまで言葉にする。気にしている男子が後から麻友莉のところまで訊きに来たりしたら、彼女に迷惑だからだ。
「その後、俺も千夏も引っ越しして。千夏とは残った他の友達を介してしか連絡はしてなかったんだが、その友達まで引っ越してしまって音信不通になっていたんだ」
「何それ? 変なの」
タイミングが悪くて、卒業式の時点では引っ越し先の電話番号が判ってなかった。
そして、ひかりを介して連絡をしていたのだが、これはひかりの我儘をきいた形だ。
ひかりを通じて引っ越し先の電話番号を交換すれば、いつでも連絡出来る様になった筈なのだ。だけど、ひかりはそれをしなかった。俺と千夏が直接連絡を取り合うことを嫌ったのだ。
内気で友達が少なかった彼女は、自分が蔑ろにされるのではないかと恐れていた様だ。もちろん、俺と千夏がそんなことをする訳はないのだが。別段、直接連絡を取る必要も無かったから、ひかりの我儘を受け入れて、そのままにしていたのだ。
「だから、千夏が何処に住んでいて、どこの高校に通っているかなんて、知らなかった。ここで再会したのは、全くの偶然なんだよ」
俺がこの学校に来ることになったのは、綾乃さんの策略みたいだけどな。
編入試験を受けるにあたって、成績や家の場所を鑑みて、曾祖父から勧められたのがここだった。だけど、どうやら綾乃さんの意向が入っているらしい。綾香さんが通っているから、一緒でいいじゃないか、と。
「くっ……やはり、ヒロイン力の差は歴然……」
麻友莉は俯いて訳の判らないことを呟いていたが、気を取り直した様子で顔を上げた。
「まぁええわ。今日の放課後、昨日紹介出来なかったメグを紹介しちゃる。こっちも可愛いんやで?」
「そ、そうなんだ。楽しみにしてるよ」
麻友莉の行動原理がよく判らないが。可愛い子を紹介してくれるのなら、俺に異存はなかった。
昼休み。麻友莉は前の席の女子と机を合わせて弁当を広げていた。
千夏とか、こっちの教室で弁当を広げるのかと思っていたのだが、そういうことはしないらしい。ちょくちょく遊びには来るものの、クラスでの交流もちゃんとやっている様子。
ちなみに、もう一人のメグという子は大人しい性格をしているらしく、休み時間とかには来ないみたいだ。……普段なら。
「マユ~」
弁当を食べ終わって暫くして、廊下から千夏の声が聞こえて来た。
麻友莉も、既に食べ終えて片付け中だった。
「なぁん?」
麻友莉は弁当箱をカバンにしまうと、千夏の元に向かった。
俺はなんとなく、それを目で追っていた。千夏の他にもう一人、ドアの向こう側にいるみたいだ。
「メグが、数学の教科書忘れたって。一組は今日数学ないのよね」
それほど大声ではないのだが、千夏の声はよく通った。ひょっとしたら、クラスの男子どもが声を潜めているからかもしれないが。
麻友莉は一旦席に戻ると、机の中から数学の教科書を取り出した。三組は午前中に数学があったから、貸し出しても問題はない。
「あ、そうだ」
移動しようとした麻友莉が振り返る。
「森君、メグが来てるから、ついでに紹介するわ」
何がついでなのかは判らないが、可愛い子が居るのなら見てみたいと思う俺は正常な男子だよね、などと自分に言い訳しつつ、麻友莉に付いて行く。
「あ、かっきー」
千夏も俺の動向に気付いて、手招きした。
……友達を紹介されるのは嬉しいのだが、微妙にモヤモヤするのは、なんでだろう?
「はい、メグ。あと、メールの彼、紹介するわね」
麻友莉はドアの影にいる人に教科書を渡した。
……メールの彼って、どんなネタにされているのやら。
千夏はニヤニヤしてるし。俺の反応を見て、弄り倒す気だな。
俺は小さく嘆息して、廊下に出た。
そして。
ドアの影にいた女子を見て。
──固まってしまった。そこに、知った顔があったからだ。
女子の方も、俺を見て、目を見開いて固まってしまった。
「……メグ?」
不信に思ったのか、千夏が声を掛けたところで、
「──かっ、一樹君!?」
素っ頓狂な声で、名前を叫ばれてしまった。
……その声は、かなり広範囲に響いたと思う。思わず頭を抱えたくなったが、俺は努めて冷静に声を発した。
「……久しぶりだね、萌」
名前を呼ばれて正気に戻ったのか、萌はいきなり顔を真っ赤に染めた。
俺も、油断したら赤面してしまいそうだ。
「えっ? ふえっ?」
萌はアワアワしている。かなりパニクっている様子。
だが、それも無理からぬと思う。
遠方へ引っ越すことになり、もう会うことはないかもしれないからと告り逃げした対象と、一年ちょっとで再会してしまうなんて、埒外のことだろう。
そしてそれは、告られた俺の方も同様だ。
引っ越し先を教えて貰ってなかったから、まさかここで再会するとは思いもよらなかった。
……『運命的な再会』って、萌のことだろうか?
あまりの世間の狭さにめまいを覚えた。
※次話以降、更新ペース落ちそうですm(__)m