第三話 転校初日
始業式が終わった後のタイミングで、俺は担任に連れられて一年三組の教室に入った。
綾香さんは五組らしい。同じクラスだと色々面倒なことになりそうだったので、一先ず安心だ。
中の生徒たちは担任の姿を見ると慌てて自分の席に座った。だが、見慣れぬ俺の姿に気付いてか、ざわざわとどよめく。
「みんな、静かに。──転校生を紹介します」
幾人か驚きの声を上げたが、担任に睨まれて静かになった。
担任に促され、俺は黒板に名前を書いた。
「森一樹です。これからよろしくお願いします」
無難な、面白みも何もない挨拶。クラスメイトたちも、とりたてて反応はない。
綾香さんのこともあり、当面はなるべく目立たないようにしようと考えていたから、こんな感じでいいだろう。
「それじゃ、森君。外側の一番後ろがあなたの席だから」
担任に促され、言われた席に向かう。
俺の席の前は男子、その前は女子。隣は女子で、その前も女子、という具合にクラスの座席は男女混成でランダムの様子。
自分の席に辿り着く。着席しようとして、ふと隣の女子がこっちを見ていることに気付いた。
「よろしく……えっ!?」
座りながら挨拶しようとして、中腰の状態で固まってしまった。その顔に見覚えがあったのだ。
「どうかしましたか?」
俺が変な姿勢のままでいる様子に、担任が声を掛けてきた。
「いえ、大丈夫です」
俺はそう返事をして、そのまま座る。
隣の女子はこっそり喉を鳴らして笑っていた。
HRが終わって担任が出て行くと、隣の女子は椅子を引き摺って俺に近付いてきた。
その様子を察してか、俺の前の男子とその隣の女子も俺の方に振り向いた。
「また、会ったね」
彼女の言葉に、前の二人は驚いた顔になった。
「うん。すごい偶然だね」
彼女は、先日会った、路上で携帯電話を落として探していた少女だったのだ。
「ほんと。これって、運命の再会ってやつ?」
運命の再会、か。
先輩に言われた言葉を思い出すも、たかだか数日前にちょっとだけ関わっただけの相手。すごい偶然だとは思うが、そこまで御大層な感想は抱かない。
「……そんな、体を張ってまで自虐的ギャグにしなくても」
「自虐的て。それを言う君の方が自虐的過ぎやん」
二人して軽口を言い合う様子に、他のクラスメイトたちの注目を集めた。
まずい、調子に乗りすぎたか。目立たない様にしようと思っていたの忘れてた。
そんなことを思う俺を他所に、隣の女子は話を続ける。
「ウチ、田中麻友莉、よろしくね。──そうそう、携帯の電話帳、修正しといてよ。この前は名乗らなかったから、名前入れてないでしょ」
言いながら、麻友莉は生徒手帳を開いて俺に差し出した。漢字が判るように、ということなのだろう。
麻友莉の様子に周囲がざわついた。
「……そうだね」
俺は素直に携帯電話を取り出して電話帳の編集を始めた。実のところ、俺から電話をするつもりはなかったのだが、それでもちゃっかり登録だけはしていたのだった。
麻友莉も携帯電話を操作している。俺の名前登録しているのだろう。
「……ねえ。二人はどういう関係なの?」
麻友莉の前の女子が問う。二人の会話に好奇心を刺激されたのだろう。俺の前の男子も身を乗り出して聞いていた。
「ちょっと前に、ばったり出会っただけよ。お茶に誘ったんだけど、この人ウチのこと袖にしよるんよ」
中身を端折られると、ただのナンパ話にしか聞こえなかった。
「電話してくれるの待ってたんだけどかけて来へんし」
「いや、てっきり旅行者かと思ってたからさ」
最初の授業が終わり。休み時間になると、複数の男子が入れ替わりで近くまでやって来た。といっても、俺に用があるわけではなく。隣の席の麻友莉と話をしに来ているのだった。そして男子らの話が終わると、今度は女子が数人寄って来る。
やがて解放された麻友莉は、小さくため息を吐いた。
「モテモテだね」
「嫌味?」
麻友莉が険しい目付きで俺を睨む。が、それも一瞬のこと。
「……ごめん。君は何も事情知らないんやったね」
ため息交じりにそう漏らすと、麻友莉は俺に顔を寄せた。
「ウチ目当てやないんよ。一組と五組に同中の友達がおるんやけど、二人ともすごく可愛くてな。男子はその子らが目当てなんよ。んで、女子は集ってくる男子らが目当てでウチに声掛けてくるってわけ」
妙に卑屈な感じの麻友莉の言葉に、俺はギョッとした。五組にいる可愛い子と聞いて、綾香さんのことかと思ったのだ。極力、綾香さんとは接触しないようにするつもりでいたのに、思わぬところから接点が出来てしまうのかと懸念したのだが。
「なんや、信じられへんって感じ? 後で紹介しちゃるから、見れば判るよ。つっても、五組の子は休みやから、今日は一組の子だけやけど」
──五組の子は休み。綾香さんは普通に登校している筈だから、麻友莉の友達とは綾香さんのことでは無いのかと安堵。
「いや、田中さん目当ての男子もいると思うけどな。田中さんも結構可愛いと思うし」
思わず真顔で軽口を叩いた。
「……真顔でそんな返しに困ること言われると照れてしまうやん」
次の授業で今日の予定は終わりだった。今日は午前中だけらしい。
「さて。すぐに来ると思うから、帰るのちょっとだけ待っててな」
麻友莉の言葉に、俺は素直に従った。さっきの軽口は本心で、麻友莉のことは結構可愛いと思っているのだ。その彼女が卑屈になるほど可愛いという相手に少し興味が湧いたのだった。
周囲を見ると、クラスの男子どももそわそわしつつおとなしく教室に居るあたり、麻友莉の言葉通りなのかと少しドキドキしてしまう。
やがて。
それらしい女子が教室に飛び込んで来た。
「マユ!」
慌しく麻友莉の席に近付いて来る。男どもの注目を浴びながら、気にする様子もない。
ちょっとボーイッシュな感じだが、確かに可愛かった。
「ごめん、マユ。お母さんから電話があって、今日は直ぐに帰って来いって言われたのよ。だから、今日は無理」
その女子は両手を合わせて、麻友莉に謝った。何か約束をしていたのだろう。
「ううん、ええよ。どうせ今日はメグも休みやし」
「ほんと、ごめんね」
その女子が面を上げて。二人の様子を見ていた俺と、麻友莉越しに目が合った。
その様子に、麻友莉もすぐに気付いた。
「ああ、この人は……」
麻友莉が何か説明しようとするのを無視して、その女子は俺の傍まで近付いて来た。席に座っている俺を覗き込むように顔を近づけ、まじまじと見ている。
訳も判らずキョトンとしている俺に向かって、
「かっきー?」
そう、呟いた。
「かっきー言うな」
反射的にそう返事をすると、その女子はニッと笑みを浮かべた。その少年のような笑みに、見覚えがあった。
「……なっち、なのか?」
俺の言葉に、彼女は満面の笑みを返した。
『なっち』と言うのは、小学校卒業まで仲良くしていた幼馴染の大善千夏に俺が付けたあだ名で、『かっきー』は千夏が付けた俺のあだ名だった。俺はその呼称があまり好きではなく、呼ばれるたびに文句を返していたのだ。『なっち』は仕返しのつもりで付けたのだが、千夏はそれを気にするどころか寧ろ気に入っているみたいだった。
「ひさしぶりね。あんまし見た目変わってないから直ぐ判ったよ。声だけは結構変わってるけど」
ここでも、先輩から言われた言葉が頭を過ぎる。元々関わりも深く、偶然の再会。
「そういうなっちは……随分変わってて全然判らなかったよ」
「そうかな?」
「ああ。……すごく、綺麗になってる」
俺の返事に千夏は吹き出した。
実際、すごく綺麗で可愛くなっていた。俺の記憶にある千夏は、顔立ちは整っていたものの、男と混じっても違和感がないくらいだったのだ。それが、今ではちゃんと女の子の顔になっている。
「……もう。ほんと変わらないわね、思ったことをポンポン口にしちゃうところとか」
千夏は俺の言葉が本心であると、初めから疑ってもいない様子。俺が変なお世辞とか言わないタチだったことを覚えているのだ。
「──って、いけない、早く帰らないといけないんだった」
千夏は思い出したように振り返り、麻友莉に別れの挨拶をして──また振り返った。
「かっきー、もう帰るんでしょ? 一緒に帰ろ」
千夏が俺を立たせようと手を引くと、周囲がどよめいた。さっきから注目を集めてはいたが、成り行きを見守っていたらしく静かにしていたのだ。
俺としては目立ちたくはなかったのだが、諦めるしかなかった。
「……ああ、いいぜ」
ここで引っ張っても無用に目立って仕方がない、とばかりに千夏に従う。
麻友莉を誘わないあたり、おそらく麻友莉には何か予定があるのだろう。そして、千夏はそれに付き合う予定だったのか。
「それじゃ」
目を丸くして俺たちを見ている麻友莉に一声かけて、並んで教室から出ようとすると、戸口付近で男子が数人近寄ってきた。
「俺たちも一緒にいいかな?」
成り行きを見守っていた男子の一部が、果敢にも攻勢に出た様子。
「えっと……」
千夏は男子らを見て、俺の方を見て。ニヤリと意地の悪そうな笑みを浮かべた。
その笑みにも見覚えがあった。嫌な予感がする。
俺の知っている千夏は、普段はあまり悪戯をする方でもなかったのだが、時折きっついのを仕掛けてくることがあった。今浮かべている笑みは、その前兆だ。
「今日は一樹と二人きりになりたいから。だから、ごめんね」
案の定、強烈なヤツを仕掛けてきやがった。これじゃヘイト稼ぎ放題だ。
声を掛けてきた男子らは「そ、そうなんだ……」と小声で呟くと、すごすごと引っ込んでしまった。教室の連中ばかりでなく、廊下で様子を窺っていた連中まで唖然として固まっているし。
「それじゃ、いこっか」
千夏は調子に乗って、俺の腕に自分の腕を絡める始末。盛大に注目を集めながら、引き摺るように正面玄関まで連行された。
一旦自分らの下駄箱に分かれて、靴を履いて玄関先で合流。もう腕を組んでくることはなかった。
「あたしバス通なんだけど、かっきーは?」
「俺はチャリ」
「そっか」
並んで駐輪場まで歩く。外ではそれほど注目されることはなかった。
カゴにカバンを放り込み、自転車を押して歩く。
今は何処に住んでいるとか、学校までどれくらい掛かるかなどと話ながら歩いていると、程無くバス停に辿り着いた。バス停は裏門から直ぐのところにあり、大して時間は掛かっていない。
「あ~ん、やっぱり話し足りないなぁ」
俺の方に千夏が振り向いたとき。俺は千夏の向こう側に、見知った顔を見つけ、固まってしまった。綾香さんがそこにいたのだ。
綾香さんの方も俺に気付いたらしく、驚いた様子で目を見開いていた。
「かっきー、今日、暇?」
「あ……ああ、うん。俺は暇だけど」
思わずオロオロしてしまうが、千夏は気にせず話を続ける。
「じゃあさ。家まで乗っけてってくれない? お母さんにも会わせたいしさ」
千夏から親しげに話しかけられている俺の様子に、綾香さんは目を眇めていた。