第十話
それからも、王子の取り巻き連中は綾香さんに絡み続けた。
一応、都度その場で話は終わらせている様で、今のところ危険な様子はない。
萌にも、
「君のクラスの子が上級生とかに絡まれている場面を何度か見かけたけど、虐めとかあるの?」
やや不自然な気もするけど「虐めとかあると学校全体の空気が悪くなって嫌なんだよね」などと言い訳しつつ、訊ねてみた。
クラスではそんなことは全くないらしく、萌もその辺りは噂程度にしか知らないらしい。
王子は、自分の取り巻きが意中の相手に絡んでいることを知らないのだろうか。
取り巻き連中には興味が無くても、綾香さんが絡まれている場面に出くわせば、さすがに放置はしないだろう。
いくら取り巻き連中が王子の動向に気をつけながらやっていても、噂にまでなっているのに、王子の耳に入らないなんてことがあるだろうか?
ひょっとして、孤高の王子と呼ばれるくらいだから、噂話をしてくれる友達もいないのか。
俺は、静かに怒りを溜めこんでいった。
麻友莉から「何や嫌な事でもあったん?」と突っ込まれるくらいには、不機嫌さが滲み出ているらしい。
「虐めの現場っぽい場面を何度か見かけて、気分が悪いんだよ。双方とも女子だし暴力を振るってる訳でもないから、関係ない俺が首を突っ込むのもどうかと思って自重してるけどさ」
「あ~……ひょっとして、王子絡みのやつ? まだ大事にはなってへんけど、エスカレートしかねんよね」
麻友莉も、ある程度のことは把握している様子。
「なあ。なんで王子は動かないんだ?」
「う~ん……多分やけど、王子は周りが見えてへんのやないかな。言い寄ってくる女が嫌いらしくて、なるべく目を背けてるっぽいし」
見たくないから目を逸らしているのか。それで、見たい相手まで見えなくなっていたら世話が無い。
***
ついに、その時が来た。
取り巻き連中も焦れたらしく、綾香さんを連れてどこかへ行こうとしているのを見かけた。
呼び止める理由も思いつかなかったので、俺は後をつけることにした。
綾香さんは、クラブ棟になっている旧校舎の裏へと連れていかれていた。
俺も向かおうとして、その手前で呼び止められた。
「待ちな」
上級生らしい、目付きの悪い女子生徒だった。
おそらく、王子の取り巻きの一人なのだろう。邪魔が入らない様、見張りとしてここにいるのだ。
「なんでしょう?」
俺の方から事を荒立てては綾香さんに迷惑が掛かるだろう。ここは穏便に行く。
「この先は取り込み中で、通行止めだよ」
「……知り合いがこの先に連れていかれたのを見かけたんです。通らせて貰います」
制止を振り切って進もうとしたのだが、回り込んで胸倉を掴まれてしまった。
「行かせねぇって言ってるだろ!」
顔を近づけて、睨まれた。
たけど、言動も顔つきも、堂に入っていない。
王子の取り巻きたちも、元々そういう人たちではないのかもしれない。
王子に邪険にされ、拗ねているのか。
相手は上級生とは言え、身長は俺より低いし、無理やり押通ることは出来そうだった。だけど、大事にはしたくないし、目の前の女性を見て、そんな気にもならなかった。
「そんな顔をしないで。可愛い顔が台無しですよ」
俺は相手の頬に右掌を添えて、そんな言葉を口にした。
「………………ふぇっ!?」
相手は暫く固まったかと思うと、目を見開いて顔を真っ赤に染めた。
身の危険を感じたのか、俺から手を放して慌てて数歩下がった。
「な、な、な、何言ってんのよ!?」
引かれてしまった様だ。
言われ慣れていないのかな? さっきは俺を睨みつけていたので目付きが悪かったのだが、普通にしていれば結構可愛い顔をしている。
もう俺を止める様子はなかったので、旧校舎裏へと進んだ。
そこでは、綾香さんが四人の女子に囲まれていた。
「誰だっ!?」
こっちを向いていた一人が俺の姿を見て鋭い声を上げる。
釣られて全員俺の方を向いた。
綾香さんは一瞬驚いた顔になったが、すぐに険しい顔になった。
「へぇ……三組の色男じゃん。何しに来たの? ひょっとして、あんたもこの女目当て?」
手前に居た女子は、どうやら一年生らしい。見覚えはなかったが、上級生まで俺の事を知っているとは思えない。
「ちっ、明美のやつ何やってんだよ。──あんた、ここに何しに来た?」
最初に俺に気付いた女子に問われる。明美と言うのは、さっきの足止め要員のことか。
「知り合いが拉致られるのを見かけたんでね。つけさせて貰った」
「知り合いねぇ……あたし、こいつと同じクラスなのに、そんな素振り、見たことないんだけど?」
目の前の一年は、綾香さんと同じクラスなのか。
「ああ。親戚だからというだけで、大して仲良くしてもいない相手に傍をウロチョロされたら迷惑だろう? それに、親戚だって理由だけで標的にされたくも無いしな」
ひかりの件を揶揄して言ってみる。
綾香さんの他、二人が目を眇めた。どの程度かは判らないが、二人もひかりの件を知っているのだろう。
残りの二人は知らないらしく、キョトンとしていた。
そこへ。
「大変! 彼がこっちに向かってるって!」
さっきの足止め役の女子が、携帯片手に慌てた様子で駆け付けた。
恐らく、王子の事だろう。王子の見張り役もいて、電話で連絡して来たのか。
「ちっ、行くよ!」
取り巻き連中は全員、反対側に走って行った。……明美と呼ばれた女子は、俺をチラ見して、またちょっと赤面していた。
「……首を突っ込まないでって、言ったよね?」
綾香さんに睨まれる。静かに怒っているみたいだ。
だけど、俺にも怒りはある。
「俺も、見過ごさないって言ったでしょう?」
綾香さんなら。ひかりの様に、精神的に追い詰められたりしないのかもしれない。
だけど、そんな事は関係ない。
身近にいる、家族とも言える相手が、当人に何ら非が無いにも関わらず、嫌な目に遭うとか。俺まで嫌な気分になってしまう。
だから、あくまでこれは、綾香さんのためと言うよりも、自分のための行動だ。
「綾香!」
暫し遅れて、王子がやって来た。既に、視界には取り巻き連中の姿は無い。
「……喜屋武先輩、どうかしたんですか?」
綾香さんは何事も無かったように、そう口にした。
「……いや、君が誰かに何処かへ連れて行かれたって話を耳にしたんだ」
王子は不信そうに俺を見ながら言う。
さっきは見張りの女子に毒気を抜かれ、落ち着いていたのだが。また、胸の内に黒い感情が沸き上がる。
そんな俺の様子に気付いたのか、俺が何か言う前に綾香さんが話をつづけた。
「親戚の彼と、ちょっと話をしていただけです」
「親戚?」
「ええ。……八月から、うちの家で一緒に暮らして貰っています」
驚いた。綾香さんが、自分からそこまで話すとは思わなかったのだ。
「同居……だと!?」
「そうです。無用に騒がれたくもなかったので、学校では他人の振りをして貰っていましたが」
あなたなら、判るでしょう、と。綾香さんはそう言っているのだが。
王子には通じなかったらしい。
「同世代の親戚が同居って……大丈夫なのか? 僕は綾香の身が心配だ──」
「あなたがそれを言いますか!?」
王子の無神経な発言に、綾香さんが切れた。
それはそうだろう。
そういった状況下での問題も、周囲からどんな風に見られるのかも、王子には実体験がある筈なのだ。
それなのに、そんな言葉が出てくるとは。
俺もブチ切れそうになった。綾香さんが切れてなかったら、俺は殴りかかっていたかもしれない。
「あっ、綾香……?」
王子は、綾香さんが何に怒っているのか、よく判っていない様子。
つまり王子は──ひかりの件について、何ら反省もしていないということなのだろう。
「行きましょう、一樹君」
綾香さんは俺の腕を取ると、王子を置いてその場を離れた。
俺は引きずられる様にして、一緒に旧校舎裏から出た……のだが。そこには、萌と千夏が居た。
綾香さんの手は、まだ俺の腕を掴んでいた。