抗魔症 ②
ユーミ視点です
「エルさまぁぁぁぁぁぁ!!!!」
私は目の前の少年……、いや、自らが仕える主に、手を伸ばしていた。
しかし、その手は届かない。
青くまばゆい光に包まれて、少年が消えていく。
鋭く響く、断末魔とともに。
直後、私の手は、エル様の服をつかんだ。
よかった。エル様は、私が――
そう思ったままの方が良かったのかもしれない。
「エル様! よかっ……た?」
「あれ……? ここは、どこ?」
これも何かの運命なのだろうか。私の運命を阻み、妨害するのだろうか。
つかんだ服は、服の持ち主は――
「おく、さま?」
魔水晶に閉じ込められていたはずの、ノベリア様だった。
信じられない。
魔族の私ですら、あんな大きさの魔水晶に閉じ込められた者も、そこから生還した者も見たことが無いというのに。
「信じられん……。なぜ、ノベリア様は、結晶から出られたのだ……?」
医者が驚くのも無理は無いだろう。
抗魔症は魔族の病気。
魔力を持つ魔族でしか発症しないのだ。
しかしノベリア様は、かつて聖女と呼ばれた勇者パーティの一人。
その魔力総量も、魔族と比べても計り知れないものだった。
だが、抗魔症は魔族の病気。
ましてや、長年生きてきた中で、青色の魔水晶による抗魔症は見たことが無かった。
抗魔症によりできた魔水晶は、必ず赤色になるはずなのである。
ノベリア様が人間だからだろうか。
人間だから、魔水晶が青く光っていたのだろうか。
ともあれ、ノベリア様は魔水晶から出ることができたのだ。
それは、エル様が魔水晶に触れたからなのだろうか?
どちらにしても、やはりエル様は私の誇れる主人だ。
……。
でも、何故だろう。
とても嫌な予感がする。
薄々気付いてはいた。
エル様が水晶に触れたと同時に、まるで入れ替わるかのように、ノベリア様が現れたこと。
その直前、エル様が断末魔のような声を上げたこと。
まだ魔水晶が残っていること。
……そして、肝心のエル様のお姿が見えないこと。
刹那、私の中に、いろいろな葛藤がこみ上げる。
――私が気付いていれば、ノベリア様が病に蝕まれることは無かったのでは?
――私が応急処置をしていれば、病の進行を遅らせることが出来たのでは?
――私が医者の魔術を止めていれば、魔水晶が完全になることはなかったのでは?
何もしなければ、エル様は一生このままなのでは……?
……寒気がした。
私はなんということを考えていたのだろう。
よもや、自らの主を、手にかける真似をするなどと……。
吐き気がした。
それでも私は、覚悟を決めなければならない。
恐る恐る、顔を上げた。
「エリオル様……」
覚悟はしていた。
だからこそ、私はこの場から逃げ出すわけにはいかないのだ。
魔水晶に閉じ込められた、我が主を救うために――
幸い、抗魔症により、身体を魔水晶で覆われてしまった例は、過去にいくつか確認されており、魔族内ではそれが一般教養として知れ渡っている。
私が見た書物によると、水晶内では仮死状態となり、肉体は保存される。
――永遠に。
いわば、封印の一種、と言った方が良いだろうか?
だが、救い出す方法は、解明されていない。
でも、やるしかないのだ。私は。
「あ、あの……?」
不意に、ノベリア様から声をかけられた。
ここは医者に任せることにする。
「お医者様、奥様を頼みます」
「あ、ああ。わかった」
さて、抗魔症に冒された病人にやることは、一つ。
吸魔だ。これを魔水晶に打つ。
ただでさえ魔力総量が低い私に吸い取れる魔力量など、たかが知れている。
だが――
「吸魔」
小声で呟いた。
突き出した腕に、魔力が流れ込む。
水晶が淡く輝き出すが、お構いなしに吸い続ける。
それはやがて、限界を迎える。
二、三十秒は吸っただろうか?
本来なら、この程度で限界が来ることは無い。
そう、本来であれば。
進行具合によるかもしれないが、かつて酷く進行した抗魔症の治療を手伝ったときは、七、八分は魔力を吸うことが出来たのだ。
……こんな私でも。
ではやはり、私の予想通り、魔力には二種類あるのかもしれない。
それが、魔族の赤い魔力と、人族の青い魔力。
そして、魔族である私が、人族の魔力を吸うとどうなるのか?
答えは簡単だ。
今私が証明して見せた。
(いや、決めつけるのはまだ早いはず……!)
私はもう一度吸魔を発動し、魔力を吸い上げようと試みる。
しかしその願いは、はかなく消えていく。
(吸い出せる魔力が、減っている……?)
三十秒はおろか、今度はたった十秒ほどしか吸い続けることが出来なかった。
それでも私は、魔力を吸い続けた。
一秒、また一秒と、吸い出せる時間が、魔力が、減っていく。
「……あ」
ついに、魔力の流れが途切れた。
まるで、終わりを告げるかのように、果てしなく残酷に。
(エル様……申し訳ございません……!)
私は、こんな尊い存在を、守ることが出来ないのだ。
やっと見つけた自分の居場所を、守ることが出来ないのだ。
私は――
「女中! その小僧は無事だ! 今はノベリア様を!」
はっとした。
私は何を焦っていたんだろう。
己の力が及ばないから、諦める?
己の知識が無いから、諦める?
なんて失礼なことを、自らの主にしてしまったのだろう。
そうだ。
信じて待つことが、エル様に対する最大限の敬意なのだ。
だから今は――
(エル様……どうか私を、許してください)
勇者様が、ユークラリス様が戻ってくるまで、私は。
二人を、護るのだ。