第十三話 抗魔症
「なぜそれを早く言わん!」
医者は慌てて母さんの服をめくろうとする。
しかし、なかなかめくれない。
「くそっ!」
「私が代わりに」
「早く!」
ユーミさんが、手際よく服をめくっていく。
そこで俺は、何が起こっているのか、いや、自分の想像を凌駕する事態だということを理解することとなった。
「な、なんだよ、これ」
不意に、言葉が漏れる。
何を隠そう、母さんの腹部は、まるで宝石のような蒼く透き通った結晶に覆われていたのだから。
「お医者様! どうなっているんですかこれは!」
「……抗魔症か!」
医者が母さんの腹部に触れる。
「神よ! 失われた我が命を、その力で補い給え! 『回復』」
医者が唱えたのは回復。
それを見た俺は、それが母さんの結晶化した腹部を治すはずだと思っていた。
……思っていただけだった。
結晶が蒼く光る。
そしてその光は、徐々に輝きを増していく。
「……ぅうっ!」
「なっ、母様!」
母さんが呻いた。
誰でも分かるほど苦しんでいるのだ。
母さんはおそらく、俺たちを心配させまいと必死に我慢しているのだろう。
「……いかんっ! 目をそらせぇぇぇっ!!」
「えっ? うわぁぁぁ!!」
唐突に、医者が叫んだ。
同時に、まばゆい光に視界を奪われる。
あまりの眩しさに、思わず顔をそらしてしまう程だった。
直視したら失明してしまうのではないか、と思うほどの、まさしく閃光と呼べる光だ。
「か、母様!!」
光が収まると、俺はその発光源である母さんの方へと目を向けた。
いや、正確には、母さんの腹部だ。
回復を受けた蒼い結晶が、光を放ったのだ。
「……う、うぁぁ」
俺は頭の中が真っ白になった。
結晶が、母さんの身体を、完全に覆ってしまっていたのだから。
「か、母様……?」
一体何が起こっている?
そう、母さんが閉じ込められている。
「助けなきゃ……」
そして俺は、結晶に手を伸ばした。
母さんを助けるために。
「エル様! いけません!」
「小僧、やめろぉぉぉ!!」
叫び声が聞こえる。
誰かが二人、ゆっくりと俺の元へ向かってくる。
しかし今は、一刻も早く、母さんを助けなければならないのだ。
かまっている暇は、ない。
「待ってて、母様。今、助ける」
結晶に手を触れる。
冷たい。
でも、心地いい。
(どうして?)
声が聞こえた。
刹那、俺の中に、何かが流れ込んでくる。
『おお! 聖女様じゃ! 聖女様が現れたのじゃ!』
……これは?
『おめでとう。神は君を、聖女として選んだのだ!』
……誰だ?
『おめでとう、聖女様!』
『まさかあなたが聖女だとはね……ま、おめでとう』
『……おめでとう、聖女様』
頭の中に、何かの光景が映し出されていく。
『そして、君は聖女として、魔王を倒す使命を課された。やってくれるかね?』
『俺はユークラリス・エルンバード。よろしくな!』
『私はフェイ・ランクウェート。フェイって呼んでね、聖女様』
『僕はドリス・カルバ。よろしく』
『こちらのお三方は、それぞれ勇者、魔道士、戦士と呼ばれている、人類の希望として選ばれた若者たちだ』
『そして君が、魔王を倒す人類の希望、最後の一人……聖女だ』
『返事はどうするのだ? ノベリア・ラ・リートレルフよ』
……まて。
どうしてそこで、母さんの名前が出てくるんだよ。
ノベリアという名前が出てくるんだよ!
『さあ、ノベリア。返事は――』
刹那、視界が揺れる。
体内の血液が暴れ出す。
それはまるで、濁流に呑み込まれたかのような絶望感で――
「ぁぁぁぁぁあああああああああああああ!!!!!!」
頭の中で、何かが切れた音がした。
◇◆◇
「……ここは?」
気がつくと、俺は布団をかぶっていた。
慌てて身体を起こすと、古ぼけた家だろうか? そこに眠っていたようだった。
「気づいたか、椎名よ」
声をかけてきたのは、どこかで見たような顔をした老人だった。
しかし俺は、聞き覚えの無い名に違和感を覚えた。
「あの……どちら様ですか? それとシーナって誰ですか?」
「どちら様とは何事じゃ……と、そうだったな」
老人は何やら意味深長そうに言葉を濁す。
「春ちゃん、こっちに来ておくれ。椎名が戻ってきたぞ」
また、聞き覚えのある名前だ。
そして、妙に引っかかる「戻ってきた」という言葉。
……俺は、ここに来たことがある、ということなのだろうか。
ばたばたと音が鳴り、襖障子が開く。
現れたのは、白い着物を身にまとった、美しい少女だった。
「おはようございます、椎名さん」
また、シーナと呼ばれた。
何故だろう、とても懐かしく感じられるのは。
そして、少女の格好に違和感を覚えるのは。
「あの、赤い着物はどうしたんですか?」
「え?」
「え、あ……なんでもないです。僕、何を言ってるんでしょうね、あはは……」
言葉に出てしまった。
自分でも、声に出していて分からなかった。
彼女と会ったのは、これが初めてのはずなのに。
「あの、椎名さん……?」
心配するそぶりを見せる、少女の表情。
……見覚えがある。
俺はあわてて部屋を見渡した。
「ビワの実……」
……そうだ。
俺は覚えている。
裏山で、このビワの実を摘んで……。
「お前さんが持ってきた木の実か。行ったとおり、あやつに食べさせたぞ」
老人が、開いたままの襖障子を指さす。
……にやり、と不敵に笑って。
「なっ!」
真っ白い毛に覆われたさわり心地の良さそうな胴体。
抜けているように見える愛らしい表情。
秋田犬のような見た目をした……オオカミ。
「……ジェムウルフ」
――全てを、思い出した。
大好きな女の子に裏切られたことを。
人生に絶望していたことを。
両親が死んだことを。
安村先生に助けられたことを。
松尾七瀬に気にかけられていたことを。
そして俺が、椎名浩太であることを――
「思い出したか、椎名!」
「……太蔵さん、春ちゃん、お久しぶりです」
俺は五年前、祠の前で倒れていた女性を助けようとして、意識を失った。
そうしてたどり着いたのが、ここだった。
そしてその後、赤子としてエルンバード家に生まれた。
いわば、異世界転生したのだ。
しかしどうだろう。
転生というのは、主に精神体になった場合にしかおこらないはず。つまり、椎名浩太の肉体が死んでいなければならないという前提があるのだ。
だが今、自分の身体を見てみると、椎名浩太の肉体である。
「……でも、どういうことですか。僕は一度、エリオル・エルンバードとして生まれ変わったんですよ」
己の疑問をぶつける。
椎名浩太は生きている。
だが、転生という肉体の乗り換えをした。
こんなこと、あるはずがないのだ。
「ほう。わしらは一言もそんなことを言っとらんのにのう。よもや自力で気付くとは」
太蔵さんは、またもや不適な笑みを浮かべる。
その笑みは、俺の全てを覗いているような、そんなおぞましさがあった。
「……椎名浩太は、極めて危険な状態じゃった。だが、死んだわけではない」
「死んで、いない……?」
「ああそうだ。肉体は生きておった」
「な……」
肉体が生きていたのなら、何故転生出来た?
転生という行為は、肉体が死んでいなければならないことではなかったのか!?
「……椎名浩太。お前は、心が死んでいた」
その言葉が何を意味しているのか――
俺にはまだ、分からなかった。