第十話 VSフェンリル
---ユーミ視点--
私は、今日でエル様への指導を終わりにしようと思っていた。
今の私では教えることがないくらいに、エル様が成長していたからだ。
セツナ様という友人もでき、遊ぶ時間が必要だろうとも考えていた。
だから最後に、召喚魔法を教えようと思った。
それが大きな間違いだった。
私は、心のどこかでエル様を侮っていたのだ。
そう、エル様によって呼び出された魔獣は。
「フェンリル……?」
ドサリ、と音がした。
エル様が倒れている。
「エル様! 大丈夫ですか!」
エル様を抱きかかえ、体をゆする。
息はしている。
大丈夫、気を失っているだけだ。
「ほう。魔族か」
私は振り返り、声の主を見る。
それの放つ言葉には、圧倒的な威圧感を感じた。
背丈はエル様の二倍ほどだろう。
しかし、滲み出る威圧感が、その大きさを何倍にも見せている。
貫禄のあるたたずまいからは、強者の余裕を感じられるほどだ。
間違いない。
――魔狼、フェンリル。
その姿、風格、美しさは、昔私が見たものと、同じだ。
かつて、同胞でありながら対立していた魔族を、一年にしてまとめ上げたカリスマ、魔王。
その相棒であるフェンリルが、なぜここにいる。
「おい、魔族の女。その人間は、お前の主人か?」
その瞬間、私ははっとした。
目の前にいるフェンリルは、エル様が召喚したのだ。
「答えろ、女」
「はっ。そうでございます」
言わされた。
しかし、そんなことはどうでも良かった。
私の主人は、エル様は、この圧倒的な存在を召喚して見せたのだ。
「しかし、妙なことをする魔族もいたものだ。人間と共存するなどと……。
いや、淫魔なら可能か」
フェンリルの言葉すらも、私には届かなかった。
そこに残っていたのは、エル様への尊敬、そして。
――恐怖だけだった。
---エリオル視点---
「……ぐっ」
頭痛と共に目が覚めた。
最悪な目覚めだ。
だが、俺はこの感覚を知っている。
魔力切れで気絶したとき、こうなるのだ。
「エル様! お気を確かに!」
揺れる視界に、ユーミさんと思わしき姿が現れる。
その顔は、酷く思い詰めている様に見えた。
……そして俺は、召喚魔法を使っていたことを思い出す。
「召喚魔法は!?」
俺は勢いよく起き上がった。
魔力枯渇の影響で頭が痛い。
「よもや我が、人族の子供ごときに呼び出されるとはな」
声の方に目をやる。
……オオカミのような姿をした動物が、俺を見ていた。
いや、オオカミよりもオーラがある。
なんというか、神々しい。
「おい、人間。貴様、名はなんという」
声をかけられた。
いや、違う。
テレパシーだ。
魔法か何かで直接語り掛けられている。
「……エリオル・エルンバード」
「エルンバード、か。……貴様、『勇者』という単語に聞き覚えはあるか?」
「勇者は僕の父親です」
その瞬間感じた殺気。
目の前には獣、いや、化け物。
この状況が何を意味するのか。
理解したときには、吹っ飛ばされていた。
「がはっ!?」
「エル様!」
魔力はない。
だが、まだ体力は残っている。
痛む頭を気力で押さえつけ、立ち上がった。
「勇者の息子が、この我を呼び出しただと!?」
オオカミが俺にとてつもない殺気を向けているのが分かった。
怒りで我を忘れている。
……どうする。
どうすればいい。
「エル様、これを!」
ユーミさんが何かを投げてきた。
受け取ると、緑色の液体が入った小さな瓶だった。
「エル様、そのポーションを飲んでください! 早く!」
ポーション。
確かゲームでは、MPが回復する道具だったはずだ。
ならばこの世界では、魔力が回復するのだろうか。
俺は瓶のふたを開け、ポーションを一気飲みした。
味は分からないが、飲んでいくうちに頭痛が和らいでいった。
試しに水を出すと、出た。
……魔力が回復している。
オオカミは……いない!?
「エル様、後ろ!」
「『筋力強化』!」
ユーミさんの声に反応した俺は、その場から跳んで攻撃を回避する。
瞬間、俺のいたところには爪の斬撃が飛んでいた。
「っぶねえ!」
続けて俺は、走りながら探知を発動。
オオカミの位置の把握を試みる。
しかし、それをするには遅すぎた。
「ガアッ!」
大きな衝撃に、身体は宙を浮いていた。
オオカミが体当たりをしてきたのだ。
目の前には大岩。
まずい、ぶつかる!
「鏡の花ァァァ!」
何故か俺は、魔法の名を叫んでいた。
ある少女から貰った、あの魔法の名を。
(セツナ!)
岩に淡い光りの花が咲く。
ほんの一瞬の出来事だった。
俺は、花に包み込まれるようにして、岩に衝突した。
(……痛く、ない?)
パリン。
クッションのように柔らかく反発した花は、一瞬にして割れて消え去った。
「花が衝撃を吸収したのか?」
なおも向かってくるオオカミ、ユーミさんは動けないでいる。
酷くスローモーションな世界で、俺は考えていた。
ユーミさんはなぜ逃げないんだ?
……逃げられないのか?
こいつがユーミさんに何かしたのか?
……おい、エリオル。
お前、こんな身近にいる人を守れていないじゃないか。
何が覚悟だ。
何が強くなるだ。
結局お前は、人に守られてばかりじゃないか。
お前は何のために魔法の鍛錬を積んできたんだ。
お前は何のために魔法を創ったんだ。
目を覚ませ。
目を覚ませよ、エリオル。
「『鏡の花』ッッッッッ!!!!」
……ああ、そうだ。
俺は、弱い俺が嫌だっただけなんだ。
誰一人守ることのできない、俺自身が。
だから実感しろ。
人を護るという、覚悟を――。
「グオッ!?」
オオカミが吹っ飛ばされる。
容赦はしない。
まずはその俊敏な『動き』を殺す。
起き上がったオオカミに、魔力を纏わせる。
「『拘束』」
その魔力を『鎖』に変換して、締め上げる。
強く、強く、締め上げる。
「が、あ、が……!」
もがき苦しむオオカミに近づいていく。
一歩、また一歩と近づくたび、オオカミの顔が歪んでいく。
美しい顔が台無しじゃないか。
待ってろ、今、楽にしてやる。
俺は水を上空に打ち上げる。
その温度を弄り、氷に変換する。
その時、鋭く成形してやる。
これ以上ないくらいに、鋭く。
……それを、オオカミに向かって落とすのだ。
「『氷柱の斬撃』」
上空から放たれた氷柱の斬撃が、オオカミの身体を貫いた――。
――――――。
――――。
――。
「……なぜですか、ユーミさん!」
俺が放った氷柱の斬撃は、オオカミの身体を貫いたかに思えた。
しかし、実際は違った。
その身体は、魔法陣の結界に護られていたのだ。
それを貼ったのは……ユーミさんだった。
「落ち着いてくださいエル様! 召喚した魔獣を殺めるおつもりですか!?」
その言葉に、俺ははっとした。
俺は一体何をしていた?
どんな魔術を創った?
なぜ、ユーミさんが怒っている?
どうして魔獣に、鎖が巻かれている?
少し前まで俺を支配していた感情が、霧散する。
「お、俺は一体、何を……」
「覚えていないのか、勇者の息子よ」
声をかけてきたのは、ついさっきまで戦っていた相手。
神々しいオーラを放つオオカミだった。
「いきなり襲い掛かってすまなかった。……その、貴様の父親には、因縁があるのでな」
先ほどまでの殺気は、微塵にも感じられない。
落ち着いた、柔らかい物腰だった。
「先ほどの魔法、見事だったぞ。長い間生きていたつもりだったが、あのような魔法は初めて見た。あの女が結界を貼らなければ、我は死んでいたやも知れぬ」
「……死を目の前にしたのに、怖くないのか?」
「怖い? ハッ、ぬかせ。
貴様の魔法が我を貫かんとしたとき、胸が躍って仕方がなかった。
お前のような存在、魔王以外に見たことないわ!」
オオカミが愉快そうに笑う。
「……殺される覚悟もない小物が、戦場になど出られるものか」
オオカミがぽつりと漏らした。
その言葉が、心に刺さった気がした。
ごもっともだった。
「そう気を落とすな。……貴様を我が主と認め、契約を結ぼう」
そう言うとオオカミは、傷口から滴る俺の血液を、ペロリと舐めた。
「我が名は魔狼・フェンリル。……よろしく頼む、我が主よ」