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しかし、その足取りはすぐに重くなった。
「ぜーぜー……。なんで、こんなに、階段、長いの……」
真っ直ぐに伸びていたかと思った階段は外壁をなぞるかのように、ぐるりと螺旋状に張り巡らされているため、進めど進めど、次の階が見えない。
「魔法のバッグと同じで、魔力の影響を受け続けている塔は、実際の外からの見た目以上に中が広くなっている……こんな設定いらないわよね」
「設定というか……それがあるから、私たちは助かったいるんですけど」
エーコの八つ当たりともとれる苦情に息を少し弾ませただけのセレナが応える。
「あ、頂上だよ」
我慢できず、自然と前を行っていたシロクがそんなことを言えば、膝に手をついていたエーコも必死に気力を振り絞って、重たい足を持ち上げて一歩ずつ、着実に階段を上る。
「でも、シロクくんみたいに汗一つかかないのは異常ですよ」
セレナもあまりの暑さにフードをもう一度被ろうとは思えないし、ここにはこの三人以外モンスターの一匹とていない。
安心はできるのだが、だからって最上階までの道のりが優しくなるわけではない。
セレナに背中を押されながら最後の一段のところで待っていたシロクに追いついて隣に並ぶ。
目に見える範囲で正面は行き止まりだが、右側に扉のないドアのようなものがあり、その向こうに部屋があると思われる。
最上階の部屋――塔治者を目指すモンスターが地下迷宮からあがってきては居座ったり、そこを守るために、その下の階を縄張りにして塔破者を待ち構えたり。
「この先に本物の塔治者がいる、なんてことはないわよね?」
「それはないと思いますけど……」
年上であれ心配性なところは、ちょっと自分に似てるな、などと思うセレナ。
「いっせーのせっ!」
三人は声を揃えて最後の一段を上り、隣の部屋へとすぐに踏み込んだ。
その瞬間、恐怖や不安というものは一瞬で吹き飛んだ。
「うわああぁ……綺麗……」
「なにこれ。すごい……」
エーコとセレナが口を間抜けに開いたまま、天井を見上げている。
まだ昼であるはずなのに、この部屋にはまるで星空が頭上で輝くかのような幻想的な光景が広がっていた。
「天井に小さな穴がたくさん開いていて、そこから太陽の光が差し込んでる」
目の良いセレナがそれに気づく。
「なるほどね。地下迷宮から上がってきたモンスターがここで過ごして、少しずつ太陽の光に慣れて、日中は鈍るはずのモンスターの動きも、塔治者レベルになると逆転しちゃうってことなんだ」
壁には窓もなにもないのに、到底手が届かない高さにある天井に無数の穴が開き、そこから差し込む太陽光のせいで、ここが塔の中であることを忘れてしまうぐらいに明るいのだ。
こんなところにいたら、昼間は動き回り、暗くなったら眠るという、人間と同じ生活習慣になるのも頷けるかもしれない。
「アラクネロイトーのような蜘蛛のモンスターには、こうも広くて明るい部屋は落ち着かなかったのかもしれないわね」
塔治者でありながら最上階を根城にしなかったアラクネロイトーのことを、エーコは思い出す。
「確かに蜘蛛って軒下とか、陽の当たらないところに巣を作ります」
ここでは日中、満足に休めないため巣は作れない。
「なんか石があるよ」
シロクが奥へと恐れることなく踏み込んでいくと、そこには傾斜のついた台座がある。
高さはシロクの胸下ぐらいまであり、横幅と縦幅は両手を伸ばしても届かないぐらい大きいだけでなく、塔の壁や地面のような土っぽさはなく、綺麗に磨かれた岩のようだ。
この環境の中でそれは異彩を放っている。
「なにが書かれているのかわからないけど、真ん中に宝石を置いて、塔破者が左の手の平を台座に触れろってことかな」
いつのものかわからないが、誰かの左の手形が血でべっとりとついているが、当然それは乾き、掠れてしまっている。
「どういうことですか?」
「うん。あのね、塔破者の左手の甲に宝石を近づけると、ほら」
セレナに聞かれて、エーコは大事に持っていた宝石を自分の手の甲に近づけると、ぼんやりとなにかが浮かぶ。
「これはね、塔の一階部分を表している――なんて言う人もいるけど、どんどん塔を攻略していくと、この左手の甲の光が、どんどん高くなるみたいなの」
セレナの甲にもエーコが近づけると、エーコと同じようなものが浮かぶ。
当然、それはシロクにも浮かんでいたものと同じだ。
「これがどんどん高くなると、塔破者としてのレベルが上がるってことなんでしょうか」
「そうだと思う。それによって次の塔とか、受けられるサービスや補助も変わるんじゃないかな」
だからこの国では、塔破者であると名乗ればなにかと左手の甲の提示を求められる。
それは塔破者の証であり、それを知っている者には塔破者の実力も知ることができる。
「じゃあ、ここに手を置いて、宝石を置けば、レベルが上がる……」
「やろうよ、はやく!」
両手で台座に触れているシロクは今にも抱き付いてしまいそうだ。
セレナはエーコに頷いて、左手を台座に触れさせ、エーコも左手を台座に置き、宝石を右手で摘まむ。
「こんな時に言うのもあれだけど……本当にありがとう」
「お礼なんていらないよ」
「あと……」
言い難そうに顔を背けるエーコ。
「改めて……私をシロクくんの仲間――これからずっとパーティーにいれてくれないかな?」
一世一代の告白――
「いいよ」
そのつもりでお願いしたはずなのに、シロクは夕飯を決めるかのように一切の躊躇もなければ、まったく感慨や感動もなく、即答してみせた。
(意味わかってないわね……)
ガックシ、と肩を落とすエーコは、セレナを見た。
(あなたはいいの?)
目線だけで、そう訊ねているのがわかった。
「私はまだギルドに所属しているので、簡単に抜けることは……」
「そうだね。とっとと塔の外に出て、ドドンメとグルリポに話して、セレナを自由にしてもらわないとね」
子供の中では、一番の稼ぎ頭であると言われている自分が、そう簡単に抜けることができるのか――セレナは不安に思うものの、シロクに知られてしまった以上、どうすることもできないことを学んでいる。
シロクなら、どうにかしてくれる。
「じゃあ、やるわよ」
自分を含めた三人が左手を載せているのを確認して、エーコは宝石を置いた。
台座がぼんやりと光ると、三人の左手の甲が熱を持って、こちらも同じように光が浮かぶ。
しばらくその光に目を奪われていると、台座も左手も光を失ってしまった。
「これで終わりなのかな……?」
エーコが心配になりながら、宝石を拾い上げて左手の甲に近づけると、
「高くなってる」
見慣れた左手の甲の光が、数センチだが確実に高くなっていた。
「セレナちゃんも、シロクくんも、同じだね」
順番にしっかりと確認する。
「これで私たち三人が、この塔をクリアしたってことだ」
あまりの嬉しさに、はあ、という安らぎのため息が漏れてしまうエーコだったが、
「塔の壁の脈動が止まってる」
シロクが言うと、二人はそれぞれに首を巡らせて凝視をする。
「本当だ……。これで塔治者が不在の塔になっちゃったんだ」
こうなればモンスターも数日間、地下迷宮から上がってこなくなると言われている。
「あの、これ見てください」
セレナがあることに気づいて、二人を手招きをして呼ぶ。
揺れの止まった外壁の一部を指差すセレナ。
「名前だ」
壁に刻まれている、シロク、エーコ、セレナの三人の名前。
周りを見れば、そこかしこに色々な人の名前が刻まれている。
「これが生きる塔が認めてくれた証なのかな……」
今は安全でも、モンスターや塔治者がいる時ならば、誰も簡単に確認にはこれないが、三人の前にはしっかりとそのこ光景が焼き付いていたことだろう。
「じゃあ、全部の塔に僕たちの名前を刻もう。そうすればみんな勇者だ」
勇者になりたい、と言っているのはシロクだけだが、それも悪くないのかな、と思う二人だった。
「ふふ……」
「おお、セレナが笑った。泣きながら」
涙を零して笑いだすセレナ。
「どうしたの?」
「いいえ、嬉しくて……。シロクくんと出会えてから、色んなことがあった。これから大変なことだらけだろうけど、シロクくんがいたら、どうにでもなりそうな気がする」
「それは私も思った。でも、危なっかしいのよね」
「その危なっかしさは周りを巻き込むんですよ」
セレナとエーコは、二人で大きな声を出して笑った。
「なにが面白いの?」
その女同士の楽しそうな中に入っていけないシロクは、不思議そうに首を傾げていた。




