04
塔内部――。
初めて入ったシロクは、足を止めて興味深そうに周囲を見回していたが、グルリポはどんどん奥へと入っていく。
「早く来い。そこにいると邪魔になる」
「はい!」
シロクは良い返事をして、グルリポを追いかける。
「それより、あの受付の女だが――」
グルリポは忌々しげに、その女性の話題を口にすると、シロクがその言葉を奪うように、
「足、包帯巻いてたけど、ケガしてませんでしたね」
「……わかるのか?」
「はい。本当にケガをしていたら、モンスターと戦う可能性のある受付なんてしないと思いますし、あの武器を使おうとしたら釣竿を振るように踏ん張る必要があると思います」
「そ、そうだな……。お前、目もいいのか?」
耳や目がいいだけでなく、一瞬でそこまで理解する能力。
「普通ですよ」
それをシロクはなんでもないように言うのだから、グルリポはシロクの才能と一言で片づけていいのかわからない、数々の力に言葉を失った。
「……まあ、ああいうずる賢い連中が多いんだ。塔破者になったはいいものの、塔で仲間を失ったり、大ケガをして戦意を失ったりと、塔を攻略する気はもうないのに、塔破者であることを忘れられずに、安い給料で塔の中と外、その境界線で仕事をして、塔破者である振りをして、自分を誤魔化してるんだ」
「自分を?」
「さっき前に並んでいた連中もそうさ。本当なら、もっと内側の塔に挑めるだけの経験を積み、実力もあるのに、それをせず、こんな弱いモンスターしかいない塔で金を稼ぐ。攻略なんてことは考えちゃいない」
シロクはすべての塔を攻略する塔破者――正真正銘、誰もが認める本物の勇者になりたがっている。その憧れの一歩を踏み出した矢先、上を目指さない塔破者が、こうもたくさんいる現実を知ってしまった。
それはつまり、挫折をした人間の数でもあるのだ。
「シロクのような向上心の塊には辛い現実かもしれないが」
「それは仕方ないですよ」
「……そうか?」
「さっきグルリポさんも言ってたじゃないですか。その日の食事代を稼ぐだけで満足する人たちがいる。そういう人はそういう人でいいと思います」
シロクの意思はなにも揺らいでなどいない。
「強くなろうとしない人は強くなれない――僕に戦い方を教えてくれた人はそう言ってました」
「ふーん。いい師匠だな」
「だから、夢も言葉にしたら現実になるんですよ!」
「夢、か……」
シロクの夢は塔破者となり、その中でもすべての塔を破る勇者になることだ。
ただの小銭稼ぎで満足をしている人たちは否定しない。
それでもシロクは他人がどうであろうが関係なく、自分が一番の塔破者になることだけを夢見ている。
「塔破者、勇者になり、僕は恩を返すんです」
「師匠にか?」
「はい! 師匠もそのうちの一人です!」
グルリポは自分がさっきまで列にいた他の塔破者たちと、なにも変わらない現実を思い出し、暗がりの中であってもシロクの姿は眩しく見えて仕方なかった。
(それにしても、こいつの師匠ってどんな化け物だ……?)
直接の教えを請うことはなくとも、誰もが闘技場で見られるような塔破者に憧れる人たちの『戦い方』を見ている。そこで誰かに見られるそれは、どこかで他の誰かから見て学び、自分の技にしたに過ぎない。
誰にだって師匠と呼べる存在がいるが、こんな十五歳になったばかりのシロクほど体を戦闘向きに動かせるように教えられる者が、この国のどこにいると言うのだ。
そんなやつがいるのなら、とっくに勇者と呼ばれる存在が現れ、塔をすべて破っていてもおかしくない。
(そういや、昨日の夜も俺に金をくれたな……。知らないことを教えたから……)
グルリポは不思議そうに、グルリポからの指示を黙って待っているシロクを見て考える。
(こいつの師匠は一人や二人ではないな……)
闘技場での『新米勇者候補決定戦』を見ることはできなかったが、手にする武器や、その扱い方である程度の流派は絞れる。
「……本気で修行なんてしたことのない俺には無理だがな」
自虐的に苦笑を漏らすグルリポ。
「ところで――」
シロクは勝手に身動きをしないものの、足をその場から動かさずに忙しなく視線を動かして、この中で確認できるものを目ざとく見つける。
「あっち、なんか光ってるのなんですか?」
薄暗い塔の内部・迷宮であるが、塔の壁にはところどころ隙間が空いているため真っ暗になることはない。
それでも外壁から離れた奥へと行けば光の恩恵は一切受けられなくなるが、シロクの見る方向からは淡い紫色の光が漏れて見える。
「そっか。朝一だから残ってるんだな。ラッキーだぞ、シロク。行ってみてみるといい」
シロクについた枷を解き放つかのように言うと、シロクはスキップでもするかのように飛び跳ねて曲がり角の向こうへと突っ込んだ。
「恐怖心なしか……」
奥に行けば暗闇、そしてこの塔の中にはそこらにモンスターがいる。
それもここは一階だ。
地下迷宮から上がってくるモンスターが必ず通る場所――タイミングが悪ければ、一番モンスターが多い場所にもなりかねない。
「うわあああああ、きれえええええええーーー」
角の向こうにはグルリポの想像した通りの物があったらしく、シロクが感嘆の声を上げて喜んでいる。
「まだ手を出すなよ」
自分が初めて塔に入った時も、同じように興奮していたかな、なんてグルリポは本来の目的を一瞬忘れかけたが、シロクと合流する前に頭を振った。
(いけないな……。こんな楽しいやつと、長い時間一緒にいちゃいけないよな……)
塔の中で、改めて気持ちを切り替えて、シロクと合流する。
そこに広がっていた景色を、グルリポは何度も見たことがあるが、何度見たって息を呑むような圧巻の一言だった。
壁や天井、地面の作りは他と変わらないのに、壁近くの地面には、淡い紫色の光を放つ花が咲いている。
「それは毒消し草になる花だが、専門知識がないとただの暗闇で綺麗に光る花でしかない」
「特別な加工が必要ってことですか?」
「そういうことだ。でも、根本から積んでいけば、魔力を保ったまま保存ができるので、外の町で使えるエネルギー資源になるから、買い取ってもらえるぞ」
「毒消し草にはできないけど、お金にはなるんですね!」
「紫色の花は毒消し草だが、緑色の薬草に比べると燃料効率はいいから、五ゼンぐらいだけど緑色よりは高く買い取ってもらえる」
「すごいんですね!」
シロクは慎重に根本から紫色の花を丸ごともぎ取る。
「そこにあるの全部採っちまえ。種とかで繁殖するわけじゃなく、モンスターが通ることで生えるから遠慮するな。それどころか、他のモンスターが通って迷宮が変化したら、それは埋まっちまうかもしれないしな」
「勉強になります!」
シロクはいつかした、思い出の中の農作業のように花を一つずつ丁寧に採っていく。
「俺が預かっておいてやる」
毒消し草をまとめて、グルリポはポーチの中にしまう。
「お前もやっぱバッグとかあった方がいいな。先に買ってくるべきだったか」
自分で採ったものが、ポーチやバッグの中がいっぱいになっていくと、冒険をしている実感が湧いてくるのだ。
「ところで、ここに花が咲いているってことは、モンスターが通ったんですよね?」
「そうだな。俺たちが入ったのが朝早かったから、まだ誰もこのルートは通ってなかったんだろう。ラッキーだな」
笑うグルリポ。
何度も塔の中に入っていれば、こうやって誰にも気づかれずに運良く残っている場所が、入り口のすぐ近くで見つけられることもあるが、こんな一番簡単とされている都市部から一番遠い場所にある塔では珍しいことだ。
「朝だと多いんですか?」
「ああ、そうだ。というか、知らないのか?」
花を狩り尽くしたことで足元の光源は消えてしまったが、グルリポのポーチからは紫色の光が漏れていて、どこか幻想的だ。
「モンスターは日の出とともに、活発に動き出す。陽が落ちた後は、地下迷宮にいるモンスターはほとんど出てこず、すでに出てきたモンスターしか塔の中にはいないから、こうして人の集まる塔は、朝早くから並ぶんだ」
「んん?」
不思議そうに首を傾げるシロクの記憶の中に、闘技場で左手にハンコを捺してくれた男のことが思い返される。
『あと、これは噂レベルの助言だ。――塔には夜、入るな。モンスターは夜に活性化する。まあ、それを目当てに入るやつもいるっちゃいるが、お前のような右も左もわからないガキはやめておけ。忠告だ。こんなことを教えてくれるお人好しは、俺ぐらいなもんだ』
「勘違いだったのかな?」
あの男は夜はモンスターが強くなるから入るなと言い、グルリポは夜はモンスターがいなくなるから入る意味がないと言う。
「噂か」
シロクは目の前にいるグルリポ――実際に塔に入っているグルリポを信じることにした。