08
塔の入り口近くの右の壁に大きな穴が開いていた。
そこからは今もまだゴムゴブリンやウルルフ、他にもシロクの見たことのないモンスターがゾロゾロと吐き出されるようにして出てくる。
それを止めるには、モンスターを倒すのはもちろんだが、それ以上に穴を塞ぐ必要があり、それをするためには、こちらも人数を割いて、モンスターの討伐と穴の補修をしなければならないのだが、穴の補修をしようにも、塔治者がいては満足に作業ができない。
穴を開けたのも、モンスターを引き寄せているのも、すべて塔治者だ。
塔破者になったばかりにも関わらず、直近のリーヴ・リリースが十年前であるにも関わらず、対処法を知っているシロクは、モンスターの集中している塔の横穴ではなく、入り口を目指していたにも関わらず、そこが塞がれてしまっている。
「あんたは、なんで邪魔をするんだ」
人間一人が通るのがやっとのような小さな入り口を塞いでいるのはモンスターではない。
シロクの記憶の中にも、未だに残っている大男。
『新米勇者候補決定戦』で、最後の一席を争っていた、身の丈ほどもある木製の大剣を担いでいた大男――毎度、準優勝と、今一歩のところで優勝を逃し続けることで名を馳せている。
「ドドンメさん」
永遠の二番手とまで揶揄されていながら、その実力を見るものが見れば、圧倒的であると納得できるだけの実力を持ちながら優勝できない不遇の男。
そんな彼も、エーコとは別の場所――『新米勇者候補決定戦』を娯楽として楽しんでいる人たちの間では、誰もが知るような有名人だ。
外周区で活動をしているエーコはその外見の美しさと、豊満な胸のおかげで塔破者や塔破者が利用する店の人間には有名だが、ドドンメはこの都市の外周区に住んでいる誰もが知っているような人間だ。
塔破者に最も近い場所にいながら、最も塔破者になれない男。
「あんたは確か塔破者のエーコだな。こんな別嬪に覚えてもらって嬉しいもんだ」
ドドンメに対峙するシロクの背後で、セレナが力なく座り込んだ。
「その声……」
「あん? どうした? 我がギルドメンバーのセレナ」
え、と小さな声を漏らしてエーコが隣を見れば、セレナは俯き肩を震わせている。
「毎日、ノルマの一万ゼンを入れてくれる、貴重なガキだ。お前が一番稼いできてくれる、うちの稼ぎ頭だ」
あっはっはっ、と声高に笑うドドンメ。
「あなたが……私のリーダー、なんですか」
どうにか振り絞った言葉に、ドドンメは口の端を歪める。
いつも暗闇の向こうにいて、顔も姿も拝むことができず、声だけを聞いていた存在。
そのおかげで姿の見えないリーダーよりも、いつも背後にいるグルリポに対しての恐怖心の方がセレナには強かったが、だからって正体を知らなかったリーダーが怖くないわけがない。
むしろ、あれだけの戦闘をこなせながら、なぜに優勝できないのかと塔破者になってから抱き続ける疑問は、常に頭の片隅にあった。
「どうして……。あなたは塔破者ではないはず」
(『新米勇者候補決定戦』に出ているってことは、塔破者の資格を持たないってことだものね。それなのに、ギルドのリーダー……?)
それで成り立つのか、とエーコは疑問に思うが、セレナの様子を見るに、顔や姿を隠して、リーダーを演じていたのであれば、その一日一万ゼンというノルマをセレナのような弱い子たちに課すことで、ギルドを大きく保っていたのではないだろうか。
「ああ、俺は塔破者ではないが――」
ドドンメは大剣の切っ先をシロクに向ける。
「お前が、俺の邪魔をしやがったな!」
「なんの話」
シロクが警戒しながら訊ねると、ドドンメは足場にしている瓦礫に大剣を突き立てる。
「俺はな、役人に金を渡して『新米勇者候補決定戦』の開催時期を操っていた」
「そんなことができるの……」
セレナの率直な疑問に、エーコは応えられない。
ありえないと否定ができず、あるかもしれないと考えてしまう。
「俺の都合のいい時にゲリラで開く。そこで塔破者に夢を見ている、なにも知らないガキをわざと優勝させる。するどどうなる? 塔破者になって、五万ゼンという大金を得たガキはもっと金が欲しい、塔に入りたいと思うようになる。そこでグルリポが声をかけて、手助けをする振りをして、恩を売る」
リーダーの声で、ドドンメの顔で、セレナの記憶に新しい過去が、まったく別の悪意に満ちた視点から語られる。
「その先は簡単だ。優しくしてやったグルリポがギルドに誘えば、そいつらは憧れを抱いて加入する。そこで俺たちは優しく守ってやるために、金稼ぎを命じる。そりゃタダ飯を食わせるわけにはいかないからな。高い金を払って、弱くて素直そうなガキを選定しているんだ」
「う、うわぁぁぁぁーーーーー」
悲鳴のような声をあげ、頭を抱えて泣き出すセレナ。
この男が憎い――いいように動かされた自分の愚かさが憎い――ギルドが憎い。
死にそうになってまで、行く場所がないから殴られている自分よりも先にギルドに入った子供たちが可愛そうで仕方がない。
これなら母の元にいた方がよかったかもしれない、という思いを必死に押し留めていたのに、この一人の男に騙され続けたことで、優勝という栄光も、塔破者という憧れの肩書も、すべて霞んで消えてしまった。
「だけど、問題が起こった。つい先日のことだ。俺たちが、イキのいいガキを一人選んで見つけたっていうのに、お前のようなどこの誰ともわからんガキが優勝しちまったんだからな」
「僕はあんな連中に負ける気はしない」
それぐらい余裕を持って戦えていたことは確かで、楽しむ余裕すらあったのに、今はちっとも楽しい思い出でもなんでもない。
すぐ近くで大事な仲間が泣いている。
セレナを泣かした悪いやつが、目の前にいる。
強く握り過ぎた拳がうっ血している。
「お前のような自己中な、戦闘の強いガキを取り込もうにも、協調性がなければ、誰かに助けを請うような人間でもない。だから、グルリポとセレナを使って、どうやってでも、仲間に引き込めと命じていた。お前のような戦闘狂はいい金稼ぎの道具になってくれるからな」
(シロクくんのような……? 確かにシロクくんの戦闘能力は異常だけど)
命を何度失ってもおかしくなかったアラクネロイトーとの一戦でのことが思い浮かぶ。
今こうして生きていられるのは、あの時のバーサーカーのようなシロクのおかげだ。
(まるで、他にもいるみたいな、その言い回しはなんだって言うの?)
シロクはまだ塔を攻略していない、新米塔破者だ。
だが、いずれ圧倒的な力でもっていくつもの塔を攻略していく姿が想像できるだけの実力はあるだろう。
だけど、セレナやエーコ、誰かを守りながらだったり、満足な準備をせずに挑んだことで、現段階ではまだ光は見えてこない。
だが、いずれ――シロクのような実力者は頭角を現す。
もしもシロクと同じような子が他にもいるのであれば、噂になっていない方がおかしい。
エーコはこんな状況におかれながらも、もしものことを考えるが、当事者であろうシロクはそれに関してはなにも言わず、背中を見る限りなにも反応はしない。
「僕は、あんたのギルドになんて絶対に入らない」
シロクの顔は見えなくても、それを見ているドドンメの顔が面白そうに歪んでいることから、シロクが激昂しているであろうことがわかる。
「……それでもいいさ。お前はセレナを気に入ってるんだろう? そいつは俺のギルドのメンバーだ。戦う力を持たないそいつに課したノルマは過酷なものだ。セレナを大事だと思い、助けたければ、セレナに力を貸すしかない。それは巡り巡って俺のところに来るんだからな」
シロクが加入してもしなくても、関係なくセレナを使えばいくらでも稼げることに気づいているドドンメは、シロクのような無鉄砲で奔放な子供をギルドに置くことのリスクを懸念して、セレナを泳がせることにした。
その作戦は成功していたのだから、これからも続けさせるつもりだったが、予定よりも早くリーヴ・リリースが起こってしまったため、計画が少しばかり狂ってしまった。
「許さない」
静かに呟くシロクの声は震えていた。
「なんだって?」
「許さないって、言ってるんだ!」
怒鳴るように叫べば、近くの穴から出てきたモンスターたちの意識がこちらに向く。
「俺は、お前からセレナを取り戻す」
「セレナはお前のものではない。取り戻すなど――」
「セレナはセレナだ! お前のものでも、ギルドのものでもない!」
はっ、としてセレナは涙に濡れた顔を上げた。
「塔破者は仲間を信頼して、一緒に塔を攻略するんだ! セレナは、笑うことを恐れているんだぞ!」
(気づいてたんだ……)
ぶわっ、と一層多くの涙が溢れてくる。
「それがなんだ!」
「一緒に笑えないような仲間を、本当の仲間とは言わない!」
「シロクくん……」
ボロボロ、と再び大粒の涙を零して嗚咽を漏らすセレナに寄り添うように、肩を抱くエーコ。
「私も、あなたの仲間でありたい気持ちはシロクくんと同じだからね」
静かに囁く。
「シロクくんはやってくれるわよ。あの時と同じだから」
自分のことを『僕』ではなく『俺』と言ったり、乱暴で攻撃的な口調のシロクには、エーコは覚えがある。
「エーコ、セレナを頼む」
「ええ、任せて」
その様子を初めて見たセレナは、エメラルド・ソードを手にドドンメに歩み寄るシロクの背中を見つめるしかできない。




