02
セレナはなにも言わず、服の裾を握った。
(私が必要とされるには、あんな男に抱かれるしかないの……?)
あんな母でも、セレナにとっては唯一の肉親。
逃げようと思えば、いくらでもそのチャンスはあったが、もしも母に捨てられたら……。
(私を必要としてくれる人が、この世界からいなくなっちゃう。あのおじさんだって、私を……)
一人になるのは怖い。嫌だ。
そうならないためには、選ぶ道はどこにもない。
そんな覚悟を半ば諦めて決めつつも、セレナには一つの夢があった。
「塔を見てみたい」
小さな自分の部屋に戻り、文机の引き出しを開けると、そこには魔法銃がある。
もうどれぐらい使われていないのかわからないぐらい古いが、することがなく魂脈と同じように手入れはしていたので、外見的には古さは感じられない。
どこで死んだのかはわからないが、父は死んだとセレナが物心つく頃に教えられ、手元に残されていたのは、弾倉が三つある不思議な魔法銃のみだった。
使い方はわからなかったが、大方の予想はついている。
「こうやって構えて撃つんだよね」
モンスターなんて見たことはないが、この町にいる人たちは事あるごとにモンスターを恐れたかと思うと、アルコールが入ると流暢にモンスターが出てきたら全部やっつけてやる、などと気前のいいことを口にする。
席についたセレナが子供だとわかると、客の男たちはセレナにモンスターとの戦闘や、ウコクク国の都市部では、『新米勇者候補決定戦』なるものが開かれていることを教えてくれ、それで優勝すれば塔破者になれる。
塔破者になれば、国が管理する塔に入ってモンスターと戦い、簡単に魂脈を稼ぎ、大金に換えられると教えられた。
セレナは夢を見ていた。
ここでよく知らない男たちの相手をさせられながら、日中など男たちがいない時間は、代金として支払われた魂脈を磨いたり、削ったりの作業をさせられる中、もっと楽しい世界があることを信じていた。
時折、魂脈と一緒に出るモンスターの素材――それは売っても百ゼン程度にしかならないため、ほとんどがゴミ扱いされて処分されていたが、セレナはそれを拾い集めて、色々な加工をして楽しんでいた。
そのおかげか手先の器用さと、自然しかない田舎育ちのせいか動物のように視力がよかったことは、ちょっとした自慢だった。誇る相手はいなかったけれど。
「一度だけ、山の向こうへ行ってみたい。ウコクク国の中心を見てみたい」
ここですべてを奪われ、失い、未来すらも閉ざされるのならば、最後の機会に世界を見てきたい。
塔破者というものに会ってみたい。
セレナはそう考えるとすぐに荷物をまとめた。
塔破者というものに一切の興味を示さなかった母が捨てようとした父のバッグ――聞くところによると魔法のバッグといって、見た目以上にたくさんの物が入るという。
それを襷がけにして、捨てられていた小さな魂脈と魔法銃を持って家出のように、店の営業時間に裏口から飛び出した。
夜の山道を、星の明かりを頼りにして、都市に魂脈を売りに行く際に使う道を、一人で歩く。
木で羽を休めていた鳥が飛び立てば、セレナは体を震わせて心臓をドキリとさせた。
小さな泉で体を休め、休憩をしながら山を越えて、都市が見えた頃にはすっかり昼近い時間になっていた。
「ここが、ウコククの中心都市……」
山一つを越えただけで、セレナが暮らしていた世界とはまったく別の明るい世界がそこにはあった。
しかし、初めて親元を離れて気づく。
人の多いところではお金がなければ、水の一杯だって飲めないし、ベッドはもちろん、布団どころか、安心して休める場所すら手に入らない。
「『新米勇者候補決定戦』ただいま参加受付中でーす」
セレナの耳に飛び込んでくる、店の客に聞いた話に出てきたイベント。
セレナはよくわからないまま、説明を受けて参加表明をした。
疲労のせいで、満足な判断能力を欠落させていたのかもしれない。
「これで優勝できれば塔破者……。どうせダメだろうけど、ダメだったらお母さんのところに帰ろう……。怒られるだろうけど、諦められる」
夢に見るほどの憧れは抱いてはいないが、興味を持った外の世界の話。
控え室には、筋骨隆々の男たちが、そこかしこで威嚇しあっていたが、セレナはそれに対して恐怖心などは抱かなかった。
「お店に来る人たちの方が怖い」
それは自分に対して、明確な苛立ちという敵意を向けられるからであり、そうなれば母に怒られることが決まっているからだ。
だが、戦いが始まり、武器を持てば話は違う。
大男たちが簡単に吹っ飛んで、気絶していく。
そして現れた五匹のウルルフ――鼻を鳴らして、疾走する。弱った男たちに飛びかかり、悲鳴を上げさせる。
セレナは一匹と目が合った気がしたが、ウルルフはつまらなそうに顔を背けて、別の人間のところに遠吠えをして突っ込んで行った。
気づけば、そこに立っていたのは無傷のセレナだけ――初参加で優勝してしまった。
面倒な手続きを経て、五万ゼンという大金をもらい、セレナは塔破者の間では最大の贅沢ともいわれる宿屋に入り、風呂とベッド、さらには豪勢な食事を堪能した。
だが、そんな生活も長くは続かないのはわかりきったことだった。
塔に入ってお金を稼げなければ、塔破者の資格を得ても、家に帰らなければいけなくなる。
モンスターがいるという塔に近づいて、遠巻きに見ていると声がかけられた。
「どうした? 初めての塔で困っているのか? なんなら、色々と教えてやるぞ」
セレナのいた世界では見たことのない端正な顔立ちの男――それがグルリポだった。
正直、見惚れていなかったと言えば嘘になる。
無事に塔から出た後、ギルドの話を聞き、グルリポはセレナのことを必要としてくれる人間だと、そう思ってしまった。
「一人じゃない……」
その喜びこそが、最大の落とし穴だったことは言うまでもない――。




