15
「あ、そろそそ行くみたいだよ」
集まった塔破者たちが武器を高々と掲げて、声を揃えて歩き出す。
「でも、なんでだろう。塔治者を倒しても、ここで商売をする人にはなにもいいことはないのに」
疑問を抱くセレナの背後に気配を感じて、飛ぶようにして振り向けば、
「お、おう……」
恰幅のいいハゲ頭の男が、セレナに手を伸ばしていた。
その男は突然、振り向かれて驚き、手を伸ばしたまま固まっている。
「だ、誰ですか……」
警戒しながらセレナが一歩後ずさると、隣にいたシロクが不思議そうに首を傾げるのも数秒、すぐにその頭――顔を思い出して指をさす。
「あ、ハンコのおじさんだ」
「ハンコのおじさん……?」
「うん。『新米勇者候補決定戦』で優勝した後に、薄暗くて汚い部屋でハンコを捺してくれたおじさんだよ」
左手の甲をセレナに向けて、ようやくセレナも思い出す。
「あ、あの宝石のおじさん」
「なんだか、変な名前で呼ばれてるなぁ……。おい、シロク。俺の頭をジロジロ見るな。視線でハゲる」
「へえ~」
余計にシロクはそこから視線を逸らさなくなった。
「人の話は聞く癖に、人の意見とかまったく聞かないな。今だって俺が親切に注意してやろうとして、たまたま見つけたお前たちにこうして声をかけにだな」
ぶつぶつ文句を言うおじさんを、セレナはまだ信用しきれていない。
あそこでハンコを捺していたということは、闘技場――それを管理、大会の運営を決定している国の人間だからだ。
こんな外周区には憲兵などいないが、セレナは数えきれないぐらいの悪事、窃盗をしてきた。そんな権力の片棒を担いでいるような人間に対して、警戒をするなという方が無理な話。
「あの……私たちに、なにを……?」
十分に警戒しながらセレナが問うと、おじさんは頭を叩いた。
「そうだった。お前たちは今すぐに塔に入るなよ。シロク、覚えているか? 俺があそこで言ったこと」
「ううん、全然」
「だーかーら、俺の頭を見るな。ビーム出すぞ、ビーム」
「見たい!」
この二人のやり取りを間近で見て、聞いているセレナは、どうしていいのかも、おじさんがどうしたいのかもわからなかった。
「あの、話を進めてもらえますか?」
「ああ、そうだった、そうだった。ったく、シロクのやつは」
文句を言いながら、おじさんは咳払いをした。
「シロクに噂レベルの助言をしたんだ。夜に塔には入るな、と」
「あ、それ聞いたかも」
一度しか会っていない男の頭――顔は覚えていても、その肝心な内容は忘れていたシロクだが、それには理由があった。
初めて入った塔内部での、グルリポとの会話だ。
『モンスターは日の出とともに、活発に動き出す。陽が落ちた後は、地下迷宮にいるモンスターはほとんど出てこず、すでに出てきたモンスターしか塔の中にはいないから、こうして人の集まる塔は、朝早くから並ぶんだ』
それは確かだった。
しかし同時に、おじさんの言う夜に入るな、というのも同じ理由を語っていたし、実際には入っていないので確かめたことはない。
「俺の新しい助言だ。何日も変わらずに塔治者でい続けているモンスターを相手にするのなら、夜に入れ」
はっ、としてセレナは気づく。
(グルリポたちの狙いって……)
「光のない地下迷宮に長いこといたモンスターたちが光の差し込む塔に光に惹かれて上がってくる。そういう一階部分にいるモンスターは、まだ目が慣れていないことで倒しやすいから、朝一でモンスターを狩るための行列ができる」
「うんうん」
(それは花や鉱石の魂脈も生まれるからだよね)
「だけど、長いこと塔にいるモンスターは別だ。本来、闇の中で過ごし、夜にこそ活性化するモンスターたちだが、数日塔内部で過ごすだけで、モンスターたちは夜行性から昼行性に変わるんだ」
「明るいうちに本領が発揮されるってこと?」
シロクの問いに、おじさんは口の端を大きく持ち上げて笑う。
「そういうことだが、一部例外はある。モンスターは元々、この地上で暮らしていた動物や昆虫が魔力により変化したものだ。その特性を持つことが多いため、夜行性の動物だったモンスターは塔の中で数日過ごしても夜行性のままだが、塔治者クラスとなると、魔力の総量からして違うし、太陽光をエネルギーとして日中でも十全の力を発揮する」
「……むしろ、夜行性のモンスターが塔内部を歩き回ることで、塔治者は塔破者が来ない夜は休んでいるかもしれないってことですか?」
セレナの問いに、おじさんは、またしても笑う。
「そういうことだ。人間の生活習慣と同じように、魔力を強く持つ塔治者は、自在にそのパターンを変えられるため、他のモンスターと同じ扱いはできない」
息がつまりそうになる。
グルリポが裏で動いて、塔破者たちを唆して大規模討伐チームを組ませて朝一で塔へと侵入させた。
もうすっかり三十九人だけでなく、単独でお零れを狙おうとしている塔破者たちが塔の中へと入っていってしまった。
「朝陽につられて地下迷宮からモンスターが上がってきて、昼間に塔破者に殺されなかったモンスターは慣れ親しんだ夜間に活発に動いて迷宮を変化させて、日を越すごとに朝でも夜でも、どちらの時間にも順応できる体になり、体内の魔力を増幅させて、塔治者となるってことですね」
セレナのまとめに、おじさんは眉間にシワを寄せて、しばらく考えた後、手を打った。
「そういうことだな」
(わかってなかったんだ……)
「簡単に言うとね、シロクくん。アラクネロイトーは朝の方が強いから、攻略するのなら夜がいいってことです」
こちらもわかっていない顔をしていたシロクにわかりやすく要点だけをまとめて伝える。
「じゃあ、ちょうどいいね! エーコさんの武器は昼にできるっていうし!」
「なに!? エーコだと! あのボインの姉ちゃんも、シロクと一緒にいるのか!」
おじさんが手で庇をつくって、あっちへこっちへと視線と大きな体を巡らせる。
(やっぱり胸か……。でも、あの人は美人だったなぁ……)
薄汚れた、小汚い格好をしていたものの、そういうところを気にしていれば、とんでもない美人であることは、同じ女としてセレナにはわかった。
フードを被って、俯いてばかりの自分とは正反対の胸を張って生きている女性――。
(それがなんでシロクくんと一緒にいるんだろう?)
「じゃあ、僕たちもエーコさんのところに帰るね」
「なんだと! 俺も連れていけ! 塔治者だろうがなんだろうが倒してやるから!」
「う~ん。嫌だ」
ががーん、と効果音をつけたくなるぐらいの絶望的な顔をしているおじさん。
「塔には塔破者しか入れませんから……」
セレナはこれ以上面倒事に巻き込まれたくない一心でシロクの背中を押して、塔の前を離れて武器屋街を目指して歩き出した。




