02
翌朝、シロクは気配を感じて目を覚まして、上半身を勢いよく起こした。
「あごっ」
飛び起きたシロクだったが、その横ではグルリポが頭を押さえて蹲っている。
「お前……くぅ~」
「おはようございます!」
頭突きを食らってめまいがするところへの、シロクの元気な声に耳鳴りまでする。
「朝から元気だな」
涙目でグルリポが言うと、シロクはお腹を抑えた直後、
ぐううぅぅぅぅぅぅぅ~
盛大な音が鳴り響いた。
「腹の方も元気だな。ほら、パンでも食っておけ」
昨日は少し離れたところにあった荷物を担いだグルリポはシロクに、ポーチの中からパンを出して放る。
「グルリポさん、どうしたんですか?」
口いっぱいにパンを頬張るシロクを、じっと見ていたグルリポ。
「いや、お前を起こそうとしたら即座に飛び起きるもんだからな。塔に入る前に死ぬところだった」
「だってグルリポさんが昨日、塔の中で寝るコツを教えてくれたじゃないですか! だから僕もすぐに練習してみようと思ったんです。上手くいってよかった~」
「そ、そうか。そいつはすごいな」
(一朝一夕で身に着くような技術じゃないぞ……)
そして寝起きですぐに大きなパンを美味しそうに噛り付いているのだ。
(塔の中で、命の危機を感じる状況で休むのはどんなに練習したって簡単には慣れない)
後輩に向けてでまかせ、とまでは言わないもののちょっとばかし脚色して言ったことを、素直に聞くだけでなく、実行までしてしまうのだから、上級にはまだまだ遠くても初心者では決してない、塔破者であるグルリポの面目は丸つぶれだ。
(寝込みを狙って襲ってくるヤツもいるらしいしな……)
それがモンスターとしての狩猟方法なのだから、道具を使う人間がなにかを言う義理はない。
知恵を持った人間ができることは、それに備えることだ。
「よし、飯を食ったな。塔に行くぞ。並んでるかもしれん」
「並ぶんですか?」
「行ってみればわかる」
説明してやろうと考えたグルリポだったが、本物を見せた方が早いと判断した。
ポーチを腰に巻き、武器として持つ剣を背中に担ぐ。
「そのポーチの中にはなにが入ってるんですか?」
「非常食と薬、あとは煙幕や閃光球だ。ここの塔でなら、アイテムを使う必要はないだろう」
しかし、隣に並んで興味深そうにポーチを見ているシロクの格好は、どこにでもいる子供の格好だ。一つ違うのがズボンに木剣を差しているぐらいなのだが……。
木剣なんて闘技場以外では、親が子供に戦闘ごっこをさせて遊ばせるために与える、おもちゃでしかない。
大きな物なら殺傷能力はあるが、野菜だって切れないような木剣では、誰かを殺そうとしたら素手の方が早いのではないかと真剣に考えてしまうぐらいの代物だ。
「僕もポーチ欲しいな~。食べ物をいっぱい入れていかないとお腹空きますもんね!」
「そ、そうだな……」
危機感の足りなすぎるシロクとの会話に、何度も口を挟みそうになるグルリポは必死に無駄口を押し留めた。
「ほら、あそこだ――やっぱ並んでやがるな」
「おおおおおおーーーっ」
倉庫の迷路から抜け出せば、そこは開けた広場だった。
出店が並び、そこかしこで保存の利く食べ物や、薬、さらには使い捨てのアイテムなどが売られているが、誰も見向きもしていない。
「俺たちも並ぶぞ」
そして肝心の塔。
その大きな塔の小さな入口には、装備で身を固めた塔破者たちが雑談をしながら並んでいる。
「これ、全員が中に入るんですか?」
見える範囲を数えただけで二十人弱がいる。そのすべてがパーティーを組んでいるため、正確に何組いるかまではわからない。
「俺みたいに小銭稼ぎを目当てにしているやつがほとんどだろ」
グルリポは体の筋を伸ばすようにして、空を見上げた。
今日も快晴。
(ズブの素人を連れて、奥まで行く気はないけどな)
それでも塔に入れば、太陽や月といった自然の明かりを拝むことは難しくなるため、つい癖のように空を仰ぎ見てしまう。
「それってどういうことなんですか?」
「んあ? 塔に入れば金が稼げるってのは昨日教えたな」
シロクはあくびをして目元に涙を浮かべたグルリポに頷く。
「シロクも闘技場で戦ったと思うが、外周の塔はああいう弱いモンスターがほとんどだ。そいつらを殺して、金を稼ぎ、その日の飯や酒代なんかにするんだ。それで満足、命の危険を伴う内側の塔には挑まない――そういう連中も少なくないってことさ」
グルリポの言葉を聞いていた、前に並んでいる何人かが恐ろしい顔をして、グルリポを睨みつけてきた。
「いっけね、口が過ぎた」
(実力がない癖に、プライドだけは一丁前なんだから、面倒臭い)
「じゃあ、なんでこんなに並んでるんですか?」
シロクもこのウコクク国の首都である、この町に住んでいる人間だ。
昔から塔を見てきたが、朝、こうして塔破者たちが並んでいるのなんて初めて見た。
「塔の中は迷宮になっているのは知ってるな?」
「はい。魔力の強いモンスターが通ると、迷宮が変化することも」
それは一般常識――塔に挑もうとする子供たちに大人たちが教える恐怖話の一つでもある。
誰もが簡単に金が稼げ、名声や名誉をあげられる、という遠い夢にばかり目を向けるが、塔の中は常に死と隣り合わせだ。
死の原因の大半は戦闘でモンスターに敗北して殺されることだが、割合的には多くはなくとも決して無視ができないのが塔の中の迷宮での迷子による餓死。
あるいは迷宮が変化することで道を見失い、モンスターに袋小路に追い詰められて殺される――なんてこともあるかもしれないが、塔は不定期に、それでいて誰にも予測できない形で内部が変化するため、どういう死に様だったのかを、他の塔破者が知る由はない。
「ここに並ぶ理由だが、入り口はモンスターを外に出さないために、人が一人しか通れないぐらいに狭くなっている。一度に入ると、中は迷宮になって広いとはいえ、混雑しちまうんだ」
「それを避けるために、時間差で入っていくんですね」
「そういうこった」
そうこう話をしている間も、二人の並ぶ列は、どんどん前へと進み、それに伴い人がどんどん塔の中へと吸い込まれて消えて行く。
二人の後ろにも人が並び、次の次ぐらいで中に入れるという頃。
「いいか、シロク。今日は中を見るだけで、戦闘はなるべく避けろ。武器も防具もアイテムもないんだから、それは約束しろ。塔は上へ行けば行くほど強いモンスターがいるのが定石だが、そのモンスターがどこから出てくるか、わかるだろ?」
「地下迷宮!」
シロクは興奮した様子を隠しきれず、目をキラキラと輝かせていた。
「そうだ。塔の地下からモンスターが頂上を目指して上っていく。一瞬で一っ跳びをするわけじゃない。モンスターも迷宮を彷徨いながら天辺を目指す。そうやって上に行ける強いモンスターと途中で鉢合わせることだって十分ある。そしたら、すぐに逃げる」
「わかりました」
「……本当か」
じっ、と観察するグルリポだが、常に笑顔のシロクの表情は読み取れない。
(こいつの腕を知っておきたいから、多少の無茶でもさせるべきか……。いや、自ら死地に赴く必要もあるまい。自分の命が一番大事だ)
どんなに金を稼いでも、死んでしまえば意味はないのだ。
だからこそ、この一番弱いモンスターが集まる外周の塔には、熟練者だろうが集まってきて、行列を作る。
「ところで、なんで強いモンスターが上に行くか、知っているか?」
試すようにグルリポが問うと、シロクは笑みを消した。
無言と静寂――シロクに意識を向けていたグルリポは、一瞬町中にいるにも関わらず、まったく音が入ってこなかった。
(なんだ、今の……)
シロクに全神経を引っ張られたような、シロク以外のことを考えることを体が拒むように、目を逸らすことも、他のことを考えることもできずに生唾を呑みこんだ。
シロクに無理矢理に意識を向けさせられるだけでなく、指一本動かせない。
グルリポの額に嫌な脂汗が浮かぶ。
「はい。知ってますよ」
だが、すぐに人懐こい笑顔を見せ、グルリポの緊張は解かれ、体にも思考にも自由が戻る。
「次の方、どうぞ」
塔の中から声がして、背中に嫌な汗を掻いたグルリポはシロクと共に、塔へと入った。