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徹夜で門番をしていたのか、詰所の中にいた男はぐったりとしていた。
そんな彼にシロクが大声で叫ぶように挨拶をすると、驚いて椅子から落ちた。
(可哀想に)
セレナは、飛び起きた門番の男に心の中で謝りながら、気が急いているのか、興奮した様子のシロクに置いて行かれないように小走りで追いかける。
「人がいっぱいだ!」
塔の前にやってくると、両サイドに並ぶぼったくりのアイテム屋が見えなくなるぐらいの人がおり、その中心には鎧や甲冑、大きな盾で身を固めた男たち。
その手にする武器も、大きな剣から投げナイフのようなものもあれば、大きな木槌だったり、弓矢のようなものを持っている塔破者もいる。
セレナはフードを目深に被り、顔の前で人差し指を立てた。
「どうしたの? セレむっ」
シロクから半歩以上下がっていたセレナは、シロクの口を塞いだ。
「しーっ。私の名前は呼ばないでください」
これだけ人がいれば、この中に、かつて自分が金を騙し盗った相手がいてもおかしくはない。
セレナがターゲットにしてきたのは、基本的に塔破者のみなのだから。
「よくわからないけど、わかった!」
「それに静かに見守ってましょうよ。なにか勉強になるかもしれませんよ」
うん、と自分の手で口を塞いで頷くシロク。
物珍しい武器や装備の数々だけでなく、一度だって売れているところを見たことのないぼったくりアイテム屋でアイテムを買っている人だって見ることができて、新鮮な気分をシロクだけでなくセレナだって味わえる。
「でも、なんでみんな入らないんだろうね?」
もう黙ることをやめたシロクは、そんな疑問を口にする。
「受付が狭くて一度に来られても確認できないから、外でまとめてやっているんじゃないですかね?」
今日の受付が誰なのかわからないぐらい人がいるが、塔破者とそうでない者の間には不自然な距離が開いているため、それで見分けられるだろう。
なにせ傍観者たちの中には、装備で身を固めた明らかに塔破者と思われる人間もちらほらいるのだ。ただの見送りにしては仰々しすぎる。
もしかしたら大規模討伐チームには属さずに塔に入り、そのお零れを狙って塔治者の報酬を独占しようとしている輩がいるのかもしれない。
「あー、あー……」
思い思いに人が喋ることで、雑音となっていた声の中で、一際大きなが聞こえ、水面に落とした小石が波紋を広げるように、静寂は外側へと広がっていった。
「なんだろう?」
シロクは声に出さず、口の動きだけでセレナに伝えると、セレナは首を傾げ、状況を見守る。
「朝も早くから……いや、ほとんどの者が昨夜から、よく集まってくれた。今回、アラクネロイトー討伐のために大規模チームへの参加を表明してくれたのは、私を含めて三十九名」
おおお、と驚きの声が上がり、受付をしていた男性塔破者は頭を下げた。
「私が募ったわけではなく、私はただまとめ役としてここに立っているが、我こそは! という者がいたら、是非申し出てもらいたい。喜んで替わろう」
(グルリポが集めたんだから、いるわけない……)
セレナは、声は聞いていても、その顔は見れなかった。
これから死んでしまうであろう人間の顔など、覚えていたくないのに、シロクは隣で飛び跳ねて、必死に人垣の向こうを見ようとしているが、どうやっても見えないようだ。
「……ふむ。誰も立候補がいないようなので、私がこのまま引き継がせてもらおう。では、改めて――ここにいる三十九名が順番に隊列を組みながら、塔内部の迷宮を突き進んでいく。塔治者は一階まで降りてきているとのことなので、すぐに遭遇する可能性もあるので警戒は怠るな」
塔治者は通常、最上階にいる。
しかし、その例外がアラクネロイトーだ。
「それぞれ武器や戦い方が違うため、即席の連携は不可能だ。誰が倒しても報酬は均等だし、功績も平等だ。だから無理はするな。あと魔法を使う者は後衛を任せる。あとは適当に二人から三人のチームを組み、左右や上下、前後の警戒をしてくれ。ヤツは天井を歩くぞ」
「ほほー」
飛び跳ねることをやめたシロクはそんな説明を聞いて、変な声を出していた。
「シロクくんは、ああいうの無理そうですよね」
ちょっと意地悪な気持ちを込めて言うと、シロクは真剣な顔をして腕を組んだ。
「う~ん。わけわかんないね」
「ですよね」
ふふ、と思わず笑ってしまうセレナを見て、シロクも笑った。
「んっ」
セレナは慌ててそっぽを向いて、笑顔を必死に消した。
(なんで私、笑ってるんだろう……)
「僕には討伐チームもギルドも難しいや」
だから――シロクは呟き、セレナを見た。
「セレナ、僕とさっきのエーコさんと一緒にパーティーを組んでよ。今回は難しいかもしれないけど、塔治者を一緒に倒して、次の塔に行こう。どうかな?」
シロクの笑顔に、胸が締め付けられて仕方がない。
どうして出会う順番が違ったのか――シロクは一番最近の『新米勇者候補決定戦』の唯一の優勝者なのだから、それよりも先に十五歳になって、そこで優勝していたセレナとは、生まれる時期が逆にでもならない限り、セレナが望むような出会いはできなかった。
その現実が恨めしい。
セレナとて、あの日しかない、という日を選んで、『新米勇者候補決定戦』に参加した。
あの一回こっきりのチャンスで失敗をしたら、諦めて親のところに帰るつもりだった。
(ううん……勝つつもりなんて、最初からなかった……)
『新米勇者候補決定戦』は年齢も性別も、階級もなにもなく、参加表明した全員が一同に闘技場に上がり、見世物の動物のようにたった一枠の栄冠を勝ち取るために競う。
満足な武器も使えない小さな女の子だったこともあり、誰もが小さなおもちゃのような木剣を持ったセレナを無視した。
体力のあるうちに強敵と思われる常連を倒せ、というのがその回の共通意識だった。
そしてどんどん脱落していく参加者たち。
時間の経過か、それとも人数の減少かはわからないが、突然放たれる五匹のウルルフ。
(今ならわかる)
他の参加者にも、ウルルフにも見向きもされなかったのは、脅威ともなんとも思われていなかったからだ。
逃げ、怯え、泣きそうになるのを堪えていたセレナは、気が付けば、舞台に立つたった一人の人間となっていた。
なにが起こったのかはわからぬまま、司会進行をしていたテンションの高い男に、自分が優勝したと告げられ、よくわからないままインタビューを受け、薄暗い闘技場の地下のような場所で、左手に塔破者の証に、目に見えないハンコを捺された。
(そんな奇跡が起こらなければ……)
塔破者にならず、逃げ出した元の生活に戻ることを考えると、どちらが天国かなんて決められない。どちらも地獄に変わりない。
どっちがマシか、という問いにも答えられない。
地獄には神も仏もないように、地獄に堕ちれば、選択肢などないのだから。
「ごめんなさい。それには、今は応えられません」
振り絞った声は震えていた。
グルリポ、ギルド、ノルマという三重苦に悩まされるセレナは、シロクといたら甘えてしまう。迷惑をかけてしまう。
他の誰になんと思われようが構わないが、シロクだけは……。
(優しいシロクくんに、助けを求めたら……)
そんな考えはいけないとわかっているのに、考えてしまう。
頼れば、どうにかしてくれそうな気がするのに、これ以上甘えられない、迷惑をかけられない。
「そっか。ん~、気が変わったらいつでも言ってね!」
こんな酷いことを何度もしている自分に笑顔を向けて、手を差し伸べてくれるシロクだけは巻き込みたくない。
(だから今回だけ……今回が最後だから……)
グルリポの命令が怖いわけではないが、その真意を確かめたい。
もしかしたら、シロクの命に係わるなにかがあるのかもしれない。
どんなに目がよかろうが、セレナに未来は見えない。
「……ありがとう、ございます」
それに応えられる日など来るはずがない、とセレナにはわかっていても、その気持ちだけが嬉しかった。




