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銀行で魂脈を換金したセレナは、三万ゼンのうち二万ゼンを口座に預けた。
塔の攻略を仕事として認められない塔破者には、ローンを組んだり、銀行から金を借りることができないが、預貯金は別だ。
たくさん預ければ利子だってちゃんとつく。
口座を作る顧客としては、銀行にとって一般人も塔破者も関係はないため、そういった不平等な制限は設けられていない。
むしろ、銀行側からすれば金を稼ぐ塔破者が金を預けてくれることで、銀行側は助かることが多いため、ノーリスク・ハイリターンだ。
それに、長い目で見て塔破者が死んで一定期間、口座に動きがなければ、銀行はその金を自社のものとして扱う――という契約は、どこで口座を作ろうとも、小さく記載されている。
セレナは今日得た一万ゼンと、夕食代の小銭を持って、いつもギルドのメンバーが集う寂れた酒場を目指していた。
いつも時間ギリギリになってしまうことばかりだったので、明るいうちから――そもそも自分から望んで向かうことなど、ギルドの真実を知ってから一度もなかったが――出向くことは初めてだった。
(リーダーってどんな奴なんだろう)
いつも暗闇だったり、物陰からの声だけだったりで、その顔をセレナは見たことがない。
それはセレナだけではない。
セレナと同じように、右も左もわからぬまま、この町の外から塔破者になることに憧れてやってきては、なんの因果か『新米勇者候補決定戦』で優勝して塔破者になってしまった子供たちに、ギルドは優しく手を差し伸べてくれた。
最初はグルリポだった。
どうすればいいのかわからずに右往左往していると、グルリポが声をかけてきてくれて、一緒に塔に入ってくれた。
そして色んなことを教えてくれた。
誰もがグルリポを信用する。信頼を得たところでグルリポはギルドに誘ってくる。
グルリポの親切心と頼りになる兄のような存在に触れれば、誰だって首を縦に振る。
そして思う。
自分はグルリポと出会えてラッキーだった、と。
そう『だった』――過去形だ。
ギルドに入ってしまえば、もう逃げられない。毎日課せられる一日一万ゼンのノルマ。
最低限の補助として、塔に一緒に先輩たちが入ってくれるが、彼らはこぞって自分の稼ぎを第一に考えているので、後輩への教えなど一切ない。
仲間割れすることが多く、その渦中に入れないせいで新人の生き残り率は高いのが不思議なところだ。
セレナが歩く大通りは、徐々に夜の客向けに片付けられ、テーブル席が出て来て、飲み屋街へと変わろうとしている。
「セレナ」
寂れた酒場が見えてきた頃、背後から声をかけられ恐る恐る振り返れば、そこにいるのは相も変わらずグルリポだ。
(いつもいつも、どこから私を見張っているの)
視線も足音も感じさせずに、突然背後や行く手に現れるグルリポという存在は、セレナをはじめとしたギルドに所属する弱い塔破者には恐怖でしかなかった。
グルリポという存在がいなければ、こんなギルドに加入することもなかったのだが、こうなってしまった以上考えるのは、グルリポがいなければリーダーぐらい出し抜ける場面はいくらでもあったのに――そういうことだ。
「よく生きて出てこれたな」
セレナは下唇を噛んで、下を向いた。
(その言葉の意味はなに……)
いくらでも厭味な言葉が頭の中を覆い尽くす。
死ぬことを望まれていた、そう思わざるを得ない。
「シロクはどうした?」
「……置いてきました」
「塔の中にか?」
「……はい。たぶん塔治者と戦っています」
「やはり塔治者が出たか。どのタイプだった?」
はっ、とセレナは思わず顔をあげた。
「……わかりません。私は、鳴き声しか聞いてません」
「そうか」
せっかく塔に入ったのに、ギルドのためになる情報をまったく持って帰ってこなければ怒られる。
反射的にセレナは目を、ぎゅっと力強く瞑った。
ちっ、とグルリポの舌打ちが聞こえる。
「少しでも情報がありゃ、助かったんだがな……。まあ、シロクなら生きて出てくるだろ」
「え……」
(なんで、シロクくんには優しいの? まだギルドに誘ってないから? あのお人好しをギルドに入れて、金を稼ぐ気なの?)
性格はともかく、戦闘力は抜群だ。
ただやんちゃをしすぎる点が気になるが、単独であれだけ動ければ、連携を組めるようになればギルドでも貴重な稼ぎ頭になるだろう。
「セレナ、お前に命令だ」
「……はい」
「シロクの持ち帰って来る情報次第だが、明日か明後日、遅くても三日から五日以内に、そこの塔の大規模攻略が行われる」
「大規模攻略……?」
「前回の大規模攻略の時、お前はまだこの町に来ていなかったな」
なにが行われるというのか、セレナにはさっぱりわからない。
「簡単に説明すると、そこの塔に現れたイレギュラーの処分だ」
「そんなに強いのがいるんですか?」
「この数日で、二階以上に上ったという何人もの熟練塔破者が殺されている。絶対とは言わないが、ほぼ間違いなく起こるだろう。そうなれば、お前にもチャンスがある。それを逃さずに与えてやる」
嫌な予感しかしなかった。
「お前は今日、シロクを裏切ってきたんだろうが、もう一度シロクとパーティーを組め」
「そ、そんな……!」
あんな別れをしてきたのに。
どんな顔で会えばいい。
金だって騙し取った。
あの状況ですぐに気づかれなくても、塔の外に出て冷静になればセレナがくすねていることは、すぐにわかるはずだ。
「シロクの実力はまだそう広く知れ渡っちゃいない。一度でも組んだことがあるお前となら、シロクを簡単に誘えるだろう」
グルリポの懸念としては、今現在、シロクが塔の中でイレギュラーと戦い、なにか問題――あるいは殺してしまわないか、と常に考えている。
武器はおもちゃのような木剣だけ。
それではゴムゴブリン、ウルルフ程度しか倒せないが、もしもの場合を無視できない。
グルリポにとって、シロクが負けるというのは、どう想像しても思い浮かばなかったが、たった一つの懸念――いや、とグルリポは頭を横に振る。
(懸念は二つだ。一つはシロクが倒してしまうこと、そしてもう一つは……)
「退いてください! 退いて!」
誰かの叫び声が、夜と夕方の間にある大通りを貫くように響く。
グルリポだけでなく、セレナも同じようにそちらに向くと、人の波が割れるようにして道が作られ、視界が開く。
「退いて! 道を開けて!」
それでも叫び続ける女の声。
その必死の声だけでなく、彼女の背負うものが人を遠ざけていた。
(血塗れのガキ……)
「シロクくん……」
グルリポは胸の大きな甲冑姿の女に背負われる子供を見つけたのと同時、誰よりも目が良いと豪語するセレナが、その名を口にして確信する。
「うそ……」
セレナは堪らず、その場にへたりこんでしまう。
「シロクくんが、あんなになっちゃうぐらい強いモンスターがいるなんて……」
(やはりな。シロクの弱点を見つけた。それにあいつの持っていた細長いアレは……)
にやり、と不敵な笑みを浮かべて、喉をひきつらせているセレナを見下ろした。
「おいセレナ。お前はやはりシロクと組め。あいつの回復次第だが、近いうちに大規模攻略が必ず行われる。あいつの持っていた素材がそれを証明してくれたよ」
「私には無理です!」
シロクがあんなになってしまうような強敵がいるとわかる塔になど、満足に戦うことができないセレナには不可能だ。
「いや、お前は絶対に死なない。傷一つ負わない。シロクといればな」
その言葉の意味をセレナはすぐには理解できなかったが、時間が経ってから理解することになる。
あれだけ怖い目に遭ったにも関わらず、セレナはかすり傷一つ負っていなかったことを。




