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「シロクくん!」


 塔内部――出入口まであと少しというところまで来たのに、迷宮を物理的にただの一本道にして突貫してきた大型モンスターに、シロクがやられてしまった。


 土煙を上げ、パラパラと落ちては砕ける塔内部の壁。


 人間がどんなに魔法や武器で攻撃しても、表面を少し削ることしかできない頑丈な壁を、シロクを押し潰すような体当たりだけで、粉みじんに破壊してしまった。


 そんな光景を見ては、どんなに俊敏で勇気を持ったシロクでも生きていられるわけがない。


 エーコは腰を抜かして、その場にへたり込んでしまう。


 逃げなければいけないのに、体が思うように動かない。


「私の、せいだ……。私を守るために、シロクくんは武器を破壊されて……」


 あの一撃がなければ、訓練や遊び、闘技場で使われるような木剣であれど最低限の接触であれば破壊されることはなかったかもしれない。


「私は……」


 ハイスとトーレが死んだ。

 そして今、目の前で助けてくれた男の子が死んだ。


「私が弱いから、仲間が死んでしまう!」


 その叫び声と同時、壁を破壊していた頭を壁から抜いたモンスターが、エーコを見る。

 八つ目がギョロギョロと動くかのように、明滅する。

 それが瞬きなのかどうかわからない。


「ああ、そうだ……。思い出した。こいつの名前……」


 どうでもいいことを、死を間際にして思い出したエーコ。

 頭の片隅に引っかかっていた、ちょっとした疑問。

 食事の席で思い出せば話のネタにはなるだろうが、そこで思い出さなければ永遠に忘れそうな名前。

 だけど、それを誰かに話すチャンスを永遠に逸しようとしている。


「ハイス、トーレ、私もそっちに行くね」


 そこでエーコは自分の前に転がっているエメラルド・ソードの存在を思い出した。

 震える手を伸ばして、それをモンスターの眼前に突きつける。


「ただじゃやられない!」


 腰は抜けているので立つことはできないが、自分が持つには不相応な自慢の武器がある。


「私じゃ、こいつの本領は発揮できないけど、それでも!」


 エメラルド・ソードという未知の力を秘めた高価な剣。

 だが、それを満足に扱えるほどの技量をエーコは持ち合わせていないため、ただの飾りにしかなっていないのが現状だ。


「キシャアアアアアッ!」


 武器を向けられても、脅威と感じないのか、モンスターはエーコをあざ笑うかのように、長い脚ではなく、小さな口を近づける。


「この、この!」


 乱暴に振り回すエメラルド・ソードはモンスターの体に当たるものの、剣が折れることもなければ、モンスターを切り刻むこともない。


 脚で顔を守りながら、口を近づけてくるモンスターの金色に輝く八つの目が、エーコから逸らされることなく――その口が大きく開く。


 どうやったってエーコの片手ぐらいしか入らないサイズの小さな口だが、このモンスターの特性を持ってすれば、それでいいのだ。


 黒い糸で獲物を絡め取って殺し、巣でジワジワと消化していく。


「ごめん、みんな……」


 辛い現実から目を逸らすように目を閉じれば、涙がポロリと零れる。


 熱い。



 ピチャ――ピチャ――。



 静かに滴る水の音が耳朶を打つ。


 瞼を落とし、目の前にモンスターの気配を感じていたエーコの顔を横合いから突風が殴る。


 直後に破裂するような乱暴な音とともに、塔を揺らすような大きな揺れに苛まれ、エーコの意識は死の世界から現実へと、強引にもどされた。


 目の前にいたはずのモンスターが消えていた。



(私、丸呑みにでもされたの)



 しかし目に映る景色は、先ほどまでとなにも変わらない。


 いや、一つ違う。


 崩れた壁が乱暴に蹴散らされている。


「エーコ!」


 差異を見つけて呆けていたエーコの名が怒鳴るように呼ばれる。

 まるで父にでも呼ばれるかのような……怒られるような……。



「その剣を投げて」



 まだなにが起こったのか理解が及んでいないエーコは言われるまま、剣を放り投げた。

 重すぎて二メートルも飛ばない。


 重さもあれば、筋力の足りなさもあるし、座ったままというのもあったが、僅かな時間だけ宙に舞ったエメラルド・ソードが視界から消えた。



「シロクくん?」



 その声の主はハイスでも、トーレでもなければ、父親でもない。

 シロクの名を口にして、エーコは今置かれている現実をすべて思い出して、視線を慌ただしく巡らせた。

 崩れることのない外壁の前に、巨大ななにかが落ちている。


「あ、あのモンスターだ」


 シロクに尻を攻撃されて痺れていたのとは違い、上下さかさまになってひっくり返っては、脚を痙攣させている。

 身動きが取れないそこへ、翠色の剣戟が尾を引いて光る。


「エメラルド・ソード」


 高速を超えた光速で振り回すことで、薄暗い塔の中でも眩しい色を見せる翠色の光。

 その剣の残像がいくつも円のように広がるが、翠の半円はすぐに重なって、複雑な模様を中空に描き出す。


「シロクくん……」


 名を呼ぶしかできない。


 小さな体のシロクが、エメラルド・ソードを目にも留まらぬ速度で、ひっくり返ったモンスターに向かって何十連撃をも加えているのだが、それを数えられるほどエーコの動体視力は優れていない。


 モンスターを打ち付ける音は遅れて届くが、重ねられる攻撃が止まないため、その音すらも重なり、なにが起こっているのか、見ているのにわからなくなる。


「――ッ! シロクくん、ダメ!」


 呆けていたエーコは震える体を立ち上がらせて、シロクに向かって怒鳴る。

 エーコのエメラルド・ソードを借りたシロクは、剣を揮う度に真っ赤な鮮血を飛び散らせている。


「はあ、はあ、はあ、はあ」


 荒い息とモンスターを打ち付ける剣の音だけが響く。

 どれだけ硬い装甲を持っているのか、打っているシロクの手がしびれて仕方ないが、それでも攻撃を止めない。

 しかし、エーコの呼びかけに少し遅れて反応をしたシロクの手が緩んだ。


「はあ、はあ、はあ」


 エメラルド・ソードを下ろしたシロクは、瞳孔が開いたまま、肩で大きく呼吸をしている。

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