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「きみは?」
そこにいた男の子は幼かった。
背も低く、筋肉だってなければ、装備もない。
手にしているのは、どこにでもあるおもちゃ同然の木剣だ。
「僕はシロク。勇者を目指していて、いずれ必ず勇者になります」
状況にそぐわない屈託のない笑顔が向けられ、エーコは自分が置かれている状況を一瞬忘れかけた。
それぐらい、異質。
モンスターが跋扈し、常に死と背中合わせの塔の中で笑顔を見せられる状況など、迷宮の中で食事を摂っている時ぐらいだ。
エーコは経験したことがないが、塔を攻略すれば、最上階で笑いあうことができるのかもしれない。
そのどちらでもない状況で笑顔を見せている、変り者。
「そう……。私はエーコ。塔破者……そう名乗れるほどの者では、まだないわ」
シロクは小首を傾げつつも、エーコの甲冑や剣に視線を向けては、ジロジロと遠慮なく眺めていた。
エーコは異性にジロジロと見られることは不本意ながら慣れていた。
それは主に、通常サイズでは甲冑が合わなかった胸のせいなのだが、シロクが遠慮なく向けてくる視線には男性特有の下心が感じられない。
まるで有名な塔破者たちに向けられる羨望の眼。
それが経験が少なく、時間と回数だけが無駄に長い塔破者としてはまだまだの実力しか持たないエーコに向けられるには、不相応で居心地が悪かった。
「シロクくんは、そんな木剣でよく塔に入って、ここまで来れましたね」
すぐ近くには二階へと続く階段がある。
今の迷宮の状態を把握できていないエーコにも、入り口がどれだけ離れた場所にあるのかはだいたいの予想がつく。
「はい! さっきまでパーティーの仲間がいました!」
「……そう」
エーコは申し訳なくなって表情を曇らせた。
「あ、先に帰っちゃっただけですよ? セレナは元気です」
死んだわけではないのかと、安心して胸を撫で下ろしたエーコだが、一度冷静になって改めて自らが置かれている死が目前に迫る、危機的状況を思い出した。
「あの大型モンスターをどうやって一撃で?」
まだ八本脚のモンスターは倒れたまま動かないが、その脚は痙攣するように小さく震動している。
「この木剣でお尻をブスッと」
モンスターの排泄器官がどのようになっているのか、そんな酔狂な研究をしている研究者などどこを探してもいない。
研究をしようにも、同じモンスターがそう都合よく何匹も出てくるわけではない。
だからシロクの言うように本当にお尻――人間でも一撃を食らえば大ダメージとなるような場所があるのかは定かではないが、現にモンスターはそれで痺れている。
無論、シロクの木剣に麻痺属性などは付与されていない。
「今のうちに逃げましょう!」
「逃げてどうするんですか?」
シロクは木剣を手の中で弄ぶようにして構えて、今にも起き上がりそうなモンスターの背中を見る。
「まさか、戦うつもり……? やめておきなさい。あんなのを相手にして一人で勝てるわけないじゃない!」
「勝てるかどうか、やってみなければわからないよ?」
口の端をつりあげて不敵に笑うシロクを見て、エーコは言葉を失った。
「勝てるわけ――」
(いいえ、違う……。この子は好奇心に支配されている)
今の世では、塔破者など一攫千金を目論む無謀者や、楽して日銭を稼いで好きなことをしていたい道楽者たちの集いとまで蔑まれた存在にまで評価を下げたが、元々は英雄や勇者、称賛されるべき功績を上げた、戦う勇気を持った戦士へと贈られた言葉だった。
時代や環境が変わったことで、目的や存在意義も変わり、今では塔破者とは疎ましい存在でしかないはずなのに、シロクは過去の塔破者とも現在の塔破者とも違った。
(戦闘狂……。戦うことが楽しくて仕方がない。きっとゴムゴブリンやウルルフに勝って、自信をつけてしまったのね)
その自信が、酷く残酷な現実であることをエーコは知っていた。
エーコはハイスとトーレという臆病――慎重な仲間に恵まれたため、長いこと三人揃って生き長らえてきたが、昨日の自分たちと同じ過ちをとっくの昔に犯して死んでいった同期たちを数多く知っている。
今日大丈夫だから、明日大丈夫という保証はどこにもない世界だ。
(なら、私があなたを勝たせてあげる)
もう誰かが目の前で死んでいくのは見たくないから。
(だから、あなたには悪いけど、嘘を吐いて騙してでも外に出すしかない……)
「シロクくん、お願い!」
「ん?」
モンスターから一向に逸らさなかった視線がエーコに向けられる。
ここぞとばかりにエーコは言葉を選んで、シロクの説得を開始する。
「私はあいつに仲間を殺されたの。どうしても復讐をしたい。でも、今はダメ。あなたなら勝てるかもしれないけれど、あいつに仲間を殺された人は、他にもたくさんいるはず。一人で勝っても意味がないの」
「敵討ちがしたいってこと?」
エーコは頷いた。
「シロクくんは強いのかもしれない。だからこそお願いします。私に力を貸してください!」
二人の間にどれぐらいの年齢差があるだろうか。
そんなことを気にしたって意味はないことだが、エーコから見ればシロクはまだまだ幼い子供だ。
それでも塔の中に入れている現実を見るに、十五歳以上であることは確かだし、こんな場所で一人にされても怯えた様子もない。
芯の強い子供。将来が有望の塔破者。
時代を動かせるかもしれない。
そんな少年をこんなところで殺していいわけがない。
「うん、わかりました。どうすればいいんですか?」
シロクは木剣を腰に戻して、モンスターに背を向ける。
(やっと、意識をあっちから逸らせた……)
エーコにとっては未知の話だが、シロクの戦闘能力には期待をしているし、その勇気や自信は失わせたくない。
それに証言者が一人増えれば、それだけ信じてもらえる可能性は高くなる。
「私と一緒に塔の外に出て欲しいの」
出口までの道のりはわからない。
あのモンスターから逃げつつ脱することができれば完璧だが、最低でもシロクだけでも逃がして、このことを伝えてくれれば仇を討ってもらえる。
「出口ですか」
シロクは困っているのか後ろ頭を掻いている。
「やっぱり……出口、わからないわよね」
「出口はわからないけど、出口のある方はわかりますよ。セレナの匂いを辿って行けば」
「セレナって……一緒にいたって子?」
「はい!」
この四方を土に囲まれた塔の中で、モンスターは愚か、人間の匂いなどするわけはないのだが、それでもシロクは一人の人間の匂いを追うと言う。
「信じていいの?」
「信じるもなにも、セレナがいるのはあっちですよ?」
そっちの方を指差すシロクに、エーコはこれ以上の問答は諦めた。
「わかったわ。行きましょう。あいつがいつ動き出すかわからない」
エーコはエメラルド・ソードを手にしたまま、足早に歩き出すので、シロクは今一度モンスターを一瞥してから、後ろ髪をひかれる思いで後を追う。
「道案内をお願い。ゴムゴブリンやウルルフぐらいなら、私の魔法剣でどうにかするから急ぎましょう」
「魔法剣!」
緑色に輝く剣を翳しながらエーコはどんどん迷宮を出口に向かって突き進む。
「エーコさん、そこは左ですよ?」
たまに道は間違えるが、それでも前へ進むことは変わらない。




