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15

 キシャアアア――――



 天井から、そんな悲鳴めいた音なのか声なのかが鼓膜を叩く。


「うっ」


 あまりの音響にエーコは頭を庇うように耳を塞いで、その場に膝をついた。

 頭痛と眩暈に苦しめられ、それが治まった頃、ソレは目の前にいた。

 黒く丸い体に八本の細長い脚――そして八つの金色に輝く目と小さな牙を持った口。

 人間の子供であろうと頭すら丸呑みにはできないであろう大きさの口。

 それが細かく動き、金色の八つの目が瞬きでもするかのように明滅を繰り返す。


「――ッ!」


 エーコは前触れのない、壁に張り付いたままのソレの攻撃を間一髪横に転がることで回避する。


 散々倒れ、散々土埃に塗れ、散々歩き回ったせいで足腰に疲労が溜まっていたのが幸いとばかりに、エーコの体は地面を転がることができた。


「関節が……ありえない方向に曲がった……」


 壁に張り付きながら、百八十度真上に上げるだけでなく、関節部分をさらに内側――本体からすれば外側――へと、大きく曲げて伸ばしてきたのだ。


 剣を杖代わりにして立ち上がり、エーコはソレから十分な距離を離れて確認する。


 昨日は暗くて、怖くて、ハイスとトーレが殺されパニックになってしっかりと確認できなかったが、壁に張り付くソレをしっかり見た。


「なんで、こんなのがいるの……」


 エーコはソレを見たまま後ずさり、三階へと続く階段から離れ、二階の見知った迷宮を駆け抜ける。


「こんなの、勝てるわけないじゃない……!」


 いくら高価なエメラルド・ソードを持っていても、いくら大量の魔法を唱えるための魂脈があったとしても、余程の実力者でもない限り、あれを一人で倒すことなんてできない。


「この塔に、雑魚モンスターが少ない理由がわかった。全部、あいつが原因だ!」


 この情報を持ち帰れば、内側の塔を攻略している塔破者たちが手助けしてくれることは間違いない。それだけの大物だ。

 息を乱しながら、痛みと疲労で普段のように動かない体に鞭打ちながら、エーコは走るも、足元が揺れている。


「私がフラついているわけじゃない」


 後ろを見れば、ソレが背後から迫ってきている。


「二階の迷宮が今まで変化しなかった理由は天井を移動していたから――だから、どこまでも天井が高くなって見えなくなっている。その分、私たちの歩く迷宮は変化する影響を受けなかった」


 しかしそれは二階部分の話で、一階部分は違う。

 少しの時間、塔から離れただけで、しっかり変化していた。


「他のモンスターはハイスとトーレと同じように、あいつに殺されたんだ。あの黒い糸で絡み取られて、小さな口で噛み砕いて消化していくんだ……」


 塔内部で死んだ塔破者に死体がその場ですぐに持ち帰らない場合を除いて出ないのは、迷宮が変化して見失うということもあるし、それ以上にモンスターの栄養となってしまうのだ。


 エーコはもう泣いてなどいなかった。


 大事な仲間を殺した相手がわかれば、どうにかしてもらえる。


 自分ではできないのが辛いところだが、即席の討伐パーティーなどが編成されたら、どこかに入れてもらおう。


 これだけの異常事態ならば、誰かが動いてくれることは過去の前例からも明らかだ。


「一階の階段!」


 下り階段を見つけて、エーコは飛び降りるようにして身を潜らせる。


「あいつは……?」


 階段を下りきって、背後の階段を見上げれば、そいつは三階の階段から下りてきたように、天井がなくても床を歩いて階段を下る。


「あいつの名前、なんだっけ。ある……あら……あね……」


 走りながらでは頭が上手く回ってくれない。


 一階の迷宮は複雑に入り組んでいるが、二階部分のように天井は高くないし、細い道も多ければ、曲がり角も多く死角が多い。


 迷いながら走っていても、満足に動けないあの巨体では追いついてこれないはずだ。


 逃げ切れる――エーコは確信した。


 その刹那、背後に迫る気配が消えた。


(狭くて引き返した?)


 エーコが背後を振り返った瞬間、その巨大が脚を縮めるようにして、天井スレスレを飛んでエーコの行く手を遮るように立ち塞がった。


 再びエーコの目に映る、ソレの小さな無数の目と、小さな口。


「うそ」


 横道に逸れてやり過ごそうにも、曲がり角は少し前に通り過ぎ、ここは狭い通路の一本道だ。


 目の前のモンスターの脚の下を潜れるぐらいのスペースはあるものの、そこを黙って通してくれるわけがない。


 あの長く、細い脚で刺されたら人間の腹に風穴が開くし、牙に噛まれれば助からないだろう。


 それがウルルフやゴムゴブリンとは違う、一撃が致命傷となりかねない強力なモンスターというやつだ。


 エーコは通路を塞ぐモンスターに向けてエメラルド・ソードを構える。


 魔法を使うだけの隙はあるか――炎の効果はあったようだが、ダメージはなかった。



「やるしかないの……」



 背中を向けて逃げられるほど、相手は遅くない。機動力は落ちているが、この狭い通路にも跳びはねることで順応しているのだ。


「逃げ場はなしか」


(あとちょっとなのに)


 どうせなら、二階に上がる前にいた、他の塔破者がこの異変に気づき、外に伝えてくれれば、最低限の反撃には繋がるかな、なんてエーコが命を諦めるように考えていると、目の前の巨体が跳ねた。



「グギャアアアアアアッ!」



 小さな口から出たとは思えない大きな悲鳴をあげて、壁に頭や体を擦り付けながら、バタバタと暴れ出し、壁に体を押し付けたエーコの背後を暴れながら通り抜けて、細い脚を広げたり、立てたりしながら大きな体を床につけるように倒れた。


 なにが起きたのか。


 すぐ近くでモンスターは倒れているが、死んではいない。


「かっこいい甲冑のお姉さん大丈夫ですか?」



 塔の中にあって、強力なモンスターを前にして、そんな呑気な声がかけられた。

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