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しかし、エーコ一人ではどうすることもできなかった。
一階の迷宮は変化していたのに、二階はまったくの変化がなかったため迷うことなく三階へと続く階段前へと一直線でやってこれたが、その天井に、ソレはいた。
昨日は気配しか感じず、ソレを前にして逃げ出してきたが、ソレを見間違うはずはない。
知らないはずなのに、よく知る存在。
「血の匂い……」
見上げれば、そいつの影は見えるのに、ソレはこちらを襲ってこない。
「寝てるの……?」
モンスターは地下迷宮で長い時間過ごしているため、塔の中に上がってきても夜行性と言われ、昼は大人しく、夜はモンスターが活発に動き回る、というのは有名な話だ。
「動かないけど」
襲って来れば戦う覚悟はできていたが、天井に張り付いたまま動かないソレの影を見上げていると、首ばかりが疲れそうだし、なにより……。
昨日のハイスとトーレのことを思い出しそうだ。
全容が視認できず、どんな形であるのかエーコにはわからないが、天井に張り付くモンスターはそこそこの大きさがあるように見える。
魔法で撃ち落として戦うのもありだろうか。
塔のモンスターは夜行性であるため、昼間は動きが鈍くなる傾向にある。
エーコは腰の鞘から剣を抜いた。
柄を含めて百五十センチほどの緑色の剣。
「エメラルド・ソード」
希少なエメラルドを剣に加工した特別な武器だ。また彼女の甲冑も緑色なのはエメラルドの成分を含んでいるからだが、百パーセントではなく、他の混合物でエメラルドの鮮やかな色をわざと消している。
(私は知ってるんだ。ハイスとトーレが、こんな高価な装備を贈ってくれた理由を……)
エメラルドの石言葉には『幸運』や『希望』といった意味が込められている。
(私は二人の期待を背負っていたんだ……)
当然、値段の高い甲冑であるため防御力や生存確率の高さにも直結する。
二人の持つ武器や装備は、見た目だけを揃えた必要最低限のものだ。
それだけ三人の中で弱いエーコには贔屓にされていた。
その理由は簡単だ。
最初は本当に簡単な理由だった。単純に食事の好みが似ていたことと、同じように塔破者仲間を探していた偶然が重なった。
エーコよりもハイスとトーレは先に『新米勇者候補決定戦』で優勝していたが、ハイスは当時の仲間が塔破者を辞めたため一人になり、トーレは塔破者になっても一度しか塔には入らずに家の仕事を手伝っていたため、まったくの初心者同然の三人が、たまたま飲み屋で席を隣にした。
年齢も近かったこともあり、三人は酒の力も手伝ってすぐに意気投合をしてパーティーを組んだ。
知識と経験のあるハイス、冷静沈着で口数の少ないトーレ、まったくの初心者だったエーコ。
臆病で慎重、そんな三人組は男二人に女一人という普通なら仲違いをして別れてしまいやすいパーティーでありながら、長く続いた。
臆病で慎重というのは、塔の中だけでなく、ハイスとトーレのエーコに対する恋心も同じだった。
一歩を踏み出せない。
エーコ自身も二人からの好意をそれとなく理解していながら、どちらかを選ぶことができなかった。選んでしまえば、居心地のいい三人のパーティーは終わってしまうことを知っていたから。
だからこそ、ハイスとトーレは考えて、協定を結んだ。
「エーコを守ろう」と。
いつか、どちらかを選んでくれるその日まで。
そのため二人は貯金を切り崩して高い装備を買い与え、ハイスとトーレは安物ながらお揃いの装備一式を揃えた。
男同士の約束の証として。
「私は、応えられなかった……。今も応えられない。応えちゃいけない。だから、許して欲しい」
エーコは鞘から抜いた剣を突き出すように腕を引いて構える。
狙いは天井に張り付くモンスター。
「ハイス、トーレ……私は、あなたたちのところには行けない! 死ぬわけにはいかないんだ!」
二人の想いが今日までエーコを生き長らえさせてくれた。
死ぬ覚悟で来たはずの塔だが、二人のことを思い出したら、自分一人の命であれ簡単に投げ出していいものではないことを思い出した。
「だから私、塔を攻略する。本当の塔破者になる!」
頭上で眠るモンスターがなんであるかはわからない。弱点もわからない。
「でも――」
エーコは左手で赤い鉱石を放った。
「エメラルド・ファイア!」
放った赤い鉱石を、エメラルド・ソードで刺突すると、小さな鉱石から天井を覆い尽くすような炎が殺到する。
一撃の重さはないが、その分広範囲に及ぶ消え難い赤と緑の混ざり合った明るい炎が天井を焼く。
そこにあった暗闇のせいで視認できない黒いなにかをブチブチと音をさせて焼き尽くす。
色鮮やかな炎を纏ったなにかが燃えながら床に落ちてくる。
キシャアアア――――




