08
いや、とセレナは首を振って、過去の記憶を振り払う。
(あれは塔の本当の姿じゃない。人間の本当の姿なんだ)
人間は金のために仲間を殺せるだけの覚悟を持てる。
結局、あの時の四人は全員死んでしまったらしい。
セレナは四人が殺し合いをしている隙をついて、メスのウルルフの魂脈を拾って塔から逃げ出した。
しかし、他の四人は誰も戻って来なかった。
セレナは結果的に、ギルドに一日のノルマ、一万ゼンを初めての塔への挑戦で成功したことになる。
セレナよりも少し年上の、セレナと同じようにギルドに所属された男の子たちは、一万ゼンが稼げずに暴力を振るわれていた。
塔の中であろうと、外であろうと、弱者は死に方を選べないことをセレナは知る。
たった一度の親切に甘えてしまったが故に、目に見えない首輪と鎖で、セレナは繋がれ、逃げる術をなくした。
(誰かを騙すのは悪いことじゃない。騙される方が悪いんだ……)
自分にそう言い聞かせ、他人の金を盗んで納金してきたセレナは、昨日までほぼ毎日ノルマをこなせていたのだ。
それはセレナの運が良かったというのもあるが、彼女が元から持っていた処世術にも関係しているのかもしれない。
(それだけは……あの人に感謝しなきゃ……。また会いたいけど……合わせる顔がない)
「セレナ、ウルルフが二匹来たよ」
セレナはシロクの言葉で我に返り、そして過去と現在をつなぐ事実に気づく。
「ああ、そうか……。そういうこと、なんだ……」
「どうしたの?」
足音と荒い鼻息が近づいてくるのがセレナの耳にも聞こえるのに、セレナには動揺の色が見えない。
落ち着いていた。
それでいて少しばかり興奮していた。
なんの役にも立てない自分でも、生きるための情報だけは持っている。それを与えられる。
「ウルルフはこちらの……敵となる人間の数に合わせて襲ってくるんです」
今は二人だから二匹ずつ。
あの時は五人いたのに、群れのリーダーのメスは離れたところにいてオスの四匹が襲ってきたが、今は二人で二匹。
(私は、モンスターに……)
「なるほど~」
シロクは、また笑った。
「ウルルフってやつは実に良いモンスターだね」
「どういう意味ですか?」
「一対一を好んでいるってことだよ。闘技場では、まとめて襲い掛かってきたけどね」
「塔の外に引っ張り出されたモンスターは魔力が薄れるって言いますから、野生の動物の勘が戻ったのかもしれません」
集団で狩りをするウルルフの特性を残しつつも、一対一では挑まない。
「欲求不満だったのかな~」
「よ、欲求不満って……。確かにメスがいるか、わかりませんけど、その……」
「ん?」
言葉に詰まるセレナをシロクは不思議そうに見る。
「だってさ、ウルルフだって本気で自分の得意な状況で戦いたいって思うんじゃないかな?」
「……そういう意味ですか……」
「思い通りに戦えないとストレス溜まるもんね。弱い人は特に」
ん、とウルルフは意識を通路の向こうに向けた。
「足音が三つ。メスも来たみたいだね」
にっこり、笑って振り返るシロク。
セレナは慌てて手にしていた武器を背中に隠す。
「僕が前の二匹を倒すから、セレナはメスをそれで倒してみてよ」
「でも……」
「やってみればいいよ。失敗しても僕がフォローするから」
(私が、モンスターを討つ……)
背中に隠した手の中にある武器。
すごく馴染む、大切な宝物。
誰にも渡さない。どんなにお金を積まれたって手放せない。
そもそも今の時代、欲しがるような人は誰もいない骨董品。
「来るよ!」
シロクは二匹を視界に捉えて走る。
どうやらウルルフは怒っているようだ。
一つの群れの中にいれば他のオスなど邪魔なはずなのに、減った方がメスを独占できて嬉しいはずなのに、ウルルフは他のオスを殺されて怒っていた。
(たぶんそう考えるのは、ずるいことを考える人間だけなんだ)
同じメスを愛していても、仲間のオスが殺されれば怒る当然の感覚を人間以上に持ち合わせている。
「グルアォッ!」
先頭を走ってくる一匹のウルルフの鼻面を、シロクは木剣で殴り飛ばす。
ウルルフは吹っ飛び、背中を打ち付けて転がる。
それだけではない。もう一匹の、少し後ろを走っていたオスのウルルフにぶつかり、二匹は脚を絡ませるようにして転んだ。
「セレナ!」
突然、名を呼ばれて驚いていると、前に立つシロクはこちらに笑顔を向けていた。
「……そういうこと、ですか」
セレナはシロクの目論見を――やろうとしていることを理解した。




