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06

 私の予感は的中した――シロクを疑いつつも……疑い続けていたせいで、あることが疎かになっていた。


「あはは」


 シロクは笑っているが、その無尽蔵の体力に振り回されたセレナは膝に手をついて呼吸を整えている始末である。


「迷子になってる……」


 足を止めて、足元を見てやっと現実を言葉にできた。


「広いんだね、塔って。階段も見つからないや~」

「そりゃそうですよ……。外から見た塔は、ちょっと大きな家ぐらいの面積にしか見えませんし、高さだって数十メートルしかありませんが、トリックのタネはこれです」


 そう言ってセレナは襷がけにしたバッグを眼前に持ち上げて見せる。


「魔法のバッグだね」


 今もまだ、それの話題を出せばシロクからは「欲しい!」と言った視線が向けられる。


「この塔はモンスターの魔力を受けることで常に脈打つように動き続け、迷宮もモンスターが通ることで変化します。それは地下迷宮も同じで、日々拡大しているとも言われています」


「つまり、モンスターの素材からできたバッグに見た目以上に物が入るように、塔の中も見た目以上の広さがあるってことか~」


「そういうことです。だから……」


 セレナは天井を見上げる。


「この塔が何階建てなのかは登ってみなければわからないんです。塔破者が塔の最上階を拠点としている、その時、塔の中で一番強いモンスター、塔治者を倒せば、数日は落ち着くんです」


 だが、その塔の最上階を縄張りとしているモンスターがどんなモンスターであるかは、登って行って出会ってみなければわからない。


「どれが塔で一番強いモンスターなのかは倒してみないとわからないんですが、倒せば塔内部でも外側の壁、外から見た時の塔の動きが止まるんです」


 まるで血液を通す血管や臓器のように脈打つように動く塔の外壁と迷宮。

 だからこそ『魂脈』などという名称が、モンスターを倒して手に入れた魔力の塊には付けられている。


「勉強になるな~。セレナは物知りだね!」

「シロクくんが物を知らないだけなんですよ、たぶん。あと方向音痴ですね」


 その言葉を口にしてセレナは今朝のことを思い出した。

 塔のすぐ近くの倉庫で休んでいたというシロクが、寝坊をしたわけでもないのに、意識を失っていたとはいえ塔に入るには寝坊ともいえる町が起き出した時間に目覚めてもセレナがシロクに追いつけたのは、シロクが迷子になっていたからだ。

 あの目の前に見える距離で、だ。


「いや~、塔は広いね~。花とかも全然ないし」


 反省した様子もなく、シロクは木剣を握ったまま後ろ頭を掻いている。

 それを見て、大きなため息を漏らしかけた途端、今の今まで笑っていたシロクが真顔で近づいてくる。

 セレナは目を丸くして驚きの声を上げる間もなく、背中を壁にぶつけるまで追い詰められて、口を塞がれた。

 それだけじゃない。シロクのもう一方の腕はセレナの首に回すように巻かれている。まるでキスをするために抱かれているかのように……。


「セレナ」


 呼吸が僅かにしかできず、狼狽えていると、耳元でシロクがセレナの名を囁く。


「モンスターがいる。僕の知らないモンスターじゃなければウルルフ。わかる範囲で二匹」


 その方向にシロクが目配せをすると、セレナは頷いて静かに呼吸を整えた。


「ウルルフは集団で狩りをします。他の塔破者に殺されていなければ全部で五匹。一匹が司令塔のメス、あとの四匹がメスを守る攻撃役のオスです。メスを倒せば統率を崩せます」


 セレナからの適格な助言に、今度はシロクが黙って頷く。


「ウルルフが、五匹」


 その時、セレナは見た。


 口の端を釣り上げて、楽しそうに笑うシロクの横顔を。


 それを見て、ゾクッ、と嫌な寒気が背中に走る。


「セレナは安全な場所まで下がってて。僕が全部やっつけるよ」

「厳しそうなら、少しだけですが手助けします。さすがに一人で……そんな木剣一本で五匹の相手は無理ですよ。ウルルフはオオカミです。暗い場所での狩りは得意ですから」

「わかった。セレナに合わせて動くよ」

「私に、ですか?」

「セレナが戦うというのなら、戦える武器があるんでしょ? きっと近接武器ではないよね」


 なにも言えなかった。


 生きている人間ではギルドのメンバーぐらいしか知らない、セレナの武器。


 それをまだ見せてもいないのに、セレナの隠している武器を半分でも言い当てたことに代わりはないと、セレナ自身が痛感する。


「わかりました。最初は閃光弾を使います」

「閃光弾って貴重なんじゃないの?」

「私のは大丈夫です。斥候の二匹の足止めができると思うので、そしたらシロクくんが倒してください。次はその都度、状況を見て私が対処します」

「うん、わかった。全部任せるよ」


 セレナに背中を向けたまま、シロクはウルルフが近づいてきているという迷宮の先を向く。


「……全部任せるか……」


(無防備な背中を向けて……今日初めてパーティーを組んだ私なんかに……戦う力を持たない私なんかに背中を預けて……)


 胸が苦しくなる。


(なんで、こんな思いをしなければいけないの……?)


 迷宮で迷子になるのは困るが、それ以外はすごく良い子だ。


 勉強熱心で、礼節を忘れない。

 無法者が多くて嫌われる塔破者にあって、すごく清い存在。

(そりゃ、私だって昔はこんなんじゃなかったけど……)


 奥歯を噛み締める。

 そうでもしないと涙が零れそうだった。


「こうするしか、生きられないんだ!」


 セレナが叫ぶと、視界の先にウルルフが二匹、縦に並んでやってくる。


「難しいけど」


 バッグに手を突っ込み、そこから薄い光を発する楕円形の筒を取り出す。


 閃光弾。


 弾といっても、なにかを使って撃ち出すようなものではない。

 素手で持って、投げ飛ばすだけの簡単な物。


「発光させるには強く握り、手を放してから三秒から五秒後――またはもう一回衝撃を与えるだけ」


 セレナは慎重に使い方を間違えないように言葉にしながら、それを投げる。

 天井にギリギリつかず、シロクの頭上を越える絶妙な高さをアーチを描くようにしてウルルフの前に飛ぶ。


「シロクくん、目を瞑って! 発光します!」


 モンスターを前に背中を見せるのは隙だらけになるが、十分な距離を開けているセレナは咄嗟に背中を向けて目を瞑った。

 直後、セレナの放った閃光弾が、天井や壁、床に接触する音をさせることなく空中で光を爆発させた。

 目を開けていたら失明してしまうぐらいに強い光が、逃げ場のない塔の迷宮の中に伸びて広がる。


「きゃううっん」


 跳ねるように走っていたウルルフが悲鳴を上げて壁に体をぶつけたり、地面に倒れる音がした。


(成功した……!)


 あとは光に備えていたシロクの視力が回復したらウルルフにトドメを差してもらう。


 それで五匹中、二匹のウルルフを退治できる――そこれはシロク頼りだが、まともに動けないウルルフならば二匹相手でもどうにかなるだろう。


 そう思って、闇の中に留まっていた光が消えて、視界が暗くなるのを瞼の向こうに感じて、セレナは目を開いて、振り返った。


「ごめんね」


 鼻で床を掘らんばかりに床に強く押し付けて、理解できない行動をしている一匹のウルルフにシロクは跳び、その首筋に木剣を刺した。


「ウルルフの弱点を……」


 短い悲鳴とともに、ウルルフの体が霧散し、魂脈と素材が落ちる。

 セレナがそこまで視界に捉えた時には、もう一匹の壁に体をぶつけていたウルルフの首に、シロクは木剣を突き立てた。すると、こちらも同じように体が霧散して、魂脈と素材が落ちる。


「とりあえず二匹」


 シロクは言って振り返る。

 セレナはそれを見て驚きに言葉を詰まらせる。


「そ、それ……」

「閃光弾を使うって言うから、僕はずっと目を瞑っていたよ?」


 シロクは光を正面から浴びながらも、投げたセレナよりも先に動けていたシロクの行動に、セレナは脱帽した。

 セレナに話している間も、シロクは目を瞑ったままだ。


「もう次は使えません。ウルルフも、こちらが不意打ちをしてくることを二匹が殺されたことで学習したと思います」

「そうなの?」


 そんな声とともにシロクは目を開く。


「はい。五匹で群れを作るウルルフですが、その中で情報を共有するんです。あの……少し恥ずかしいんですけど、ウルルフの生殖に関係しているらしいです」


「どういうこと? 知りたい!」


「えっと……ウルルフの群れはメス一匹に対してオスが四匹なので、どのオスがいつ交尾をするかっていった情報を共有しているんです。それが群れ独特の習性とも言われています」


 なんで塔の中でモンスターの生殖に関する話をしなければいけないのか。


 それも男の子相手に。


 人間とは違う、モンスターの相手でも、そういう話はやっぱり恥ずかしさを覚える。


「群れになったウルルフは情報を共有できるってことか~」

「元々の動物もですけど、危険なんかは鋭敏に察知しますし、モンスターとなった今では体内に宿る魔力がそれを助けて、遠くにいる群れの仲間にも伝えているとも言われています」


 力のゴムゴブリンに比べればシロクも、ウルルフを倒すのに力を要さなかった。

 だが、なにも知らず、いきなり五匹の群れに囲まれてしまえば、パニックになって冷静さを欠いて、ウルルフの餌食になるしかなくなる。

 それが野生の動物から魔力によって進化したモンスターと呼ばれる、この世界で恐れられる存在だ。


「じゃあ、残りの三匹はどういう行動をとるのか、楽しみだね~。あ、その前にさっきの拾っておかないと」

「そうでした」


 シロクが二つの魂脈と、二つのウルルフの牙のような形をした石――素材を見つける。


「これ牙だよね?」


 黒い魂脈と黒い石。


 モンスターの魂脈はゴムゴブリンのと似た炎を象ったような形をし、硬度は石と変わらないが、力を込めても砕けるかは定かではないし、今その価値を知っているシロクはそんなことは怖くて試せない。


「でも、素材の方はゴムゴブリンのとは形が違うし、あんまり柔らかくないね」

「ゴムゴブリンのはゴムに近い素材ですけど、それは牙ですから、それなりの硬度があるんだと思います」


 シロクの手に握られる、二つの魂脈と二つの素材。

 セレナはそれをマジマジと見つめていた。


(二万ゼン……。それだけで二万ゼン……)


 閃光弾は世間では貴重なアイテムとされているが、セレナにとっては大した価値はない。それどころか今回、黄色い花を手に入れられたので、いくらでも作ることができる。


「シロクくん、あの――」


 喉から手が出るほどに欲しい、高額な魂脈。


 分け前を寄越せ、などと面と向かって言える勇気はなかったセレナは、どうにか思考を巡らせて、半分だけでも手中に収めておきたい。それで今日のノルマ――最低限は確保できる。


 もう暴力を振るわれるのは嫌だ……。


 それなら、多少節操のない無遠慮なはしたない女の子って思われたって構わない。


 その覚悟で口にしようとしたのに、


「はい、これ」


 シロクは優しく二つの魂脈を放ってくるので、慌ててセレナは落としそうになりながら受け取る。


「もう一回」


 そして次にウルルフの牙素材が投げて寄越される。


「え……?」


 セレナの手の中に、ウルルフ二匹から手に入れた四つの物。


「僕はバッグ持ってないから、預かっておいてよ。こういうのって二人で分け合うものでしょ?」


 迷いも疑いもなく、シロクは平然と今稼いだ大金を簡単に渡してきた。


「はい……」


 セレナはそれをバッグの中に落とす。


「じゃあ、残りの三匹も倒してお金持ちになろう!」


(このまま逃げるわけにはいかない。まだ……)


 ウルルフの走ってきた方へと歩き出すシロクの背中を追いながら、セレナは高鳴る鼓動を必死に押さえ付けるように、鎮めようとする。


 呼吸の変化を探られないように注意しながら、セレナはバッグの中から武器を取り出した。


 ゴムゴブリンの棍棒、ウルルフの牙、シロクの木剣――それぞれが潜める牙という力。


 それは戦うことを知らないセレナにだって、ちゃんとある。


 誰よりも上手に隠された、誰よりも強く鋭く研がれた牙が――。

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