12
日付が変わろうかという頃。
国の一番外周にある初心者向けとされる塔の前に一人の男がやってきた。
昼の店は完全に閉まり、ほとんどの家が眠りに就き、昼はただの大通りだが日が暮れ出せば飲み屋街と変わる一角の喧噪も、幾分か静まり始める。
そんな時、塔にやってきた男の手には大きな刃の斧が握られている。
「調子はどうだ?」
斧を持った男が狭い塔の入り口を覗き込んで声をかけると、中からは長身の男が、こちらもまた細長い剣を持って出てきた。
「普段通り、俺が受付を変わった夕方以降に入った人は誰もいませんが……」
「なんだ?」
紙に書き記された名簿を手渡す。
「未生還者二名……。こいつらか」
「はい。名前はハイスとトーレです」
「ああ、銀甲冑の小心者どもか。それで、もう一人緑甲冑のケツのでかい、上玉の女がいただろ」
「彼女は俺が来る前に入り、俺がここに来てから出て行きましたね。血塗れで」
「……死んだのか?」
「彼女自身は無傷でしたが……」
斧を持った男は、なにかを思ったのか塔を見上げる。
近くで見ると、左右にうねうねと動いているのもよくわかる。
夜の塔は、地下迷宮から上がってきたモンスターが活発に動き回るせいか、中の迷宮が変化して外側の壁もそれによって多少動く。それが塔が生きているかのように揺れて見えるのだ。
「あいつらは根性なしだが、そこらのやつらよりも経験は積んでいる。下手に深入りをするようなことはあるまい」
「そうですよね。あ、それと、俺は中にいたので聞き取れませんでしたが、あの女、エーコは塔の外に出てなにか叫んでいましたね」
「仲間割れでもしたか……」
はあ、と斧を持った男はため息を漏らす。
「女一人に男二人のパーティーの宿命みたいなもんですね」
長剣を持った男も、同じようにため息を漏らし、星の浮かぶ夜空を見上げる。
この塔の受付業務は、国から与えられた仕事だ。
一日を四分割をして、日付が変わった頃から、深夜・朝・昼・夕方と分けられている。
深夜は一番暇だが、塔内部に残るモンスターが凶暴化するため、一番給料が高く二千五百ゼンもらえる。
逆に一番安全な朝であるが、来る人が多く忙しいので、そこそこ高い二千ゼン。
そして暇な昼は千五百ゼン、夕方は千八百ゼンとなっている。
深夜の時間帯以外は、塔破者の資格を持っていれば誰でも働けるが、深夜ばかりは危険があるため、戦うことのできる現役の塔破者が務めることになっている。
どの時間帯でもモンスター一匹分の魂脈を売った時の値段には遠いが、ほとんどの塔破者はパーティーを組むため、一万ゼンを得られるモンスターを倒したところで分ける人数が多ければ、個人の手取りはそれだけ減る。
そういう意味では、塔の受付は一人で寂しく、危険もあるものの、中に入るよりは楽で、確実に金がもらえるため安定はしていると言えた。
「とまあ、そんなところです。今日のこの塔の状況は」
「ああ、確かに引き継がせてもらう」
これからは一番給料のいい深夜の時間が始まる。
朝の忙しい時間までは、斧を持った男が一人で受付業務――と言っても、人など来ないので、許可を持たない人間が勝手に入らないための見張りとして、あの狭い机の向こう側で黙って待つだけだ。
しかし、今現在は誰もその席にいない状況だが、この場所から離れなければなにも問題はない。
出入口は一つしかないのだから。
仕事の引き継ぎが終わり、長剣を持った男は飲み屋街が閉まる前に、寝る前の一杯でも飲みに行こうと頭を切り替えると、ぼったくりの店ですら空っぽになる深夜に、誰かがこちらに向かって歩いてくる。
「酔っ払いか?」
無駄に刺激をしないよう、二人は無言で見守っていると、その主が月の光に照らされる。
「あんた……」
長剣持ちの男が、驚いた声を上げると、斧持ちの男は渋い顔を作った。
「死ぬ気か?」
斧持ちが低い声で問うと、その主――鈍い緑色の甲冑を血と泥で汚し、元は綺麗な黒髪は、こちらも血と泥でボサボサになっていた。
表面的な見た目だけでなく、彼女の顔は自暴自棄にも見える。
瞳孔が開き、荒い息を吐き、獣のような唸り声を上げているし、目の周りは腫れていた。
「私は、死なない……。誰も、頼りにならない……。だから、私は、あいつを、殺す。仇を討たないと……」
「仇? 誰だ?」
眉間にシワを寄せて塔を睨むエーコは、それには答えないので、斧持ちの男は先ほどのリストを確認する。
日付が変わっているため『昨日』だが、入ったのに出てきていないのはハイスとトーレの二人だけ――パーティーのエーコだけがここにいることを考えると、死んでいると考えるのが妥当なのだが、男女のパーティーとなると、何組ものパーティーを見てきた受付をしたことのある人間には、恋愛のもつれによる仲間割れ、なんてものが脳裏を過ぎる。
男女が一緒にいれば、どちらかがどちらかに惚れてしまうのはよくあることだ。
そしてそこから弾かれた者は、その二人を疎ましく思う。
恋敵だったら、それはもう堪ったものではないだろう。
そうなれば誰の目もない塔の中で、殺しが発生する。
塔の中ではモンスターに殺されても、仲間に殺されても、確認のしようがなく、罰する法も、取り締まる権限を持つ者もいない。
「入るけど、いいわよね?」
エーコが思い出したように、二人に問うと、
「ああ、あんたのような有名人なら手の甲の確認は必要ない」
斧持ちが頷いて応える。
敵討ちなどという行為は本来止めるべきことなのかもしれないが、一番外側の塔を管理したことのある面子にとって、エーコはちょっとした有名人だ。
綺麗な黒髪に、大きな胸を隠そうとしているのに隠しきれない鈍い緑色の甲冑――薄暗い塔の中では、身を潜めやすいとかなんとか。
それにどれだけの効力があるのかはわからない。本人がそうだと思ったら、そうなのだろう。
エーコは二人に背を向けたまま、塔の中へと消えた。
「もったいないですね、あんな美人が」
「自殺志願者を止めることは俺たちの仕事じゃねぇよ」
言葉にせずとも、エーコの未来は二人には見えていた。
そういう塔破者は今まで何人もいたのだから、珍しくはあるものの、ない話じゃない。
「仕事しますか」
斧持ちが塔に入って行く。
それを見送り、長剣持ちは出鼻を挫かれたような、嫌な気持ちになったが、こういう日こそ酒を飲んで寝るのが一番だと割り切って考えるしかなかった。
「そういえば、朝のリストにいた、ギルドのあいつ……名前なんて言ったっけか? あいつじゃねえのかな? あのボインちゃんの仲間を殺したの」
長剣持ちは、一つの仮説を過去の所業と重ねて唱えるものの、その肝心の名前が出てこなければ、聞いている者は誰もいなかった。




