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09

「昨日と同じあそこでいいよね?」


 広場の石段を指差すので、シリリィは手を離して、両手を広げながら旋回するように走って、そこに座って隣を叩いた。


「うん」


 シロクは人一人分の間を開けて、そこに袋を置いて座った。

 袋から出したパックと箸をシリリィに渡し、それを二人は膝の上にのせて、手を合わせた。


「じゃあ、食べよう! いただきます!」


 昨日は食べ物の誘惑に負けてすぐに食いついたシリリィだったが、今日はシロクと同じように手を合わせて、お辞儀をした。


「いたらきます!」


 そして箸を握りしめ、パックを抱きかかえるようにして二人はガツガツと食らいついていく。

 麺料理であっても啜らずに、箸で口に放り込むようにして咀嚼し続ける。

 パックが一つ空になると、


「おかわり!」


 そう言って、すぐに次のパックを出して、食べだす。

 シロクよりも食べるのが遅いシリリィも負けじと、麺一本も残さずに綺麗に食べ尽くす。

 そして二本が綺麗に揃ったままの箸を掲げて、


「おかーり!」


 口の周りをソースの色に染めた二人は、呼吸を荒くしながらひたすら、腹が満足するまで幸せそうな顔で食べ続けた。

 食べている間の二人の間には会話らしい会話はなかったが、決してそれを競っているでもなく、シリリィは三パックも食べればお腹がいっぱいになり、パックにこびりついたソースを舐め始める。

 シロクが六パック目を食べ終え、最後の一パックを食べようと袋に手を伸ばしたところ、パックを舐めていたシリリィとシロクの手が止まった。


「なんかいる」


 シリリィが指差す先――飲み屋街のある大通りの方からやってきた、フードを被り、バッグを襷がけにした女の子が、よろめき、倒れた。

 その拍子にフードが捲れ、中から金髪が広がるようにして薄暗い中に出てくる。


「ころんだ」


 見たまんますべて口にするシリリィに対して、シロクは声をかけようとするが、フードを背中に垂らした女の子は立ち上がり、シロクたちの前までやってきた。


「あの」


 掠れるようなか細い声が、どうにか振り絞られたが、二の句をなにか言い難そうに口ごもっている女の子を見て、最後の一パックを差し出すシロク。


「食べる?」


 しかし女の子は首を左右に振ったので、シロクは首を傾げた。


「お腹空いてるわけじゃないのに、どうして、そんなに悲しそうな顔をしているの?」


「……おかね……」


 元より小さな声が、耳を澄まさなければ聞こえないような小さな声で囁かれた。


「シロク、おかね、だって」

「うん、聞こえたよ。でも、僕、あんまり持ってないよ?」


 すると、女の子はボロボロと涙を零し出した。


「ごめんなさい……。さっきは、本当にごめんなさい……。でも、私にはもう……」

「鍛冶屋の前でのことだよね? 僕こそごめんね。きみの手に手をついて跳んじゃったから、手首とか痛めてない?」

「……それは平気ですけど……。私のこと、覚えて……いえ」


 頭を振ると、涙の粒が飛ぶ。


「私のこと、怒ってないんですか?」


 シロクが聞いた中で一番大きな声。

 涙で目が赤くなり、目元が腫れている。もしかしたら、今泣く前に、どこかで泣いていたのかもしれない。


「なんで? 怒ること、されてないよ?」

「私は、あなたからお金を盗もうとしました!」


 罰せられる覚悟で自分の罪を叫ぶように怒鳴るも、シロクは笑顔を崩さない。


「盗まれてないから、気にすることないよ。それより、きみはお金が必要だったんでしょ? 理由を話してよ」


(どうして……この人は……こんなに優しいの……?)


 もう少し――本当に、あと数ヶ月、シロクと早く出会っていれば、自分はこんなことには巻き込まれることはなかった。

 いや、間違った選択をしてしまった自分が悪いのだ。


「……私は、とあるギルドに所属しています」

「ギルド、知ってる! さっき教えてもらった!」

「そこに所属している私たちにはノルマが課せられるんです」

「ノルマ?」


 のろま? とはシリリィが不思議そうに首を傾げて呟いた。


 女の子は、一瞬言いよどむものの、小さく腹の底から息を吐き、必死に平静を取り繕う。


「一日二万ゼン」


 シロクの目が変わった――ように感じて、顔を伏せてしまう女の子。


「い、一日二万ゼンを、ギルドに納めないと、私はギルドを追い出されて、行く宛がなくなってしまうんです……」


 最後の方は本当にささやかに吹く風で消えてしまいそうなぐらいに小さな声だった。

 シロクが二万ゼンを持っていることを知っている。


(この人なら……このお人好しなら、助けてくれるかもしれない……)


 シロクからの反応を待つ数秒が数分にも数十分にも感じるぐらいの、長い沈黙が三人の間に流れるが、それを打ち破ったのは思いもよらぬ人物だった。



「おねーさん、うそつきだね」



「え……?」


 思わず顔をあげて、その声の主を見る。


「本当に必要なのは、一万ゼンだけ、だよね?」


 シリリィの言葉に、女の子の頭から血の気が引いていく。


(なんで……なんで、この子は、本当のことを知っているの……?)


 まさか、ギルドの関係者か?

 怯えるような、あるいは文句をぶつけるのを必死に我慢をしているかのような、感情を押し留めた感情を示す女の子は、結局なにも言えずに歯ぎしりをした。



「ふーん、そういうことか~」



 嘘を嘘と見破られ、なにも反論できないでいると、シロクが口を開く。


(怒られる……。いいえ、もっと酷い目に……)


 この国で塔破者が塔の外で犯罪を犯せば地下牢に放り込まれ、そこに入れられれば余程のことがなければ生きては出てこれない。

 なぜそこまで厳しいのか、というと、塔破者という力を持つ者が犯す犯罪は、力を持たない人たちにとっては恐怖になることがほとんどだからだ。それを抑え込むために、二度と表には出てこれないことがほとんど――たぶん、どんな犯罪だろうと死罪。

 シロクが立ち上がる。

 俯いていた女の子の目からは、再び涙が溢れてきた。


(全部……全部、あいつらが悪いんだ……)


「はい、どうぞ」


 足元に落としていた涙で濡れた視界に、なにかが割り込んでくるが、すぐにひっこめられた。


「わあ、ダメだよ。涙で濡らしちゃ。これはハンカチじゃないんだから」


 引っ込めたそれに、ふーふー、と息を吹きかけるシロク。

 その手に握られているのは、紛れもなく、一万ゼン札が二枚。


(いま、それを私に差し出してた……? まさか……そんなわけ……)


 自分がシロクに対してしたことはもちろん許されることではない。

 それなのに、名前すら教えていない相手に、どうしてこんな大金を差し出せるのだろうか。

 本当にこの男の子は、まともな考えを持った人間なのだろうか。


「泣いてもしょうがないよ? だから、はいこれ」


 もう一度差し出される二枚の一万ゼン札。


「これで、大丈夫なんだよね? 怒られなくて済むんだよね?」

「……本当に、いいんですか?」

「僕はお金を貯めて武器を買おうとしたけど、これだけじゃなにも買えないんだ。すぐにはお金貯まらないから、僕がもう少し貯めるまで、これを貸してあげるよ」


 目の前に差し出されたお金に伸ばそうとした手が震えて動かない。


(どうして……どうして……)


 喉をしゃくりあげながら顔を見れば、笑っている。

 自分のしていることが、当然のことだと言わんばかりの笑顔を見せて笑っている。


「はい。時間がないんでしょ? 今日のノルマってやつ」


 シロクは女の子の手を取り、二万ゼンを握らせる。


「早く行きなよ。お腹は空いてない?」


 今度は首を横に振る。


「ありがとう、ございます」


 ぺこり、と二万ゼンを握りしめて深々と頭を下げる。


「気にしないで。困った時はお互い様だよ」

「必ず……必ず、返しにきます……」

「うん、待ってる。僕の名前はシロク。きみの名前は?」


(シロク……くん、かな……)


 背の低い自分と、背丈が同じぐらいだ。

 年上には見えない。



「私の名前はセレナです」



「セレナだね。覚えておくよ。一人で行ける? ギルドってところまでついていこうか?」

「いいえ、そこまでご迷惑おかけできません。ありがとうございます」


 セレナはもう一度シロクに頭を下げ――顔を上げた時、シリリィと目が合う。


(あの子は……なんか、こわい……)


 百八十度回転をして、セレナは襷がけにしたバッグを揺らしながら走っていく。


「シロク、ご飯なくなった」


 最後に残していた一パックを、シリリィは食べてしまっていた。


「お腹いっぱいだったんじゃないの?」


 それには、満面の笑みを見せるだけで、なにも応えてくれなかった。


「ま、新しいお友達ができたし、いっか」

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