06
「――はあ、はあ……」
武器屋街から逃げ出して、ひたすら走り続けたフードを被った少女は、体の熱を逃がすようにフードを取れば綺麗な金髪が風に揺れる。
額に浮かんだ玉の汗を手の甲で拭って顔をあげれば、正面にこのウコクク国の一番外周部にある塔が見える。
その小さな出入口からは何人かの塔破者が出てくるのが見えた。
彼らがなにを話しているのかは聞こえないが、口元と表情は見える。
「……モンスターが、いない?」
三人組の塔破者が塔から出て来てすぐに愚痴を漏らしているのが、口の動きと不満そうな表情から読み取れた。
だが、少女はすぐに彼らの愚行を鼻で笑う。
「外周区の塔は朝一で入らなければ、モンスターとはほとんど出会えないことを知らないの」
朝陽が昇ってから、塔の壁の隙間から差し込む光に導かれるように地下迷宮から出てくるモンスターだが、タイミングが悪ければ、そう広くもない一階部分で多数のモンスターと遭遇してしまう、なんて最悪な事態も起こりうる。
しかし、遅すぎればばらけたモンスターたちを狩られ尽くされてしまう。
「とはいえ、初心者は少し時間をずらすことで、モンスターの大群と出会わずに一匹だけとの戦闘に持ち込める可能性もあるんだよね」
そればかりは本当に運次第だ。
なにせ、上へ上る階段はあるのに、地下迷宮へ下りる階段は、見つけることができない。
どこからモンスターが出てくるのか――モンスターが移動するごとに迷宮が変化して、それを隠しているのではないかという説が濃厚だ。
少女が見ていた三人組が、塔の前で露店を開いてアイテムを売ろうと声をかけている商人たちを疎ましそうに手を振って追い払う。
飲み屋の客引きのようにしつこいが、消耗品のアイテムを買うためには、武器屋街まで足を運ばなければならない。だが、のんびりしていればモンスターが狩られ尽くされてしまうかもしれない。
そんな切羽詰まった、準備を忘れた朝などには、ぼったくりの値段でも売れてしまうのだ。
「あれ、一人だ……」
三人組が、ヤケ酒だなんだと怒鳴りながら少女の横を通り過ぎて行くのと同時、塔の中から一人の女性が転がるようにして出て来て、その場で倒れた。
「…………私も、ああなるのかな」
倒れた騎士のような甲冑装備を着た女性の周りには水たまりのように血が広がっていく。
「ううん。ああなる方が、楽なのかな」
ぼったくり商人たちも、さすがに死人から金を取ろうとは思わないらしく、遠巻きに眺めているだけだったのだが、
「生きてる」
少女は遠く離れた場所からでも、甲冑の下の胸が上下しているのが見えた。
血塗れの手で震える体を持ち上げて、女騎士は這うようにして立ち上がり、叫ぶ。
「ここらで、一番塔破者が集まるところはどこ!?」
苦しそうに叫ぶ女騎士の甲冑には、擦り傷しかなく、大量の血が流れるような傷を負っているようには見えない。
「あの、もう少ししたら、夜店の出る飲み屋街――外町は、塔破者で溢れると思います」
思わず、少女は話しかけてしまった。
「ありがとう、小さなお嬢さん」
よろめきながら、女騎士は必至に体を起こして立ち去って行った。
「……私、人の世話を焼いている場合じゃないのに」
(もうすぐ日が暮れる)
空を見上げて、建物で囲われた塔の近くでは夕日も建物の向こうから漏れてくるオレンジ色の光でしか見ることができない。
少女はバッグに手を突っ込むと、それに触れる。
「これを売ればお金は作れるけど……」
塔の外で、それを見せびらかすわけにはいかない。
ううん、とまたしても少女は頭を横に振る。
「これは売れない。これを売るぐらいなら、死んだ方がマシだ」
そして少女の視線は正面の塔の小さな入口に向く。
「夜になればモンスターは出てこなくなるけど、今いるモンスター……討ち漏らされたモンスターは凶暴化する」
そもそも少女は一人で塔に入れるほどの実力など持ち合わせていない。
「どうしよう……」
八方塞がりの少女は、視線を足元に落としたまま、塔の周りに建つ建物――倉庫の間に身を隠そうと、歩き出した。
「一度塔の中に入ったら、その日のうちに出てこれないことがあるから、どんな場所でもすぐに休む特技を身につけろ――そんなこと、あいつは言ってっけ」
おかげで宿屋に高い金を払う必要がなくなるぐらい、野宿には慣れた。
それでも一応女の子だ。男たち以上には警戒心を強く持たなければ、塔の外だって危険はあるし、なにより誰にも渡せない、金に換えられない物を持っている。
「それだけは感謝しなきゃな……」
ざっ、と足音がして、いつもの安心できる場所に来て緩ませていた少女の心に緊張を張りつめさせた。
「セレナ」
闇の向こうから、嫌になるほど毎日聞いている声が飛んでくる。
だが、決してその声の主は近くにはやってこない。
「はい……」
「こんなところでのんびりしていていいのか? もうすぐ本日のノルマを納めるタイムリミットだ」
「き、今日は……」
「できないとは言わせない」
ピシャリ、とその鋭い声が突き刺さる。
目の前で顔を突き合わせて喋るのも恐怖心を抱いてしまうが、姿が影と気配しか見えない距離から自分へと投げかけられる鋭い声は、全身を震わせるには十分なほど、恐怖という形で植えつけられている。
「誰が『新米勇者候補決定戦』で優勝をした後、右も左もわからないお前のような小娘を拾って、色々と教えてやったと思っているのだ?」
「そ、それは……あなたです……」
「違うだろう」
「はい。あなたたちです」
「よくわかってるじゃないか。俺たちは仲間だ。仲間内での約束はしっかり守らなければいけない。守らなかった場合、お前は家族を失うことになる」
ひっ、と少女――セレナは悲鳴のような小さな声をあげる。
(やだ……一人は、やだ……こわい……)
両腕を抱きしめるようにして、ガクガクと震えるセレナを見た黒い影は、不敵に笑う。
「嫌なら約束を守れ。それができれば、美味い飯も、ふかふかのベッドも約束される」
「ごはん……べっど……」
目元に溜まった涙が溢れ、熱を持った頬を冷やすように撫でながら落ちる。
「勘違いするな。俺はお前のことを思って教えてやっているんだぞ」
「はい……ありがとうございます」
セレナが掠れる声で呟くと、満足したのか男はわざと足音をさせて遠ざかって行った。
「逃げられない……」
ぐすっ、と洟を啜り、セレナは手の甲で涙を拭い、今一度フードを被った。
涙を、泣き顔を隠すフードを深く、深く被った。
足元に広がる、底がなく逃げ場もない闇に吸い込まれるように、歩き出す。




