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09

 塔内部・二階――。

 普段よりも一階部分でモンスターの存在を確認できなかった塔破者のエーコ、ハイス、トーレの三人パーティーは、普段は踏み込むことがない塔の二階へと足を踏み入れていた。


「久しぶりね、二階。何度か来たわよね」


 三人パーティーの紅一点エーコが、周囲を警戒しながら進む前衛の二人、ハイスとトーレに思い出話を語るように訊ねるも、二人は気を張っていて口を開いてくれない。

 それに、どこか足取りも重い。


 三人が二階に踏み込んだのは、塔破者として認められ、三人がパーティーを組んで間もなくの頃だった。

 まだ右も左もわからず、情報収集もそこそこに初めて踏み込んだ塔では、すでに目ぼしい花などの売れる物は根こそぎ狩られており、今日のようにモンスターの姿を確認することができなかった。

 三人集まっているとはいえ、当時は誰もが初心者。

 初心者故に、ちょっとした冒険心で二階に踏み込んだ。しかし二階に入っても、今日のように気配をなにも感じられず、どんどん奥へと入ってしまった。


 その先では他のパーティーが中型モンスターと戦っていた。そこに助けに入ることもできずに、ただ茫然と見ていると背後からの足音――慌てて通路の隙間に姿を隠せば、背後からはまた別のパーティーが階下から上がってきた大型モンスターに追われていたのだ。

 それにより塔内部の迷宮は変化してしまい、三人は出口に繋がる階段を見失った。

 脱出するまで生きた心地がしない数時間を要し、それ以降、この三人はせっかくの塔破者の資格を手に入れたにも関わらず、塔を攻略することを諦めた次第である。

 積極的な攻略はやめても、今日のように一階で満足な収穫ができなければ二階に上がってくるしかなく、その際は最初の失敗から学習して、慎重過ぎるほどに慎重になって行動をし、最低限の動きに留めていた。


「ねえ、私たち、少しは強くなってるわよね? 一階でウルルフやゴムゴブリン、初心者用のモンスターを数十匹と倒して来た。それで装備も強い物へと換えた」


 ううん、それだけじゃない――エーコはなにも言ってくれない二人が振り向いてもくれないことには構わず、首を横に振った。


「あの時と違って、経験を積んだ私たちは戦える――そうは思わない?」


 モンスターは強さによって倒した後に手に入る魂脈の大きさが変わる。

 それは国が使うエネルギーに変換する総量の違いでもあり、多ければ多いだけ、高く買い取ってもらえる。

 無論、強いモンスターからドロップした素材アイテムは強い武器へ加工をしてもらえるのだから、自分たちの身を守るためには、多少の無茶をしてでも強いモンスターを倒す必要がある。

 それは他の熟練者の力を借りたり、新しい仲間を加えたり、個人の実力をつけたり――。


「……あの時に比べれば戦えるとは思うけど。だから二階まで来たわけだし」


 ハイスが静かに口を開く。

 三人が三人騎士として甲冑装備で統一している。

 ハイスとトーレは魔法やその他の技術はほとんど使えない近接武器使いだが、接近戦であれば他のパーティーに負けないぐらいの連携ができると自負している。


「だからって過剰な自信は身を滅ぼす」


 トーレの言葉に二人は口を噤んでしまう。


「……ところでさ、この二階にもモンスター全然いないんだけど、この塔って何階層まであるんだっけ?」

「それすらも変化する」


 ぶっきらぼうなトーレの言葉に、ハイスはエーコに振り返って笑顔を見せる。


「そもそもこの塔は、外から見れば高さは三十メートル、横幅も五十メートルはない建物だ。上に行くほど、あそこのお店のライスタワーみたいに細くなるが、物理法則は無視されるのを忘れてないか?」

「ああ……そうだった。迷宮と一緒で見た目以上に大きくなるんだった」

「それも魔力を持った強いモンスターの影響らしいな。地下から地上に流れるはずのエネルギーの出口を塔で塞いだことで制限され、そのエネルギーが逃げ場のない塔の中にしか流れない。そして、それを纏ったモンスターが塔の中を歩くことで、地下迷宮のように、どこまでも広がっていく」


 トーレの長い説明に、しばらく真剣な塔破者としての活動をしておらず、忘れかけていた事実を噛み締めてエーコは頷く。


 もしも魔力のエネルギーが煙のように色があるのならば、もっとわかりやすく危機感を覚えられるかもしれない。

 地下迷宮から湧き上がる煙を、強いモンスターがその中を歩くことで煙を広げて、それが振れた壁や天井の迷宮に変化を及ぼす、ということだ。

 あるいはこれは瘴気ともいえるのかもしれない。


「昔は俺たちも、塔に入る前は夢や希望を抱いていたよな……」


 ハイスが昔を懐かしんで言うと、隣のトーレがくすぐったそうに笑った。


「現実はそう甘くなかった、よね」


 今でも思い起こされる恐怖の記憶。

 でも、その共通の記憶も薄くなってきているのも事実だ。


「実際、二階以降にいるモンスターと一階で遭遇して戦ったこともあるしな」

「ああ、なんだっけ? コウモリみたいなやつ」


 トーレの言葉を聞いてハイスはその記憶を呼び覚まそうとするが、薄い記憶はそう簡単に引っ張り出せない。


「いたね~。口が蚊みたいになってて血を吸うやつ。気持ち悪かった」


 思い出して身震いをするエーコを見て、ハイスとトーレは少しだけ面白い共通の過去を思い出して笑った。


「あいつは暑い時期の、雨の降った次の日じゃないと出てこないんだよな」

「モンスターとはいえ元は虫だからな」


 そうやって思い返していけば、ゴムゴブリンやウルルフと何度も戦っていても、一度だって同じように戦えたことはないのだから、そのどれもが思い出と経験だ。


「あ」

「なに?」


 前を行くハイスがなにかに気づき、トーレが身構え、油断しきっていたエーコはその声に少しばかり驚き、肝を冷やした。


「三階への階段だ」


 ハイスとトーレは顔を見合わせ、無言でアイコンタクトを交わして頷きあう。

 ハイスがエーコを守るように、手にした盾を姿勢を低くして構え、トーレが広い空間へと入っていく。

 そもそも今回のこの塔の二階部分は、一階の大人が腕を伸ばせば左右の壁に届いてしまうような狭い通路が少なく、間違いなく大型モンスターが通ったであろう形跡があちらこちらに見て取れた。

 ただ塔内部の迷宮がモンスターが通ったことで変化しても、体が大きければ強いとは一概には言えない。

 体が小さければ動きが素早いこともあるし、いくら力が強くても動きが鈍ければ人間の方に理がある。


 足音を消してトーレが広い空間の中に違和感――敵がいないかを探る。

 周囲を確認する間は広い空間に入る一歩手前にいるハイスとエーコも、同じように息を止め、物音を立てないように細心の注意を払う。


「……うん、いないな。なにも」


 人が百人は入れそうな広い空間。

 それが通るには不自由しないサイズか、あるいは活発に動き回るタイプか――どっちのタイプのモンスターがいるのかはわからないが、それでも違和感はある。


「ここにも花とか、採取できるものないね」


 二階に上がってきてから、なるべく細い道を選んだせいもあるかもしれないが、なにも採取できていない。


「今日は本当にモンスターがお休みなのかな……?」


 昨日も入っている三人であるが、一階部分だけでも、昨日と今日、迷宮は同じだっただろうか――なんて記憶からの相違点の確認はできない。

 目印らしいものはなにもないのだ。

 トーレは腰に括り付けるように、折り畳み式の持ち手を収納した斧を戻す。


「三階……」


 そこは三人にとっては完全な未知の世界だ。

 迷宮は毎回変わり、同じ景色は見えなくても、そこまで上がっていけるのは強いモンスターだけだ。

 三人はそれを理解しつつも、暗闇で先が見えない階段の上を見――え……?


 それは突然のことだった。


 隣にいたハイスがエーコの体を乱暴に突き飛ばした。

 油断していたエーコは膝を地面にぶつけて、女の子座りのような姿勢で倒れる。


「いたぅ……、なにすんのよ……」


 倒れた拍子に膝を擦りむいた。

 立ち上がろうとすれば、足首を捻ったか、鋭い痛みが走る。

 文句を言ってやろうとハイスとトーレのいた方を見るも、そこには誰もいない。

 今の今まで、そこにいたはずの長年連れ添った仲間の姿がない。


「二人とも……? ねえ、悪い冗談はやめてよ。三階に興味を示したのを怒ったの? 確かに私たちじゃこれ以上は危険だもんね。それはわかるけど、でも、ただ言っただけじゃない。ねえ、どこに隠れてるの? ふざけてないでさ……」


 どんどん孤独が支配してくる。

 自分の声以外の物音が一つもしない――。


 ぴちゃ。


 エーコの頬に生ぬるいなにかが触れる。

 指先で拭えば、鼻を突く、鉄の香り。

 薄暗い中で指先で拭ったそれを見れば、赤い。赤くねっとりとしている。


「ち、血っ……」


 ごしごしと頬を撫でるが、手の甲につく血は引き伸ばされて掠れたものだけだ。


「私じゃない……」


 そもそも転ばされた時に捻った足首と擦りむいた膝以外には痛みはない。

 エーコは動悸が早くなるのを感じながら、恐る恐る頭上を見上げた。

 そこは階段と同じように真っ暗で、天井など見えない。


(そういえば、この二階の天井ってこんなに高かったかな……?)


 ふと、冷静にそんなことを過去の記憶と照らし合わせ、あることに気づく。

 塔内部の迷宮は強いモンスターが通れば変化する。


 それはなにも横幅だけではない――。


 エーコはあるべきはずの天井を睨む。


 真っ暗に染まる視界――でも、その先になにかがあるのがわかる。


「……火炎魔法」


 塔内部の狭い場所では魔法は使えないが、これだけの広さがあれば――その思いでエーコは肩にかけたバッグから採取した花を一つ手にして握りつぶす。


「我に魔物の力を授けよ……。世界を焼け、火炎魔法!」


 エーコは小さな花から生まれた魔法のエネルギーを、天井に向けて放つ。


 ぶわっ、と一瞬視界を照らすだけでなく天井に当たった火炎はなにかを焼き落とした。


 ぼとん、と大きな音をして丸いなにかが落ちてくる。


「も、モンスター……?」


 恐る恐る確認する。


 そこには……。


「きゃああああああぁぁぁぁぁぁっ!」


 生きていた中で一番の悲鳴がエーコの口から出た。

 腰を抜かして尻もちをついたエーコの目からは恐怖のあまり涙が流れる。

 その瞬間、カシャン、と軽い音をさせてなにかが階段の上に落ちた。


「逃げ……なきゃ……このことを、誰かに……伝え、ないと……」


 エーコは痛む足を引きずり、壁に手をつきながら必死に走る。


「ごめん、ハイス……トーレ……!」


 エーコが落としたのは、黒い髪の毛のような気味の悪い糸に全身をぐるぐる巻きにされて息絶えたハイスの亡骸だった……。

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