01
この日、無名の少年が、大歓声を浴びていた。
「――さあ、白熱している『新米勇者候補決定戦』もついに大詰め! 佳境も佳境! 今、目を瞑ったら、雌雄の決する一瞬を見逃すぞ! さあ、目ん玉ひん剥いて、よーく見るんだ!」
誰よりも安全な実況席にいる男が拡声器を持って叫ぶ。
千人以上の視線を一身に浴びている少年は、円形の闘技場の上をまるで自身が主役を演じるステージのように自由に闊歩し、迫りくるいくつもの斬撃を機敏に避わす。
「だがしかぁーしっ! 勇者志望の猛者たちを狙うのは、なにも同じ志望者だけではないことを忘れるな! あいつらだ! あいつらがいるぞ! ほら、来た!」
実況席の男がツバを飛ばしながら叫ぶと、それに呼ばれたかのように、すでに敗者と決し、動けなくなった男たちを鼻で突いたり、牙で噛みついて振り回したりしていたオオカミのような青白い毛並みの獣が、耳を立てて動き回る何人かを目で追った。
「オオカミ型のモンスター、ウルルフだぁー! やつらは敗者を弄ぶのに飽きたらしいぞ! 生き残った勇者志望に狙いを定めた!」
円形の舞台の外にいた脱落者たちを捕食せんと動き回っていた五匹のウルルフは、一斉に舞台に飛び乗り、仲間内で合図を送り、一人を囲むように俊敏な動きで跳んだ。
「さあ、どうなる、どうする、『新米勇者候補決定戦』に初参加の無名の少年よ!」
その声は聞こえていた。
「あはは、楽しそうな人だな~」
拡声器により反響する声の出所を見ながら、黒髪の少年は屈託のない笑みを浮かべた。
「余所見してんじゃねーぞ!」
身の丈を優に超える大木のような木剣を頭上から叩きつけるように振り下ろす大男の必殺の一撃を、少年は笑いながら事もなげに少し横に動くだけで避わす。
闘技場で行われている『新米勇者候補決定戦』は、死傷者をなるべく出さないように試合に持ち込むことの許される武器は主催者が用意した木製のみ。
しかし、同時にこの不定期開催の『新米勇者候補決定戦』は勝者を、毎度百人を超える参加者の中から一人を選ぶだけに飽き足らず、そのバトルロイヤルの舞台には、モンスターが解き放たれる。
今回のモンスターはオオカミ型のモンスター、ウルルフ。
動きが俊敏で、数匹で群れを作り狩りをする習性のためか、一度囲まれると逃げ出すには真っ向から全部を倒すしか助かる方法はない――とまで言われている。
強さはそこそこだが、身軽で素早く、さらには牙による攻撃が強く、数もいる。
初心者が一番最初に立ち向かうであろうモンスターでありながら、聞き手によっては、
「あれ、これ死ぬんじゃね?」
そう思わされる程度には強い、最弱のモンスター。ウルルフである。
この『新米勇者候補決定戦』にも、人間同士だけでなく、集団の中でモンスターとどう戦うのかを身に着ける、破天荒にして乱暴な手法を用いている。
青白い毛並みと金色の眼は、闇の中で見れば夜空に煌めく流星が尾を引くように見える。
そんな群れとしての最低の数――五匹のウルルフが、他の生き残りを狩り尽くし、最後に残った少年と大男を見据えて外周から囲うように接近してくる。
「わあ、初めてのモンスターだ。どうしよう。倒しちゃうの勿体ないな~」
大男の、闘技場の舞台を打ち砕かんばかりの大きな一撃を避けた少年は、背後に迫る荒い鼻息に耳を欹て、死角からの飛びかかりの一撃を寸前で避わし、対象を失ったウルルフの首の後ろ、隙だらけの頸椎に、手にした三十センチ程度しかない木剣を振り下ろす。
ウルルフは悲鳴のような声を上げて、転がり倒れる。
「ごめんね」
自分を喰い殺そうとしていた、身動きをしなくなったウルルフに謝る少年だったが、倒れたウルルフの首に大剣を振り下ろす大男。
ぎゃうん!
そんな絶命の声を上げたウルルフ――その声を聞いた他の四匹は、立てた狩りのための作戦の指針を失い、無秩序に二人に跳びかかる。
大男は遠心力を利用して、両手で持った大剣を振り回して薙ぎ払うように強打を加え、三匹を舞台の外まで吹き飛ばす。
「酷いことをするんだから」
自身に迫るウルルフを見据えた少年は、手にした木剣を構え、カウンターパンチを叩きこむように牙を掻い潜り、再び頸椎に重たい一撃を見舞いして動きを封じる。
「なにを言ってるんだ。殺さなければ殺される。そして勇者になるためには、すべてを倒した、たった一人しかなれない!」
二人の派手な立ち回りに、実況と観客の声が割れんばかりに響き、空気を震わせる。
少年は木剣を構え、肩で大剣を担ぐ大男を見据える。
「ところで、小僧。お前はなんで勇者になりたい?」
ジリジリ、と足の裏をつけたまま、円を描くように互いの動きをけん制する。
「僕、昨日十五になったんです」
実況のうるさい声は聞こえても、舞台の上に残った二人の声を聞くことができるのは、倒されながらに意識がある敗者か、舞台の下に落ちて脱落した敗者を回収に来た、このイベントを管理する側の人間だけだろう。
「十五になったら、恩を返すために勇者になる。そう決めたんです」
「そうかよ!」
大男は大剣を片手で構える。
それを見た少年は姿勢を低くして、吹けば飛んでいってしまいそうな小さな木剣を片手に大男に真っ正面から突っ込む。
「俺は! お前のようなクソ生意気な勇者になりたいっていう希望や夢を抱いたガキをボロボロに負かして、心を折ることを生き甲斐としているんだ!」
大男は大剣を横に薙ぐようにして振るう。
視界の端でそれを捉えた少年は、手にした木剣で受けるでも、背後に逃げて距離を取るでもなく、跳躍した。
「だから、お前のようなガキだって例外なく――」
大剣の大振りで体勢を崩した大男を飛び越え、姿勢を低くして着地する。
その軽い身のこなしに追いつく大男は、少年の頭ほどもある大きな手を伸ばす。
「頭蓋骨を粉々に砕いてやるッ!」
少年は怯えた様子もなく、伸ばされた腕を避けて懐に入り込む。
「そんな酷いこと、しちゃダメだよ」
不満そうな声で大男の耳元で囁くように言って――大男の膝を足場にして顎へと膝蹴りを炸裂させた。
少年の小さな膝でも、人間の弱点ともなる顎への強烈な一撃ともなれば、大男とて脳が揺さぶられ、目の前で火花が散る。
大男の体が少しだけ宙に浮いて、仰向けにひっくり返る。
ずしん!
大きな音をさせたことで、少年に一撃を食らっただけのウルルフが震える脚で立ち上がった。
「あ、起きちゃったんだ。優勝するためには、きみを倒さないといけないんだけど」
どうしようか、と困ったように首を傾げながら歩み寄る少年を見て怯えたウルルフは、その場に伏せた。目玉だけを動かして、少年を上目づかいで見つめる。
「よしよし」
少年が頭を撫でると、ウルルフは腹を見せるようにして倒れた瞬間、
『降参だあああああああああああああああああああああッ!』
耳鳴りがしそうなぐらいの拡声器越しの大声の後、鐘が打ち鳴らされた。
『試合終了! 今回の「新米勇者候補決定戦」は、過去のデータなし、名前の登録もなし、それどころか誰も知らない無名の少年が、かっさらっていったああああああ!』
割れんばかりの大歓声が、たった一人。
舞台の上に立ち続けた、最後の勝者である少年に向けられる。
少年は屈託のない笑みで、その声に応じるように手を振る。
「ありがとう~」
「さあ、インタビューの時間だ!」
いつの間にか、先ほどまで高いところにいた実況者が拡声器を持って舞台に下りてきた。
「優勝おめでとう! 今日からきみも、この国の勇者だ! っとー、知ってると思うが、勇者と銘打っているが、そう簡単に勇者にはなれない! 勇者候補――塔を攻略する者、塔破者という資格を手に入れたんだ! 塔破者として、どんな技術を極めるのも自由だ!」
一人で叫ぶ実況者の声に耳を塞いで、黙ったところで服を引っ張る。
「なにかな?」
「僕はすべての塔を攻略して勇者になりますよ。この国を解放するんです」
「ほー、それはなんで?」
「お世話になった人に恩返しをするためです」
「なるほど。詳しく聞きたいところだが、それより先に聞かねばならない。きみに権限を与えるために、名前をね」
少年は嬉しそうに、年相応の屈託のない笑みを見せる。
「僕の名前はシロク、昨日十五歳になりました。一緒に塔を攻略してくれる塔破者を探しています。よろしくお願いします」
ぺこり、と頭を下げた最年少の勇者を目指していた少年は――正真正銘、新米塔破者シロクとして、今日生まれたのであった。