夏の虹
本編三年後くらい?
彩香と雅浩兄様、お出かけ中です。
「雨?」
空は晴れているはずなのにぽつぽつと落ちてくる水滴を感じて辺りを見回す。
ちょっとさびれたこの展望台は貸切状態で私達以外には誰もいない。
「降り出すのかな?」
隣で首をかしげる雅浩兄様、今日は普段の半袖と綿のパンツにカジュアルなジャケットを足して軽くお出かけ仕様。
「まぁ、晴れているし心配ないか……って、うわっ」
「快晴からの本降りっ?!」
フィクションじゃあるまいし、と突っ込みたくなる勢いで強くなる雨脚に慌てて潰れたレストランの軒先に避難する。こういう時、さりげなく手を引いてくれるあたりがさすがだと思う。雅浩兄様一人ならもっと早いのにあわせてくれるんだもの。
「大丈夫? 結構濡れちゃったかな?」
「まぁ、お祝い事じゃ文句言えないしねぇ」
服についた雨粒を払いながら答えると、不思議そうに首をかしげられてしまった。あれ? 知らないのかな?
「お天気雨は狐の嫁入りっていうから。きっと、この勢いならよっぽど豪勢な結婚式やってるんじゃない?」
「なるほど、それじゃ確かに文句は言えないね。時間が決まってるわけでもないし、上がるの待とうか」
楽しそうな返事にうなずいて空に視線を投げる。陽がさして地面にはくっきりと建物の影が落ちているのに、強い雨が降ってるなんて不思議な感じ。雨雲はどこにあるんだろう?
「あっ」
見つけたものに思わず軒から駆け出した。
――――――――
「あっ」
小さな声を上げたと思ったら、彩香が突然雨の中に駆け出した。
「彩香っ?」
いくら夏とはいえこの雨脚じゃすぐにずぶ濡れになって風邪をひくはめになりかねない。連れ戻そうと淡い水色のワンピースを追いかけた。
腰よりいくらか高い位置まである柵につかまって体をのりだしている彩香に並ぶと、ほおがうっすら紅潮してる。
「雅浩兄様、見て! あんな近くに虹が出てる!」
はしゃいで指さす先に視線を送ると、僕達のいる展望台と山裾の中間あたりから低い虹が出ていた。強い陽射しと天気雨のマジックがよほど気に入ったのか、すごいすごい、と子供みたいに繰り返す。
確かに僕もこれだけ近くに虹がかかったのを見るのは初めてだけど、ここまではしゃいでる彩香の方が珍しい。こんなに無邪気にはしゃいでる所を見るの、もしかして初めてじゃないかな?
服くらいなんとでもできるし、もう少しこのまま好きにさせてあげよう。……もちろん、楽しそうな彩香を見ていたいって下心があるのは否定しないけどね。
彩香に相づちを返しながら虹じゃなくて彼女の姿を堪能する。
かわいいな、虹くらいでこんなにはしゃぐだなんて思ってもみなかった。
あぁ、でもだいぶ髪が濡れてきたかな? そろそろ……って、うわ、しまった! 夏用の薄いワンピースが濡れたらどうなるのかなんてわかりきってるじゃないか。急いでジャケットを脱ぐと彩香の肩に着せかける。
「……雅浩兄様?」
不思議そうに見上げてくるって事は君の頭からもすっかり抜けてるね?
「袖通して前もとめてね」
「冬じゃないし、寒くないよ?」
だからそういう問題でもないって。普段はわりとそつがないのにどうしてこういう所はすっかり抜けてるんだかなぁ。指摘したら怒られそうだけど、言わないって選択肢はない。間違っても他の男にこんな姿見せたくないんだから、覚悟を決めよう。
「透けてる」
短く言って胸元を指すと、つられる様に視線を落とした彩香が硬直した。そして見る間に顔が真っ赤になっていく。
「雅浩兄様の意地悪っ」
「え、それは酷くない?」
「もっと早く教えて!」
「ごめんごめん。彩香がはしゃいでるのがすごくかわいいから、気付くの遅れたんだ」
やっぱり言いがかりつけられたな、と思いながら正直に謝る。確かに先に予想して着せかけてあげるくらいの余裕があれば一番だったからね。
そうしたら、彩香は顔どころか耳まで真っ赤になった。これはこれでまたかわいいな。何か言いたげなのに言葉にならなくて口がぱくぱくしてる。
「ほら、ちゃんと着ないと。誰か来たら困るの彩香だよ?」
あんまりにも可愛いのでついからかい半分でせかしたらやっと動き出した。袖を通して前を止めたらなんとか透けているのがわからなくなって僕も一安心。
でもね、そんなかわいい顔で睨んでも怖くないよ? 僕の理性揺さぶるだけだから。今絶対笑ってるな、と自覚しつつすっと彩香に近づいて目元にかすめ取る様なキスをする。
あ、もしかして余計固まった?
「雅浩兄様っ、その表情は卑怯ですからっ?! というか何したの今反則だからこのタイミングで目元にキスとかあり得ないからっ」
「何したのかわかってるじゃない。なんでわざわざ聞くの?」
「揚げ足取りはけっこうですっ!」
かみつかれそうな勢いでの反応にこらえきれなくて吹き出す。だからかわいすぎだって。りんごどころかトマトになっちゃいそうじゃないか。
「何がおかしいのっ?!」
「おかしいんじゃなくて、かわいいなぁって思ってたんだよ。それに今日は恋人気分でって約束だよね? このくらいかまわないんじゃない?」
ほおをつつくと、ちょっと考える様子になる彩香。どうしたのかな、と思っていたら不意に腕をひかれて体が前のめりになった。その時、彩香の唇が耳をかすめてささやきかけてくる。
「……えっ?」
言われた言葉が信じられなくて、僕を見上げている彩香を見つめると、彼女はまだ赤い顔で意地悪く笑った。
「雅浩兄様のご希望どおりに、気分を盛り上げてあげました!」
「ちょ、それどういう意味?!」
「内緒っ」
言って彩香が体を翻して逃げ出した。楽しそうに水たまりをよけてははねて歩く姿を見つめながらため息をつく。
「ねぇ、今のどういう意味?」
声にふりかえった彩香がまばたきをして、残念そうに肩を落とす。なに残念がってるの、と問うよりも早く答えが耳に届いた。
「虹消えちゃた。消えるところ見たかったのにな」
言われてみればいつの間にか雨がやんで虹も消えている。すっかり普段の様子に戻っている彩香に問い重ねるのもためらわれて、苦笑いするしかない。
手に入ったと思えるのは一瞬だけーーとはね。こんなところは虹を真似なくていいのにと思ってしまう。
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