No.99
スナイパーの部屋に上がり込んだ絹江は思わず絶句した。
な、何この部屋・・・何もない。
家具がほとんどない殺伐としたスナイパーの部屋を見て、始めに頭に浮かんだのは、荒涼とした砂漠のイメージであった。
明らかに違和感のある空間だが、今まで男の部屋に上がり込んだことのない絹江にとって、他の男の部屋と比較しようにも、その判断材料に欠けていた。
「へぇ、シ、シンプルで素敵なお部屋ですね」笑顔が引きつる。
心優しき少女は、哀れな中年を思い遣るのに必死である。
「へへっ、みんなにもよくそう言われるんだ」
スナイパーの部屋を訪れたのは、後にも先にも葛原だけで、上がり込んだ際に部屋のレイアウトを褒めそやしたことなど、一度としてなかった。
少女の精一杯の社交辞令であることにも気付かず、有頂天で見栄を張る。
「ところで、今日は何を作ってくれるんだい?」
「ジミーさんに日本の味を知ってもらおうと思って、肉じゃがを作ってみたいと思います」
にくじゃが? 何だそれ、日本の民族料理なのか?
「ああ、に、にくじゃがか! それは楽しみだな」
肉じゃがという料理の全貌が分からぬ今、絹江に話を合わせ、動向を探るしかない。
日本に来て、スナイパーが食した物は、幸楽苑の中華そばと、かっぱ寿司のビントロくらいなのだ、和食を代表する肉じゃがを知らなくとも無理はない。
「早速作るから、ジミーさんはテレビでも観て待ってて下さい」
「ありがとう。 それじゃあ、お言葉に甘えて」
初めて味わう奇妙な気持ちのまま腰を下ろす。
これが幸せってやつなのか。
恋人に手料理を振舞ってもらう、そんなごくありふれた瞬間を、スナイパーは長い間渇望して止まなかった。
スラム街に生まれ育ち、窃盗や傷害を繰り返す殺伐とした毎日。 誰とも群れを成さず、誰とも付き合わず、スナイパーという闇の職種に身をやつしても状況は何も変わることはなかった。 窃盗と傷害が、ターゲットの素行調査と殺人に取って代わっただけである。
それがどうだろうか、スナイパーが長年待ち望んでいた夢の暮らしが、今アジアの外れの小さな島国で実現しようとしているのだ。
「はい、お待たせ。 ちょっと味が薄いかもしれないけど、食べてみて下さい」
目の前に、肉じゃがが乗った皿が置かれた。
これが・・・ にくじゃが。 これが俺の為に作ってくれた料理。
肉じゃがとは何のことはない、豚肉とじゃがいもをメインとし、人参や糸状の半透明な食材を煮込んだ料理であった。