No.86
静江と道江を宥めている葛原を尻目に、次はスナイパーの自己紹介である。 人生で二度も自己紹介するのは、後にも先にもこの日だけであろう。
「あの、ジミーです。 仕事はフリーランスの探偵をやってます。 よろしくお願いします」
これ以上余計な詮索をされない為には、感情を押し殺し、自己紹介だけに徹する。 プロは決して同じ状況に陥らない。 実戦も合コンもさして本質は変わらないのだ。
「ジミーさんですね。 探偵ってどんなことをやってるんですか?」
またか! 自身がどれだけ感情を押し殺し努力しようとも、他人は一切お構いなしである。
「あのね、ジミーさんは素行調査が主な仕事なんだよ」スナイパーの横にいる「錆びれた女神」が代答する。
ターゲットの素行調査をし、最後に銃弾を撃ち込むことまでは、絹江に教えていない。
「絹江はマッチョな人好きだもんね。 他にも何か調べたりするんですか?」
まだ聞くのかよ・・・
ここまで掘り下げられると、返答に窮してしまう。
ここは無難な答えに集中せねば。
「あとは・・・ 浮気調査や家出人捜索くらいだよ」嘘八百を並べ立てる。
まずい。 これ以上質問を浴びせられたのでは、嘘で鎧った真実に破綻を来たしてしまう。
「琴江ちゃん、今度は椎名さんに何か聞いてあげたらどうだい? ずっとあんな感じで、黙ってうな垂れてるみたいだからさ」
琴江の好奇心のベクトルを、無理やり椎名に向けさせる。
「僕がいつうな垂れてたんですか? ただ明日からの任務が、困難を極めるから、それの熟考をしてただけですよ」
明日からの椎名の任務は、食べて飲んで寝るだけである。
今までと寸分たりとも違わず、どこにも熟考を要するシチュエーションなどないのだ。
「やれやれ、これ以上僕の経歴を大っぴらに出来ないんだけどな。 一般市民に僕の正体がバレたら、組織から始末されてしまうんだよ」
半ば悦に浸りながら、脚色した経歴をひけらかす。
「あ、それでしたら、けっこうです」琴江があっさりと引き下がる。
えっ!? スナイパーに見せた琴江の好奇心が、当然の如く自身にも向くと思ってただけに、精神的ダメージは計り知れないものであっただろう。
「で、でも今日は組織の人達も大目に見てくれそうだから、特別教えてあげるよ。 僕は椎名 恒夫、ある特務機関から調査依頼を任されてるんだ」
琴江の御前でも、椎名の子供染みた自己紹介は猛威を振るった。
そもそも合コンの席で、自身の経歴をひけらかすことを了承する秘匿組織など、今後の行く末が危ぶまれるだろう。
「そうですか、よく分かりました」
椎名など端から歯牙にもかけていなく、聞くだけに留めておいた。
今だ、琴江の残虐非道振りは発動せず。