No.78
「大輔、遅いじゃないか! 今まで何してたんだよ!?」
「葛原君が遅いから、トイレで倒れてるんじゃないかと、皆で心配してたじゃないかよ」
皆の心配を他所に葛原が椎名を従え戻って来ると、別段何も変わった様子はない。 スナイパーが場を荒らしているものだと思っていたのだが、予想がすっかり外れてしまった。
まあ、いいだろう。
「ごめんなさい。 椎名さんが酔って気持ち悪がってたから、介抱してたんですよ。 ね、椎名さん」
「えっ!? あ、ああ。 普段はシャトーマルゴーしか飲まないから、飲み慣れないものを飲んで、悪酔いしちゃったみたいなんだ。 心配かけて悪いね」
椎名が口にしたこともない、唯一知るボルドーワインの銘柄を挙げる。
へぇ。 椎名に対する一同の反応は、冷やかなものだった。 誰一人として心配する素振りを見せる者はいなかった。
そもそもシャトーマルゴーを常飲する者が、下町アパートに住もうと思うはずがない。
最早、椎名の言うことを誰も信じてはいないのだ。
「あ、そうそう。 椎名さんが君達に何か大事なことを言いたいそうだよ」
「気が早いですね。 まだ誰とも話してないのに、もう告白するんですか?」スナイパーが皮肉を織り交ぜ、冷やかしを入れる。
それを聞いた女性陣は、一斉に青ざめ、身構える。 彼女達は、デブ椎名如きに恋心を抱かれることすら噴飯物なのだ。
椎名も一気に青ざめ、分厚い唇がブルブル震え、怯えた目で葛原を見る。
「えっ、あ、あのことはもう終わったはずじゃなかったのかっ!?」
葛原が椎名にしか聞こえない声量で囁く。
「世の女は厳しい男に惹かれるものですよ。 ここは一つ、ビシッと言ってやって下さい」
文字通り、葛原の悪魔の囁きを聞いた椎名に戦慄が走った。
厳しい男がモテる!? 優しい男がモテるんじゃなかったのか?
今まで椎名が培ってきた常識が、覆された瞬間である。目から鱗とはこのことであろうか。
よし、そう言うことなら。
「子猫ちゃん達、高校生がいつまでも大人の真似事してちゃいけないよ。 男は夜になると狼に変身するんだよ。 さぁ、背伸びはもうやめてお家に帰りなさい。 子供の起きてる時間じゃない」
椎名の戯言をいなすには、まだ若過ぎたようである。
「何ですって!? 人を見た目で判断しないでおくれよ! あたい達が未成年だと言う明確な証拠でもあるってのかい?」
盗人猛々しいとはこのことである。 ここから静江達の猛追が始まる。