No.139
従いて来るな。 象山院の威圧的な態度に、滑川と壬生が憤慨するも、能見がそれを押し留めた。
「先生、なぜでしょう? なぜ従いて行ってはいけないんでしょうか? 私達は先生に護衛の依頼を受けたんです。 従いて行かなければ、先生をお護りすることが出来なくなります」
「何を言っておるんだ! 今日は寅美の誕生日だぞ! そんなめでたい日に、きゃつが襲って来るはずなかろうに。 全くもってけしからんっ!」
何ら根拠のない、自身に都合の良い理論を振りかざし、能見達を拒絶するつもりである。
「もし依頼人が園山だとしたら、先生の情報はあの殺し屋に筒抜けになってるはずです。 警備が手薄になる今夜、先生が一人の時間帯を狙って必ず殺しに来ます。 先生、今は非常事態なんです。 ここは私達に協力していただけませんか?」
「だとしたらじゃなく、間違いなく園山なんだ! きゃつの目・・・ あの目はワシの死を望んどる目だ! あのメガネの奥の空洞のような目で、こっちをじっと見つめてきおるっ」
皺が年輪のように刻まれた額から、汗が零れた。
「それでしたら尚更、あの殺し屋を捕まえて、園山が依頼人であることを自白させなければなりません。 園山を殺人示唆で立件さえできれば、再びお孫さんとの楽しい日々を過ごすことができますよ」
能見は象山院の恐怖心に付け込み、懐柔作戦を試みる。
護衛対象者を囲み、三人でスナイパーに対応するのが理想形である。 今宵の敵は、今までの暗殺者とは格が違い過ぎる。 三人でも不安要素は拭い去れない。
「分かっとる。 ただ今日だけは一人で行かねばならんのだ」
「そんなに危険を冒してまで一人で、行きたいんですか? さっきも聞きましたが、なぜ私達が従いて行ってはいけないんでしょう?」
「そこまで聞かれたら答えねばなるまいな・・・ お前達が来ると、寅子と寅美が怖がってしょうがないんだ!」
一度、能見達を秘書と称して寅子邸へ招いた際、殺人者の匂いを敏感に嗅ぎ取った二人はひどく怯え、自室に避難し、実父を見送る事すらしなかった。
「あんなに幼い寅美が、殺人鬼が来たと泣き叫び、寅次郎君にまで二度と家に連れて来るなと、釘を刺されたんだ!」
寅次郎とは、寅子の夫である。 本名は肇と言うのだが、当初猛反対する象山院に気に入られたいが為に、泣く泣く寅次郎と改名したのだ。
それからの象山院は寅次郎に対し、我が子であるかの如く接するようになり、邸宅を用意し、自身の議席を譲るとまで豪語していた。
「今は死んだが、あの何とかゾロギ、きゃつが一番怖いと言っとったぞ!」
溝呂木のことである。
「ワシは寅子達を大切に思っておる。 そんな家族に怖い思いだけは、させたくないんだ!」