No.114
能見との悪夢のような時間は、スナイパーを再び闇世界に引き戻すに十分な素地であったと言えよう。
「絹江・・・ 絹江・・・ どこにいるんだ? 絹江ぇーっ!」
街行く民衆は、スナイパーの奇声に驚き立ち止まり、また再び歩き出す。
スナイパーは、暗殺者であ自身を払拭しようと少女の温もりを求め、当て所なく街を徘徊していた。
今にして思えば、スナイパーは少女の住所はおろか、勤務先すら知り得ていないのだ。 知るのはただ電話番号のみである。
そんな危うい拮抗の中で、唯一二人を繋ぎ留めていたのが、スナイパーの筋肉だった。
「見せる」ための筋肉ではなく、「使う」ためだけに究極にまで鍛え抜かれた筋肉に、少女は夢中になった。
少女の周りはもちろんの事、希代のボディビルダーでさえ、スナイパーの肉体に敵う者はいなかった。
熱にうなされるかの如く、スナイパーが辿り着いた先は、いつも少女と待ち合わせているトレーニングジムの前だった。
「あっ、あいつ・・・ 」
ここには、ボディビル全国大会四連覇、アジア大会初優勝に輝いた寺田小路が在籍しているのだ。
そう、少女とスナイパーの間で、「優勝疑惑」の的となっている人物である。
ガラス越しから見る寺田小路は、本日も自身のメニューを黙々と消化しているようだ。
少女は、ここから寺田小路のトレーニング風景を見学し、頬を上気させながら、スナイパーに筋肉の魅力を熱く語っていた。
ちっ、あんな奴の優勝なんぞに、誰も疑惑なんか感じるはずないだろ、ボケがっ!
少女がスナイパー対し、恋慕の感情を少しも持ち合わせてはいないように、スナイパーも筋肉に対し、何の感情も抱いていなかった。
ちくしょう、それにしても遅いな。 まだ来てないのかよ。
携帯電話に少女から到着の着信が入っていないか気になり検めるが、ディスプレイ上には何も表示されていない。
それもそのはず、現在の時刻2時06分。 勤勉な学徒達は、勉学に励んでいる時間帯である。 少女と待ち合わせにはまだ二時間以上もある。
それにしても何で、あんな筋肉達磨なんかに絹江は熱を上げてるんだ? あんな奴のどこがいいんだよ? いつもいつもあいつの話ばかりで、俺の話なんて全然聞いてくれやしない。
スナイパーは大会覇者の寺田小路に対し、深い嫉妬心を抱いていた。
「しかし昼間からトレーニングとは、いいご身分だな、全く」
昼間から少女を探しに、街を徘徊している者が言えた台詞ではない。