No.108
少女の発した言葉に天啓を受け、暗殺業引退を決意したスナイパーの足取りは、軽快そのものであった。
スラム街で生まれ育ち、十四の頃に「伝説のスナイパー」の許で暗殺のノウハウを学んだ。
銃器、ナイフ、爆薬、戦闘術、果ては、解剖学から毒薬に至るまで、殺しに関する全てのスキルを吸収して行き、十七で自身の師であるスナイパー・トミーを超え、師の通り名である「伝説のスナイパー」を踏襲し、幾多の依頼を完遂してきた。 それは死の恐怖と緊張の日々、あるのはただそれだけだった。
そんなスナイパーが、二十年振りに死の足枷から解放され、陽の当たる場所を歩いたのだ、足取りが軽くなって当然であろう。
しかし依頼内容は暗殺である。 おいそれと辞めましたでは済まされぬ事態にまで発展しているのだ。
そんなことに気付かぬスナイパーではないのだが、これからの夢の生活を考えれば、多少都合の悪いことには目をつむっていればいい。
依頼人を犯罪の魔手から救い出したんだ、感謝こそされ、恨まれる筋合いはないだろう。 それに報酬は、恩人である俺がもらい受けるのが当然だな。
自分勝手な解釈で、依頼人である園山を殺人幇助の罪から救済したと思い込んだ挙句、恩着せがましく報酬までをも巻き上げる算段らしい。
プロにあらざるべき考えと言えよう。
「ジミーさん、どうしたんですか? さっきまであんなに暗かったのに、今はやけに楽しそうですね」
先程までの意気消沈振りが嘘であるかの如く、陽気に振る舞うスナイパーを見た少女は、怪訝に思いながら様子を伺う。
え、楽しそうだって? これからずっとおまえや、あのバカと一緒に過ごせるんだ、これが楽しまずにはいられるかよ! あ、そうだ、あとあのクソ女だけは早々に始末しとかないと。 せっかくの生活が、台無しになっちゃうからな。
スナイパーにとって厄災だけを振り撒く木嶋 美香は、どちらに傾いても殺害対象に指定されていた。
「ふふふっ、これからの生活のことを考えてたら、楽しくなってきたんだ」
「そう? それならいいけど。 ずっと思い詰めた顔してたから、寺野小路のアジア大会の優勝疑惑で、悩んでるんじゃないかと思って心配してたんですよ」
最早、この少女には筋肉以外、至上事項なる物は存在しないのだ。
「ははははっ! 寺野小路か! 多分審査委員会に、賄賂でも送ってたんじゃないかな? あーっはははははははっ!」
「ジ、ジミーさん・・・ ど、どうしちゃったんですか?」
スナイパーが明日からの生活に胸を踊らせ高笑いしている姿を見た少女は、寺野小路の優勝疑惑にストレスを感じ、発狂したのだと思い恐ろしくなった。