プロローグ
ボロボロに崩れきった街。
足の踏み場も無いほどに瓦礫が散乱し、所々で火の手が上がる。
天を衝くほどの、この街のシンボルである高層ビルも無惨にその体を横たえる。
ただ、幸いなことに人々の避難は済んでいるので悲鳴は聞こえない。
そんなボロボロの街を俺は今、一陣の風となり駆ける。
全身を覆う白銀の鎧は重さを感じさせず、金属音も鳴らない。
だがここに至る道中で薄汚れ、その輝きはかげってしまっていたが。
その時――
ダダダダッ!
駆ける俺に向け、上空から紫色の魔弾が降り注いできた。
ソレを俺は近くの瓦礫を足場にして、立体的に飛んで避ける。
逸れた魔弾が俺の背後で大きな爆発をあげた。
大きな爆発音と光が炸裂するが、そちらに視線を向けず上空――魔弾を放った者――に向けて手を翳す。
ブンッと音を立てて手の先に魔法陣が現れた。
俺がソレを力一杯殴り付けた途端、その魔法陣からまるで砲弾のように金色のなにかが飛び出す。
それは拳。
黄金色に輝く手首から先の握り拳。
俺の体を満たす勇者光で形成された破壊力の塊だ。
それは金色の尾を残し、一直線に上空へと飛んでいく。
そして――
ボスッ
間抜けな音を立てて、俺を攻撃した魔族の上半身を突き抜けた。
かろうじて五体が繋がっている程の風穴を開けられ、魔族は瞬時に絶命する。
だが俺は悠長にソイツが地面に落ちるまで待ってたりしない。
穴が開いた時点ですでに動き出している。
前に。
ひたすら前に。
邪魔をしてくる魔族が幾度となく現れるが、それを一蹴し続ける。
傍らに仲間はもういない。
俺をここまで送るのに、その身を犠牲にしてくれた。
闘士は四天王最後の一人を引き受けてくれた。
魔法使い(ウィザード)は先日の戦闘で長い眠りについた。
暗殺者は背後から俺を追ってくる敵を、たった一人で食い止めてくれた。
彼らの思いを背負い、俺はただ走る。
そして――
遂に――
「漸くここまで来たぞ」
ある一人の男の前まで辿り着く。
その男は黒かった。
黒髪黒目の相貌や全身を地面につくほどに長い黒衣に包んでいるのもそうだが、何よりその体から魔力が黒い靄として滲み出ており、まるで闇をまとっているようだ。
男は高く積まれた瓦礫の山から俺を見下ろす。 生気の無い、陶器の様なツルリとした真っ白な顔がこちらに向く。
「うん、わかってたよ。だって君がここまで来るように、僕が計算して仕組んだんだもん。むしろ来てもらわないと困るさ」
男はイタズラに成功した子供の様に、無邪気な笑みを浮かべる。
だが、20代半ばに見える男がそんな笑顔を浮かべること事態が異常だった。
「さて、それじゃ殺してあげるね、勇者」
俺達の間に言葉など不要とでもいうかのように、黒衣を翻し男が腕を振ると同時にその足元に漆黒の魔法陣が現れる。
そこから黒い光が溢れ、男の体を包み込む。
ドクン
俺の体を強大な魔力の波動が通り過ぎる。
「さて、どうかな。アレにしたのと同じ強化支援だからだいぶ強くなったんじゃないかな?」
そういう男の姿に変わりはない。
だが、その身から発する気配は全くの別物と化していた。
黒い靄の様だった魔力はその密度を格段に増やし、影や闇と言うべきものになっている。
魔力は先程の5倍……いや10倍にはなっているか。
発する魔力が周囲を埋め、その圧力で押し潰されそうになる。
「スゥ~……ハァッ!」
しかし、俺をも取り囲もうとしていた魔力の闇を、気合と共に吹き飛ばす。
それを成したのは光。
俺の体全体から放たれた光。
その光は男が撒き散らした魔力を光の粒子へと分解する。
そうして生成された光の粒子は俺の体へとドンドン吸収されていく。
光が吸い込まれる度に俺の体に力が満ちていき、放つ光も比例して強くなる。
眩しいくらいの輝きが、瞬く間に辺りを塗りつぶしていた闇を葬り去り、男へと迫る。
だが、ある地点。
そこを境に光は動きを止めてしまう。
ちょうど俺と男の中間。
俺の分解速度と男の魔力放出速度がそこで拮抗を見せたのだ。
光と闇。
周囲がその二色に二分される。
「やはり、『聖剣』を失った君では僕の魔力を分解しきることは出来ないみたいだね」
闇の中心に立つ男がニヤリと嗤い――
「計算通りだ、君は僕に勝てないよ!」
ドンッ
と地面を弾き飛ばす程の勢いで踏み切り、闇を切り裂き俺に向かって真っ直ぐに飛んできた。
「テメーの計算なんて知るかよ!」
飛んでくる男に向かって吠え、右手を振りかぶる。
「君は盤上の駒だっていい加減に気づきなよ!」
「何でも自分の思い通りになると思うな!」
言葉が重なった瞬間。
俺の拳と男の拳がぶつかり合う。
ズドンッ!
光と闇が周囲に撒き散らされ、腹に響く重低音が轟いた。
それだけではない、あまりにも巨大な力のぶつかり合いによって俺達の足元は陥没し、ビリビリと空気中を振動が貫く。
近くにあった細かい瓦礫などは力の余波によって塵へと姿をかえた。
しかし、それほどの力のぶつかり合いを起こしても俺達の動きは止まらない。
すぐさま反対の腕で相手を殴り付けていた。
互いの拳が互いの顔面に吸い込まれる。
強烈な衝撃が顔面を襲った。
脳が揺さぶられ、あまりの痛みで右目が開けられなくなり、鼻の中を血が流れていくのを感じる。
痛みで動きが止まりかけるが――
「オォラァッ!」
吼え、強引にそれを引きちぎって無視する。
止まれば一気に畳み掛けられる。
それがわかっていたからだ。
「オォォォッ!」
相手も同じように思ったのか、吼えて動きを見せる。
俺の頭突きと、相手の膝蹴りが俺の腹に入ったのは同時だった。
ズンッと鎧の上からでも響く鈍痛が走り胃が急速に圧迫された。
腹の奥から胃酸がせり上がって来るが、歯を食い縛り堪える。
その間も俺は男から目をそらさない。
しかし相手は二連続で顔を強打されたためか、その顔が僅かに仰け反り両目が閉じる。
その一瞬。
刹那にも満たない隙を俺は見逃さない。
「吹きとべぇぇぇ!」
声と同時に右拳を振るう。
その拳には『強化』『破壊』『分裂』の3つの魔法陣が展開していた。
「グヴゥッ!」
3つの魔法陣を砕き割って輝きを増した拳がその鳩尾に突き刺さる。
『強化』で威力を底上げし
『破壊』で相手の防御を無視し尚且つ内臓を損傷させ
『分裂』で攻撃を複数化させた。
1度の攻撃で4~5発ほど殴られた男は口から血を吐きながら宙へと舞う。
正しく必殺の威力であるその攻撃を受けて男は……
「――まだまだだよ」
口元の血を拭い、ニヤリと嗤う。
嗤いながら空中で姿勢を整え、危なげなく着地する。
その姿には先程のダメージなどまるで見えなかった。
「ダメだよ勇者、そんなんじゃ僕の回復力は追い抜けない」
見下した笑顔を浮かべ、俺を見てくる男。
「チッ!」
思わず舌打ちが出る。
今出来うる中でもかなり攻撃力のある一発だったというのにこうも簡単に回復されたのでは……。
「やっぱり、その様子だとさっきので決めたかったみたいだね。つまり今の君に出来るのはあの程度の攻撃だというわけだ」
「……だったらなんだってんだ? もう勝ちを確信してるのか」
「いや、それもあるけど……賭けに勝ってよかったと思ってね」
「賭けだと?」
「そう、この世界への侵攻。それを行う際の唯一の懸念だったのは勇者――君の存在だった。君と聖剣が揃っていれば僕達に勝ち目などなかった」
そこまで言って、堪えきれないように男の口の端が吊り上る。
「だから君から聖剣を奪う方法を考えたよ。
でもどう計算しても成功する確率は五割までしか上がらなかった。
それなのにクククッ、成功するんだもん。
――あの時決まったんだよ、君の敗北は」
「聖剣よりもあんな出来そこないの兵器を取った時点でね」
「キッサマァァァ!」
その言葉に一気に感情が爆発する。
感情の昂ぶりに呼応し、体から金色の光――勇者光――が噴き上がる。
足元に『加速』の魔法陣を生み出し一気に踏み抜く。
体が引きちぎれそうな無茶苦茶な加速でもって男に肉薄し、勢いを殺さずにその顔面を殴り飛ばす。
油断していたからか、俺の速度に反応できず殴り飛ばされる男。
周囲の瓦礫を弾き飛ばしながら数メートル転がる。
「アイツの事を、兵器だなんて呼ぶんじゃねぇ!」
「へぇ、そこで怒るんだ? なに、アレに惚れでもしたのかい? たしかにその可能性も考慮して、見てくれも上等に作ったけどさ――オッとアブナイね」
追い打ちで放った拳は、軽やかに地を跳ね避けられてしまう。
「ともかく唯一の不確定要素だった君が僕の思った通りに動いてしまった今、僕の計画を壊すことは出来ない。
だから、そろそろ退場してもらおうか愚かな勇者」
距離を取り、そう言って片手を前に出す。
前にかざされた掌を中心に魔力が凝縮され
「『焱獄』」
その呪文と共に巨大な黒い魔法陣が展開され、そこから真っ黒な業火球が吐き出された。
「どうだい? 逃げても追いかけ、掠っただけで燃やし尽くす地獄の業火。
これを喰らって無事なはずがないよ今の君じゃ」
嘲るような声が炎の向こう側から聞こえてくる。
その言葉通り迫りくる炎球は馬鹿げた魔力を内包しており、男の言葉に偽りはないだろう。
だが――
「それがどうしたってんだよ!」
俺は迫りくる炎球に自ら飛び込む。
「ッ! 気でも狂ったかい? 気合だけでどうにかなる物ではないよ」
そんな言葉は俺に届かない。
鎧の上から炎が俺を焼き殺しにかかってくるのを必死に耐えねばならなかったからだ。
炎は鎧が防いでくれる。
しかし熱はどうしようもない。
凄まじい熱量によって肌が赤くなっていくのを、痛みと痺れによって感じる。
また、灼熱の熱気が鼻孔や耳孔、眼球を焼く。
吸い込まないように息を止め、両腕で顔を覆っているのに、それでも容赦なく俺の体を蝕んでくる。
体から水分と酸素が急激に失われ、視界がブレ始める。
文字通りそれは炎の地獄。
その地獄を体に勇者光全開で纏い、真っ直ぐ突っ切る。
ただ一直線に男の元に。
数秒。
今までの人生の中で一番長い数秒を耐え抜き、俺は炎を抜ける。
瞬間、一年もの間俺の事を守っていてくれた鎧がボロボロと崩れ剥がれた。
「耐えた!? とことん君は予想を裏切る!」
焼かれてキーンと言う耳鳴りしか聞こえないが、男の口がそう動いたのが見える。
「俺は確かに愚かだよ!
高校で勉強しなかったから良い大学にも入れなかったし、その大学でだってマトモに授業すら出なかった。
親の遺産があったからって就職しないでニートやってた。
でもな、テメーの思い通りになんかなんねーんだよ!
計算通り?
賭けに勝った?
知るかよそんな事!
アイツと聖剣、どっちを取るって言われたら俺は何度だってアイツを取る!
その上でテメーの事をブッ倒す!
世界は、俺が守ってやる!」
聴覚が機能してなく、声量などはまるで調節できないが声を上げる。
どうせこの場には俺とコイツしかいないんだ。
「良い意気込みだ。……でも無理だよ!」
「出来る出来ないじゃねぇよ! やるって言ってんだ!」
壊れた街の中心で吼えあい、俺達はぶつかる。
光と闇。
勇者と魔王。
相容れない存在の最後の死闘は続く。
――――
――
―
「良いザマだね、勇者」
薄暗闇の中、声が響く。
あれから何時間経っただろうか。
体中から痛みと、それを超過した痺れを感じる。
既に左腕は感覚が無い。
そんな俺を、高い視点から魔王は見下ろす。
「体中ボロボロじゃないか。左腕は粉砕骨折かな? 治るのかなそれ」
「……ボロボロなのはお互い様じゃねぇか」
「確かに、僕もここまで君にやられると思わなかったよ。
聖剣が無いっていうのにどうしてこんなに強いんだい?
反則だよまったく」
赤く腫れあがった顔を、最初の頃と同じようにニヤリと歪ませ、嗤う。
「……さて、それじゃ勝者の権利だ――僕を殺せ、勇者」
俺に首を掴まれ、吊り上げられた魔王が見下ろしながらそう告げる。
その下半身は既に無い。
俺の攻撃によって消滅し、回復も限界を迎えた今、再生出来ないでいるのだ。
そんな状態になっても死んでない生命力が恐ろしい。
「……最後に何か言い残すことはないか?」
「なんだい、こんな僕の死に水を取ってくれるのかい?
でも生憎だね。
今僕の心には君への怨嗟しかない。
つくづく僕の計算通りに動かなかった男だよ、君は。
本当に憎らしい」
「……そうか」
嗤いながら怨嗟の言葉を吐き出す魔王。
「でもそうだな、喋らせてくれるって言うなら言わせてもらおうか。
勇者、君は独善的すぎる。
なぜ魔族がこんな異世界侵攻をしなければいけなかったのかとか考えなかったのかい?」
「豊かな世界を世界を喰い荒して生活するのがお前ら魔族だろ」
「それは誰から聞いたんだい? 魔族から聞いたことなのか?
実はね、それは真っ赤なウソさ。
僕達は魔界がどうしようもない理由で住めなくなってしまったから、仕方なく移住してきただけなんだよ」
「ッ! ……いや、お得意のウソだなそれは」
一瞬手が緩みかけるが、思い直し再び力を込める。
「ウッ! 急に締めないでよ。
ハハッ、でも正解。そうだよ、ただ僕らは自分本位に異世界を喰い荒す存在さ」
コロコロと言うことの変わる言葉。
「もういい、どうせお前の言葉は全部戯言だ」
「そうだよ、僕の言葉はほとんど虚言さ。――でも、君は僕の虚言を無視できないはずだ。
僕の言葉が君の心に抜けない棘となって刺さるんだ。それが君の拳を、剣を鈍らせる。
そうすれば、いつか僕らの誰かが君を殺してくれる。
――最後に僕に喋らせたのが失敗だったね。躊躇いなく首をへし折るべきだったんだよ」
「……あぁ、そうだな」
そうして俺は右手に力を込めていく。
「じゃあね、勇者。僕は本当に君が嫌いだったよ」
「あぁ、俺もお前が大嫌いだったよ。魔王」
ミシミシと骨が軋みながらも、言葉を交わし合う。
そして――
パキョッ
とんでもなく軽い音を立てて、魔王の首の骨がへし折れた。
ブランと力なく垂れ下がる魔王の頭部。
すると、力を失ったその体は端の方から黒い塵へと姿を変え宙へと消えていく。
数秒と経たないうちに全てが宙に溶け、〝魔王〟なんて言う存在自体がいたことが嘘のようにその痕跡は消えうせる。
しかし、奴が消え去ったとしても街が元に戻るわけではない。
街の残骸、瓦礫の上に思わずへたり込む。
「やっと終わった……」
疲れ切った声が零れる。
実際はゲームやマンガと違って残党の殲滅や、諸々の復興などやることは多く終わってなどいない。
だが一段落はついた。
その時、薄暗闇を割って辺りに光が差し込む。
「朝、か」
地平線の果てから太陽が顔を覗かせ冷え切った大地を温めはじめる。
「……家に帰ろう」
思わずそう言葉が漏れ出していた。
しかし、極限状態で感じたそれは紛れもない本心。
一年間。
短いようで長いその期間を戦い続けた俺は、大分参っていたんだろう。
今すぐ家に帰りたい衝動に駆られる。
居心地のいい自分の部屋のベッドに潜り込み、思うままに惰眠を貪りたい。
そして何より――
「あぁ、レイに会いたいな」
たった1人の愛しい家族を思い浮かべた。
こうして、一年にも渡る長い人魔戦争は終結した。
今から約2年前の、冬の事だった。
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