第六話
カイはエレナに促され、チビを起こし、ほかの者に挨拶して退出した。
「なあ、あの人たちずっと騒いでていいのか?」
「いつもあんな感じ。心配ないよ」
「家に帰ったりとか、しないのかな」
「それは大丈夫。バルバ隊のほとんどの人が、この城の中にお部屋をもらって住んでるの。ジョージアさんやレイちゃんやライちゃんもそう。もちろん、わたしもね」
「え、じゃもしかして僕の部屋ってのは……これから住むとこ?」
「え、あ、あれ? 聞いてなかった?」
「うん」
「ご、ごめんなさい」
「あ、いや」
案内された部屋は、寝台や机や長椅子がすでに置かれていた。シンプルだが、独り者が住むには十分だ。カイの旅荷物もきちんと運び込まれていた。
「とりあえずはこれだけ。必要なものは、これからそろえればいいわ」
「ありがとう。何から何まで」
カイが礼を言うと、エレナは嬉しそうにほほえむ。
「にゃあおお」
「チビちゃんもいい子でね」
「ゴロゴロ」
チビは喉を鳴らして、エレナにすりよった。
「へえ……」
「なぁに?」
「いや、チビがそんなに懐く人は初めてだなって」
「チビちゃん、人見知りするの? そんな風じゃないけど」
「ヘキジャネコは気性は穏やかだから、愛想が悪かったり、人を襲ったりすることはほとんどない。でも、本当に心を開く相手は少ないんだ」
「そうなの」
エレナはふと真顔になり、小声でつぶやく。
「初めてじゃ、ないんだけどね」
「ん? 何か言った?」
「なんでもない」
エレナが首を横に振ったので、カイもそれ以上は追及しなかった。
「それから、レディ・ベルからおことづけ。今夜は風呂に入りなさいって」
「風呂?」
「身だしなみはきちんと。バルバ隊の決まり」
「……俺、くさい?」
エレナは困ったように笑った。明らかに何かをごまかす笑いだ。
「……ごめん」
「えっと、そのそういうわけじゃなくって……やっぱり、魔物と戦った後はね。体を清める必要があると思うの」
返り血は綺麗にぬぐったが、それでは足りないのだという。
「魔物の血の匂いで、別の魔物が引き寄せられることもあるというし」
「えっと、じゃあチビも?」
「チビちゃんはいいわよ。ネコって、水浴びは苦手でしょ?」
「まあねー。じゃっ、チビ、もうすこし留守番な」
「にゃー」
渡された着替えを持って、カイは部屋を出た。
「こっちよ」
案内された先から、すこし不思議な匂いの風が吹いてくる。
「ここがお風呂。ここを入った部屋で服を脱いで。お風呂はその先の部屋にあるわ」
「いつもお湯わかしてんの?」
「この辺は温泉がわくの。それを引きこんで、共同の浴場にしてあるのよ」
「温泉?」
「あったかい地下水よ。このあたりは、地面があったかいの。古い火山の名残だって、レディはおっしゃってたけど……」
その湯は、普通の水では得られない力を持っていて、傷や疲れによく効くそうだ。
「このあたりの岩が不思議な形をしているのも、火山の名残なんですって」
「そういや、塔みたいな岩が湖にあったなぁ」
「夜七時までが女配下の使っていい時間。それ以降がそのほかの人の時間よ」
「わかった」
「帰りは……部屋、わかるよね?」
「ああ、ありがとう」
カイは生まれて初めて、巨大な浴槽を楽しんだ。
「ふい――……」
大きくため息をつく。大量の湯につかるのは快感だ。水浴びや体を布で拭く程度で済ましていたときとはまったく違う。
「クセになるな……こういう風呂って」
カタン、と戸の開く音がした。
「え?」
「お邪魔するわよ」
「うわあああああああっ!? ベ、ベリンダ様!?」
カイは思わず飛び上がり、そのまま背を向ける。ベリンダが胸から太ももまで布でおおっていたのは幸いだった。
「あ、あのっ、すぐ出ますので……」
「いいわよ、そのままで」
鷹揚な声とともに、ザパッと体に湯をかける音がする。
ちゃぷん、と水音がした。気配がどんどんこっちに向かってくる。カイのまうしろに、ベリンダがつかった。
「ど、どうして将軍……いえ、レディがここに?」
「言われたでしょう? 『女配下の入浴時刻は夜七時まで、それ以降がそのほかの人』ってね」
ベリンダの声が、笑う。
「つまり、アタシとあなたのじ・か・ん」
(ハ、ハメられた――ッ!)
カイは心の中で悲鳴を上げた。その心中を見透かしたように、ベリンダがいう。
「ハメたのはア・タ・シ。エレナを悪く思わないでやってねぇ」
ふう、と息がかかる。カイは思わず背筋を伸ばした。
「うふ、かわいい人」
(ひいいいいい!)
綺麗な雫形に整えた爪が、軽くカイの皮膚を押さえる。しかし指のごつさは間違いなく男のそれだ。そのままベリンダの手が、カイの背中をなでる。
「きれいな文様……黄金の片翼ね」
カイの背中には、刺青が刻まれていた。右の肩甲骨のあたりに、鳥の翼を意匠化した文様だ。あざやかな金色が、湯けむりに濡れている。
まるで彼が発動させた、光の翼に似ていて――。
「あなたの力の秘密、これと関係あるのかしら?」
「な、何を」
「腹を割って話したいのよ。訊きたいことは、たくさんあるわ」
スッとベリンダがカイから離れる。ベリンダは浴槽のへりに腰かけ、足だけを湯につけた。
カイは内心ほっとしたが、まだ完全に気を抜けるわけではない。
「訊きたいことって……何ですか?」
「オリュザの悲劇」
カイの体が、突然固まった。熱い湯の中で、まるで凍りついたように動かない。表情には驚きが張りついている。
「あなた、その唯一の生き残りでしょ?」
「どうして知って……?」
「ふふ、調べたのよ。馬の骨を入れるほど、ウチは甘いトコロじゃあないの」
オリュザの悲劇。
それは十年前に起こった。山間部の農耕都市オリュザを、突如として魔物が襲い、住民は全滅した。帝国軍が救援に駆けつけたが間に合わず。たった一人の幼子だけが生き残った。
その幼子こそが、カイ・リッチェンだった。カイはその後、神殿の孤児院に引き取られ――そして今に至っている。
「ここ五十年で、ひとつの都市が魔物によって滅んだのは、オリュザだけ。当時は、いよいよ魔王軍との全面戦争が始まるって、もっぱら噂されたわね」
しかし大規模な戦闘は始まらなかった。今も、人間と魔王軍は小競り合いを繰り返すばかりだ。
「あの時、どうやって生き残ったの?」
「それは……運が良かったとしか……」
「運、ねぇ」
ベリンダが頬杖をつく。
「アタシは運なんて信じない。そうなったなら、理由があるはずよ」
「理由といっても……」
「その刺青に関係あるのでしょう?」
「そ……んな……」
「あら?」
カイはぶくぶくと泡を立てながら、風呂に沈んでいった。
初出:2013年癸巳10月12日




