第三話
「さて。エレナ、カイの部屋を用意させなさい。東の棟にまだ空き部屋が――」
ベリンダがそう言いかけたとき、ふいに外が暗くなり始めた。
「たいへん!」
「たいへん!」
「たいへんなの!」
バーン! と勢いよく扉を開けて、少女が二人なだれこんできた。
突然のことに、カイはあっけにとられる。しかしベリンダとエレナは特に驚いた様子もない。
「レイ、ライ、どうしたの?」
少女たちは瓜二つだった。ふわふわの金髪に瞳は青色の、絵に描いたような美少女たちだ。片方は薄紫色の、片方は水色のドレスを着ている。
「精霊たちが騒いでるの」
「ざわざわーって騒いでるの」
「空飛ぶ蛇が来るよ、レディ!」
「剣を取って、レディ!」
二人のつたない言葉に、ベリンダとエレナの雰囲気が変わった。
「クリストファーとレオナルドをお呼び!」
ベリンダの命令で、二人の男が参上した。
片方は先の凱旋で見た、金髪の美青年だ。
もう片方は中年の男だった。武装と隻腕が彼のくぐりぬけた修羅場を示している。
「お呼びですか、レディ」
「魔物が来るわ。クリス、鐘を鳴らして。住民を避難させなさい」
「はい、すぐに」
「レオナルドは街の警護隊を率いて、守りを固めなさい」
「御意」
大人たちがバタバタと走り回る中、カイは双子の美少女に目を向けた。
美少女たちはチビに興味津々だ。
一方チビは、両耳を低くしてやや警戒している。
「エレナ、この子らは?」
「レイ・シーダーとライ・シーダー。こう見えても、精霊の声を聞けるんですよ」
「えーと、どっちがレイちゃんで、どっちがライちゃんかな?」
カイはすこし身をかがめて訊いてみる。美少女たちはクスクスと笑った。
「変なお兄ちゃん」
「どっちがどっちかなんて、関係ないよね」
「ねー」
「ねー」
「いや、関係あるから!」
などと騒いでいると、ベリンダがエレナらに目を向ける。
「エレナ!」
「はい!」
「戦いの準備を」
「はい、レディ・ベル!」
「カイ」
「はっ」
「魔物が来るわ。手伝ってくれるわね?」
「もちろん!」
「各自持ち場へ!」
「了解、ベリンダ将軍!」
全員が敬礼した。
***
西日が射していたはずの空は、どんよりと厚い雲におおわれていた。
普段は時を告げる鐘が、何度も鳴らされている。非常時を告げている。
人々はあわてて荷を抱え、自分の子供の手を引いて、建物の中に入る。市街警備の兵士が、決められた場所に次々と駆けつけ待機する。
「飛竜だ!」
暗く曇った空から、魔物たちは現れた。ワイバーンは翼の発達した小型の竜だ。街の上を、何頭も飛びまわる。
「矢を射かけろ!」
空に向かって、無数の矢が乱れ飛ぶ。しかし威嚇程度にしかならないようだ。
一方、ベリンダたちは馬に乗って、ひとっ子ひとりいなくなった街中を駆けた。カイはチビに乗っている。
「思わしくないわね。クリス、ジョージア!」
「はい!」
「ついてきなさい、直接攻撃よ!」
ベリンダの手から、鞭が飛んだ。屋根の上に引っかかり、一気に縮む。まるで吸い上げられるように、ベリンダは屋根の上へと姿を消した。
それに美青年クリス、そして浅黒い肌の女戦士ジョージアも同じように馬上から飛んだ。
「エレナ、何あれ!?」
「シダリオトカゲの尾で作った鞭です」
エレナは自分の腰をポンと叩く。輪にまとめた鞭を、短剣と一緒につけている。
「僕らはどうするんだ?」
「レディたちが討ち漏らしたものを倒します。こっちへ!」
「危ないッ!」
体を斬り裂かれたワイバーンの死骸が降ってくる。地面に激突し、石畳をえぐる。
「始まった!」
ワイバーンの激しく鳴く声が、街中にこだました。
「チビ!」
カイに応じ、チビが強い後脚で地面を蹴った。高度を落としたワイバーンに飛びかかる。鋭い爪で刺し、牙を立てる。そのまま地面に押さえ込み、喉笛に噛みついた。
ワイバーンも爪を立てようとしたが、それをカイが剣で斬る。
「チビ、そいつを離せ!」
カイはチビから飛び降りた。チビは命令に忠実にワイバーンを放す。ワイバーンが体勢を立て直そうとした瞬間、カイは剣を一閃させた。トカゲに似た首が落ちる。
「カイ、大丈夫ですか!?」
「ああ!」
エレナも、もがいていたワイバーンにとどめを刺したところだった。彼女は両手に大ぶりな短剣を握っている。
それから数頭、同じように倒した。
「ん?」
返り血をぬぐってあたりをうかがうと、静かになっていた。
「攻撃がやんだ? 全部倒したのか?」
「違います、親玉が来た!」
エレナが馬に乗り直す。
「よし、僕たちも上に行くか。チビ!」
「上って……か、カイ!?」
カイはチビにまたがり、エレナを彼女の馬上から引き寄せた。いきなり横抱きにされたエレナは、顔を真っ赤にする。
「行くぞ! しっかりつかまって!」
「行くって、待ってカイ……きゃああっ!」
チビがくっと体を曲げ――思い切り飛んだ。巨大なネコがしなやかに空を舞い、屋根の上に降り立つ。
「カイ、いきなりこんなこと!」
「しっ!」
カイはエレナの抗議を抑え、指をさす。
ベリンダたちが、ワイバーンとは違う魔物と対峙していた。
「お出ましね」
ベリンダは、身の丈ほどもある大剣を難なく振った。血糊が飛ぶ。瓦屋根が汚れた。
十数頭の仲間を殺されたワイバーンたちは街から離れ、空中を旋回していた。その輪の中から、まったく様子の違うものが降りてくる。
それは人と飛竜をかけ合せたような魔物だった。全身は真っ白で、人に似た四肢と、コウモリのような皮膜の翼を持っている。顔も人間に似ている。髪まで生えている。
そして、その魔物だけが高度を下げ、屋根の上に降り立った。
魔物は一回転すると、人間に変身した。白い体は真っ白なドレスに変わる。翼は長い袖となり、ひるがえる。異国風のドレスだ。ドレスから透ける肉体は、彫刻のようにバランスがとれている。
美女だった。巻いた濃い金色の髪、不自然なまでに白い肌、そして青い目と赤い唇。ベリンダにも劣らない美しさだ。
「歓迎ありがとおぉ、愛しいベリンダぁ」
ねっとりとからみつくような口調で、美女はしなを作った。
「友人の来訪に扉を閉ざしてなんてぇ……素敵すぎて涙が出ちゃう」
「あーら、その涙はグラスにでも貯めておいてよ。素敵な毒薬が作れそうだわ」
道を挟んで対峙したベリンダは、眉一つ動かさず軽口を叩いた。
「そうしましょぉ、我が古い友人のために」
美女が乾杯するような仕草をする。
「で? その古い友人に何の用かしら?」
ベリンダはローズ色の髪をサッと払った。
「忌わしき毒蛇、マリーヤ・ガデューカよ」
「ほ、ほ、ほ、ほ、ほ」
妖女ガデューカは愉快そうに笑った。
「ワイバーンはお気に召さなかったかしらぁ?」
「そうね、もっと骨がないと」
「ふぅ、絶対に気に入ってもらえると思ったんだけどなぁ、ベリンダ。でもぉ」
ガデューカが一回転した。白い翼の魔物に変化し、宙に舞い上がる。
「こいつならどうかしらねぇ?」
ガデューカがパチン、と指を鳴らす。空を舞っていたワイバーンの一匹が、彼女の隣に降りてくる。ぐったりした少女をくわえていた。
「ちょっと遠くからさらってきたのよぉ。可愛い子でしょ?」
「ガデューカ!?」
「さぁ、愛しいベリンダ。わたくしのことをよぉぉく考えてよ」
ガデューカはトカゲじみた顔に笑みを浮かべた。ワイバーンから少女を取り上げる。少女は十二・三歳くらいに見えるが、ガデューカは軽々と片手で担いでみせる。
「わたくしなら、この子供をどうするかしらぁ?」
「レディ!」
「クリス、駄目よ! 手を出さないで!」
「ほ、ほ、ほ、ほ、ほ」
愉快そうに笑っていたガデューカが、ガクンとバランスを崩した。
「エレナ!?」
油断していたガデューカの足首に、ムチが絡みついた。
エレナだった。ムチが縮み、エレナはガデューカの右足首に取りつく。ガデューカは一瞬体勢を崩したものの、翼を大きくはためかせ、空中に留まった。
「その子を放しなさい! バケモノめ!!」
「あぁら、何ができるっていうのぉ?」
ガデューカはせせら笑う。左右に大きく旋回し、エリナを振り回す。
「く……っ!」
「ウフフ……せいぜいみじめにしがみついてなさい!」
ガデューカは一気に高度を上げ、街の外へと飛んだ。
セントフォリア湖に続く崖を急降下する。湖の水面スレスレに飛んだかと思うと、急激に高度を上げる。
湖には、尖った岩の隆起がいくつもあった。湖面から岩の塔がいくつも立っているようにも見える。そのあいだを、ガデューカは猛スピードで飛ぶ。
「キャーハハハ、これはどう!?」
ガデューカはエレナを岩に向かって振った。
「……っ!」
エレナはみずから手を放し、空中に投げ出された。小柄な体が岩のあいだをすりぬけ、一回転して水面に叩きつけられる。
「あっ、ぷあ……!」
何とか水面に顔を出す。しかし水をかく腕に力はない。水面に思い切りぶつかった痛みが、エレナの感覚を鈍らせていた。
「忌わしい子、いっそここで殺してやろうか!?」
ガデューカが吐き捨てる。
「くぅ……」
エレナは歯噛みした。
***
「エレナ、エレナ――ッ!」
カイにも予想外だった。
ガデューカが人間の子供を手にしているのを見て、エレナが激昂した。カイが止める間もなく、エレナは鞭を振るい、ガデューカの足に取りついた。
「追わなきゃ! チビ!」
「にゃっ!」
「もっと早く!」
連なる屋根の上を飛び、カイはガデューカを追う。
あっというまに、セントフォリア湖に面した城壁に達した。
「!」
城壁の向こうは断崖絶壁だった。さすがのチビも、ここは下れない。岩の塔も遠く、飛び移れそうにない。
「エレナ!」
見れば、エレナがガデューカから離れ、水面に落下するところだった。
「落ち着け、これしか――ない!」
カイはチビから降りて、自分の胸元に手を当てた。
「天の精霊、地の精霊よ!」
呪文を唱える。
「我が声に応え、力を与えよ!」
カッとカイの背中から黄金の光がほとばしった。光は無数のリボンとなって、カイの右腕に巻きついた。リボンはそのまま組み上がり、手先から肩までを覆う鎧に変化する。
「空飛ぶ翼を、与えよ!」
鎧から黄金の翼が伸びる。
片翼の戦士――美しい、しかし異形の姿となって、カイは飛び立った。
「エレナ――ッ!」
叫びながら、カイはジグザグに飛ぶ。真っすぐには飛べなかった。
「どけ、バケモノめ!」
「ギャアッ!」
ガデューカに思い切り体当たりをした。ガデューカの手から少女が離れる。カイは少女を奪取すると、今度は急降下した。
「クソッ、言うことを聞け、この翼め!」
まるで暴れ馬に乗ったようにデタラメに飛ぶ。
「エレナ!」
それでも腕を伸ばし、水面に浮かぶエレナをすくいあげる。水しぶきが上がった。
「上っがっれ――ッ!」
高度を上げて鋭くカーブし、ロサの街へ方向転換する。連なる屋根が見えた瞬間、ガクンと失速した。
「しまっ……!」
カイは咄嗟に、エレナたちの下に入った。三人もろともに、瓦屋根に叩きつけられる。それでも止まらず、数エルテの距離を滑った。その勢いに瓦がはがれ、落下する。
「うう……」
「カイ! カイ、しっかりして!」
なかば屋根にめりこんだカイを、エレナが起こそうとする。
「エレナ……大丈夫?」
「大丈夫、この子も、無事……!」
エレナは涙をこぼした。カイは痛みをこらえて笑う。
「よかった……」
「カイ……」
カイの視線の端に、ベリンダが映った。
これで安心だ、と思ったときカイは意識を失っていた。
***
「ああ、金の光……ああ、忌わしき光……!」
カイの体当たりを受けたガデューカは、混乱していた。黄金の光が、彼女の弱点のひとつであるらしい。
「今よ、ウルペース!」
ベリンダの声が、響き渡った。
それに応じた者がいた。時を告げる鐘の塔に、白髪の精霊使いが立っている。銀色の杖で床を叩く。
「天の精霊、地の精霊よ、我が声に応え、光と音に円舞せよ! 雷!」
金色の光が、稲妻のように走った。水晶が砕けるのに似た音が弾ける。光と音が大気を切り裂き、街中の空に広がり、ガデューカとワイバーンたちを直撃した。
「キャアアアアア――ッ!!」
魔物たちは空中をのたうち、湖に落ちた。その上を、火花を散らしながら精霊の光が結界を作る。
兵士たちから歓声が上がった。
「やった!」
「やったぞ!」
「まだよ!」
ベリンダの一喝に、あたりがシンと静まりかえる。
「あの程度でくたばったりしないわ」
全員が湖面を注視する。
鐘の塔の上では、精霊使いがふうとため息をついた。
「でも、ちょっとはダメージ受けててほしいのヨネ。この呪文、手間がかかるカラ」
精霊使いは、今の今まで隠れて呪文を詠唱していたのだ。街の兵士の矢も、ベリンダたちの派手な戦闘も、すべて時間稼ぎだったというわけだ。
「――来る!」
水が割れた。水柱を上げ、精霊の結界を引きちぎり、巨大な竜が出現する。
「ヴァイパー!」
白い鱗におおわれた体、巨大な翼と二本の脚。牙を剥き出す蛇の頭に、もはや人間の面影はない。
『愛しいベリンダぁ。今日の歓待、忘れなぁい』
しかしその声はガデューカだった。蛇竜の喉から絞り出される女の声は、まさに魔物のおぞましさそのものだ。
兵士たちが蒼ざめる。ヴァイパーの体は一〇エルテはある。これが暴れれば、いかにロサの街とてただではすまない。
「そう、よかった。次はあなたの屋敷にお邪魔するわよ」
けれどもベリンダだけが恐れなかった。胸を反らして言い返す。
ヴァイパーは赤く長い舌をひらめかせた。
『ふふ、そうしましょう。私の城で、二人で暮らすのぉ』
ヴァイパーは翼をひるがえした。
生き残ったワイバーンとともに、西の方角へと飛び去った。
「やった! 今度こそ追い払ったぞ!」
「薔薇の瞳よ、万歳!」
わき上がる歓声の中、ベリンダだけが厳しい表情で西を見据えていた。
初出:2013年癸巳09月24日




