第二話
「ここが、ベリンダ様の執務室です。準備はいいですか?」
「あ、ああ。チビも一緒でいいの?」
「ええ、大丈夫です。緊張しているのですか?」
「うーん、貴族のお城って初めてでさ」
チビも心なしか、ぎくしゃくしている。
「大丈夫、レディは大らかで優しいお方ですよ」
エレナの気遣いが嬉しかった。
「失礼します。カイ・リッチェン殿をお連れしました」
エレナが扉を開ける。
光がさしこむ明るい部屋、美しい調度の中に、薔薇のような麗人が立っていた。
「待っていたわ、カイ・リッチェン。お入りなさい」
女としてはやや低い声だった。深紅のツーピース・ドレスに、紅薔薇色の髪が映える。近くで見るといっそう美しい。カイは心が浮き立った。
「アタシが退魔軍序列第四位バルバ隊将軍、ベリンダ・ヴァレリア・ローズノットよ。よろしくね」
バルバ隊将軍ベリンダは、優雅な仕草でカイに近づく。
(――!?)
間近でベリンダを見て、カイは違和感に襲われた。
ベリンダの胸元を押し上げるふくらみ、その形はどう見ても乳房ではない。鍛え上げた筋肉でできた胸板である。さらによく見れば、袖も筋肉と思しき隆起でぱっつんぱっつんになっている。
(筋肉質……なのか?)
カイの思考が停止していく。冷や汗をかいていた。
「アタシのことはレディ・ベルとお呼び」
パシン、と東方趣味の扇子を閉じる。
「どうしたの? 緊張しているのかしら?」
ベリンダはすっとカイに近づき、扇子で彼のあごをすえた。彼女は背が高く、カイは見下ろされる格好になる。
「ふむ、アタシ好みのかわいい子ね。愛でてあげるわよ?」
麗人の顔が、ぐっと近くなる。カイは思わず視線を下げ――彼女の首にある見事な喉仏を見つけることとなった。
「お、お、おとこ――――!?」
悲鳴があたりをつんざいた。
「噂は聞いているわ、カイ。安い報酬でも魔物退治を請け負う、猛獣使いだってね」
ベリンダは何事もなかったかのように、長椅子に座ってワイングラスを傾けた。
「おとこ……おとこ……」
「にゃー……」
「カイ、しっかり」
「はっ、僕は何を?」
エレナがカイを小突いた。カイはようやく、体勢を立て直す。気がつけば、ベリンダとテーブルをはさんで、椅子に座っていた。チビが心配そうに見上げてくる。
「あら、どうかしたの?」
「レディ、カイはこういう場は初めてだと……」
エレナがすかさずフォローする。
「ホホホ、アタシが美人すぎて気おくれしたかしら?」
(何言ってんのこの人――!)
ツッコミを、カイは飲み込んだ。
「それで、何だっけ。そう、どうしてそんな慈悲深いことができるのかしら?」
「えっと……慈悲深いわけじゃありません」
「へえ?」
「報酬が安ければ、誰も魔物退治なんか受けません」
「そうよね。アタシたちだってイヤだわ」
「でもだからこそ、僕みたいな流れ者でも受けられるんです。魔物を倒す可能性があるなら、子供でもいいからすがりたいってところは少なくないですから」
「うふ、現実的ね。好きよ、そういうの」
ベリンダがほほえむ。
カイの背筋を、ぞくぞくぞくと寒気が襲った。蛇に睨まれたカエルになった気分だ。
「どうしてそこまでして旅をするのかしら、カイ・リッチェン? あなた――神殿の育ちでしょう?」
「え……!?」
カイは目を見張った。神殿育ち――それは彼の過去である。
「ご存知、だったのですか」
「そりゃあね。アタシは酔狂じゃなくってよ。ただの噂だけで会いたくなるわけないわ」
カイは戸惑った。今度はエレナも助け船を出してくれない。
「……僕は孤児です」
腹をくくって、カイは身の上話を始めた。
「五つのときに、家族を失い、神殿の孤児院に入りました」
「そのネコちゃんは?」
「唯一、今そばにいる家族です」
「みゃー」
ベリンダはうなずいた。自分の知っている情報と、すり合わせているのだろう。
「今、というのは?」
「僕の家族……祖父母と父、母は死にました。でも、ひとりだけ生死のわからない家族がいるんです」
「それは?」
「姉、です」
カイは、自分の声が沈んでいくのがわかった。胸の中に、鉛の塊があるようだ。
「姉は、僕を助けるため、みずから囮になって……」
かなりぼかした言い方だった。
魔物に襲われた時、カイと彼の姉は隠れていた。そこを見つかりそうになったので、カイの姉は彼を残して魔物たちの中へ飛び出していった。魔物が去ったのち――死体は見つからなかった。
「どこにいるのか、せめて生きているのか死んでいるのかだけでも知りたくて……三年前、孤児院から出ました」
「失踪するように、かしら?」
「……はい」
それも知っていたか。カイはため息をつく。
カイは、孤児院から許しなく出奔していた。姉を探すために、チビとともにあてどもない旅に出た。だから旅の資金を稼ぐ必要があった。どんなに安い依頼でも受けたのは、そういう理由があるからだ。
「苦労、されたんですね」
エレナが悲しそうな顔でうつむいた。
「いや、ホントはまだ、何もできてない。手がかりも、全然ないし」
カイの旅は、いつも霧の中にいるようだ。前が見えない。つかんだものもない。けれどもそれは普段考えないようにしている。
「でも、いつかは見つけてみせます。きっと……」
「にゃー……」
チビがカイの膝に前足をかけ、頭をすりよせた。カイはチビの首を掻いてやる。重くなっていた気分が、すこし軽くなった。
「カイ」
ベリンダがすこし身を乗り出す。
「我が隊に入る気はなくって?」
「え……退魔軍にですか!?」
退魔軍は、帝国軍に属するれっきとした軍隊だ。
孤児、しかも家出したような貧乏少年が入れるとは思えなかった。
「我がバルバ隊は、大規模戦闘や領地回復戦に参加することは少ないの。魔王領のいろんなところに潜入して、こなす仕事の方が多いわ」
「例えば、奪われた秘宝を奪還したり、さらわれた人を助けにいくんです」
エレナが補足する。
「でも……ドラゴンを倒したりするのでは?」
「あれは潜入したついで。魔王軍相手なんだから、アタシたちでもそれくらいやるの」
ベリンダは笑ったが、カイはまた戸惑った。
ついでにドラゴンを狩ってくるようなことが、頻繁に起こるというのか。魔王軍との戦いは、思った以上に大変なようだ。
「ともかく、命令があれば広く世界をめぐるわ。あなたのお姉様を探す手伝いになるのではなくて?」
(たしかにそうだ。お姉ちゃんを探すなら……)
カイの心がぐらりと揺れた。
「どのぐらい深く、魔王領まで入るのですか?」
「国境付近は言うまでもない。必要なら、世界の果て、魔王領の最深部まで」
カイの心臓が、急速に打ち出した。五里霧中だった自分の前に、初めて道が見えた気分だった。
「もちろん、相応の働きはしてもらうわよ」
ベリンダが真顔になった。男だというのを忘れてしまうくらい、凛として美しい。
「これはあなたへの同情じゃないわ。アタシは、アタシと配下にプラスになる者しか入れないから」
ベリンダは扇子をポンと頬に当てて、ニッと笑った。
「うぬぼれていいわよ。このアタシの眼鏡にかなったのだから」
「レディったら……」
エレナが困ったように笑う。
カイは目を閉じた。ためらいはないか、迷いはないか。揺れ動いてた心を鎮める。
「さあ、カイ・リッチェン。返事を聞かせて?」
「喜んでお受けします、ローズノット将軍」
ベリンダは満足げにほほえむ。
「カイ、本当に!? 本当にバルバ隊に入ってくれるの?」
「うん、きっと力になってみせる」
「よく言ってくれたわね」
ベリンダがスッと立ち上がる。
「カイ・リッチェン、今日からはアタシの旗下として、世を守り、人を守り、乙女たちを守る戦いに命を懸けなさい」
「はい!」
「あ、アタシのことはレディ・ベルとお呼び」
「え? いやその……」
「ホホ、照れなくてもいいわよ。い・い・わ・ね?」
「あ、は、はい……」
何だろう、この不思議な感覚。
カイが素直にうなずくと、エレナが苦笑していた。
初出:2013年癸巳09月23日




