第二十話
ベリンダは待っていた。
「ガデューカ……」
十年前、魔物に堕した退魔将軍。ベリンダは彼女から魔物退治のすべてを教えられた。可愛がられた。信頼していた。
けれども彼女は――戦闘中に負った傷がもとで、人間を捨てて闇に奔った。
「もう、大騒ぎはおしまい」
「決着をつけましょぉ、愛しいベリンダ」
部屋中に広がるツタの中から、真っ白なドレスをまとった美女が現れる。
「でも、あなたは負けるわぁ」
「わからないわよ?」
ベリンダは背の大剣の柄に手をかける。
「あら。これを見ても、まだ何か言えるぅ?」
「アンジェリーナ姫!?」
巨大な果実が、だらりと垂れ下がる。中にはアンジェリーナが入っていた。
「まさか……!」
「そうよぉ」
ずる、とさらにツタが動き、二つの人影をぶら下げた。
「クリス! ジョージア!?」
外にいるはずの二人が、傷だらけで戒められている。口にはツタがかまされ、二人ともぐったりとして動かない。
「ほ、ほ、ほ、ほ、ほ」
ガデューカは勝ち誇ったように笑う。
「……いったい、何が望み?」
「まずはお座りなさいな、ベリンダ」
大きな椅子だった。分厚くクッションがつけられている。
ベリンダはそこにドッカと腰を下ろした。しばらくうつむいて――顔を上げる。
「ガデューカ、お願いがあるの」
「お願い? ああ、お願い! ベリンダがわたくしに願い事なんてぇ……初めてかも」
「嬉しい? それはよかったわ」
「えぇえ。なぁに、愛しいベリンダ?」
「アンタの望みは――アタシでしょ?」
「わかってるじゃぁない」
ガデューカはベリンダの首筋に両腕を回し、ベリンダの膝の上に腰かける。
「アタシをどうしたいの、ガデューカ?」
「うふふふ……」
ガデューカはベリンダを愛おしげに見つめる。
「あたしのものになってよ、ベリンダ」
「人のまま? それとも魔に?」
「あたしのものになるならぁ、どちらでも同じじゃなくて?」
「そうね。でも、そのコたちは放してあげて」
「大人しくしてくれてたら、ねぇ」
ガデューカはベリンダの鎧を外し、服の襟元に手をかける。バリッという音とともに、服の前が引き裂かれる。たくましい胸元があらわになる。
「ふふ、嬉しい……」
ベリンダの首筋に、胸に、腹に、ガデューカは口づけを落とす。上半身の服を脱がせ、濃密な愛撫を与える。
「思い出ぁすわね、十年前を。わたくしは二十五歳、あなたは十五歳。初めて会ったときからわたくしは……」
「あら、その頃のアタシに惚れてたっての? とんだ年下趣味ね」
わずかに息を弾ませながら、ベリンダはいつもと同じ軽口を叩く。
「見込みがある、と思ってたのよぉ。将来、必ずイイ物を持つって」
「同感。十五歳って――」
ベリンダが目を細めた。
「意外にスゴイわよ」
ゴ、と風が吹きこんだ。緑の香りを、水のかぐわしさを含んでいる。無霊地域には決して吹かぬはずの、生命にあふれた風だった。
「何、このか……」
風、と言いかけたガデューカの胸を、ベリンダの左腕が貫いた。
「な……」
ガデューカは呆然とし、そしてベリンダの左腕をつかむ。人間の皮膚ではない。深紅の鱗に覆われた、魔物の腕だった。
「まさ、か、これ、は……この、かぜ、は」
ベリンダの左手が人間のそれに戻る。引き抜く。ガデューカの白い体に、血潮があふれた。深紅のバラが咲いたようだった。
その瞬間、黄金の光が部屋中を走った。ツタを切り、焼き払う。そして光は帯になって、ベリンダを包んだ。左腕の黒印が消えていく。呪いが解けたのだ。
「アタシは人間に戻れた。だけど」
ベリンダは立ち上がった。ガデューカはよたよたと後ずさる。
「アナタは自分から捨てたのよ。人間であることを」
ベリンダは深くうつむいていた。ローズ色の髪が顔にかかる。
「アナタは魔物よ!」
ガデューカは笑った。
「わかっていたわぁ」
ガデューカのうしろに、黄金の扉が生まれる。オオヘキジャネコが飛び出してきて、ガデューカの腕を食いちぎった。
その衝撃で、妖女は床に倒れた。扉から、カイとエレナが飛び出してくる。
「レディ!」
「レディ・ベル!!」
「二人とも!」
黄金の光が、さらにあたりを薙いだ。クリスやジョージアもツタから解放される。果実も次々と床に落ちて割れた。
「ああ……ベリンダ……」
ガデューカが腕を伸ばした。その腕に金色の光が巻きつく。体が黒く変色し、皮膚がボロボロになり、崩れ落ちていく。内臓も骨もチリになって消えた。
「ガデューカ……」
ベリンダはただそうつぶやいただけだった。
ベリンダは捕らわれていた三人の状態を確かめる。
「よかった。まだ生きているわ」
「よかった……」
「二人とも、サミュエルは?」
エレナが黙って首を横に振った。
「そう」
「脱出、しましょう」
チビにまだ意識の戻らないクリスを乗せ、ベリンダがジョージアを、カイがアンジェリーナを背負って、もときた道を戻る。
洞窟を抜けると、強い水の香りがした。
「わあ……」
あたりの様子が、一変していた。まだ岩肌や茶色い土は見えているが、それ以上に――緑が芽吹き始めている。枯れた水が、わずかではあるが戻っている。
その川のほとりに、三人を寝かせ、傷の様子を見る。
「あいててて……」
「ジョージア、気づいた?」
「レディ!」
「うう……」
「クリスも」
「レディ……レディ、呪いはどうなりました!? 私たちは……」
「もう心配ないわ」
ベリンダが優しく言う。二人の大人は泣きそうな顔で、彼女にすがった。
「大丈夫だったか、レディ・ベル!?」
男の声だった。全員の動きが止まる。ベリンダは目を見開いたまま振り返り――その者を認めて立ち上がった。
「サミュエル……」
「サミュエルさん、生きてたんですか!」
「ああ、よかった……!」
サミュエルはまっさきにベリンダを抱き締めた。
ベリンダはそれを受け入れつつも、微動だにしなかった。
すっとベリンダはサミュエルを押しのけた。ルビー色の瞳から、一切の動揺が消えていた。
「人間と魔物が争って五百年。とてもとても長い時間だわ。魔物になった人間も多く出た」
静かに語り出す。
「でも、魔王は人間なんか家畜としか思っていない。たとえ魔となった人間でも……」
それはガデューカがベリンダに教えたことだった。
ベリンダはエレナの腰から短剣を抜いた。ためらうことなく、サミュエルに突き出す。
「茶番は終わりよ」
ビ、とサミュエルの眼帯が取れる。
「あ!」
サミュエルの目は失われていなかった。ただ人間のそれではなかった。瞳孔が縦に細い。
「ガデューカはどう力をつけたって、しょせん下っ端。目付の、本物の魔物がそばにいるはずよ。正体を現しなさい!」
「さすがだな、薔薇の瞳。いつわかった?」
「最初から。確信したのは、アナタがアタシにキスしたとき」
「匂いには気をつけたのだがな」
「ちがうわ」
ベリンダが笑う。暗い笑みだった。
「わかるのよ。魔物の気配が」
「なぜだ? お前は精霊使いでも魔女でもないはずだが?」
「わかるのよ。ごく普通の人間だから」
ルビー色の瞳が、サミュエルを射すくめた。
「さあ、ガデューカはもういない! アタシを殺せるのは、アンタしかいないのよ!」
「たしかに……そうだ、な」
サミュエルの体が、異様な音を立てて膨らみ始めた。皮膚が裂ける。まるで脱皮するように、その者は姿を現した。
「ドラゴン!」
竜の中でも、四肢と翼を備えた者だ。炎を吐き、その力は魔物の中でもズバ抜けている。
「あのドラゴン、まさか……」
初めてロサの街に入った時に、カイは同じものを見ていた。あのドラゴンにそっくりだ。
「やっぱりね。あの時の復讐というわけ」
ベリンダはニッと笑った。
ドラゴンは巨大化を続けている。
「チビ、この子を安全な場所へ!」
「みゃー!」
チビの背に、アンジェリーナを乗せて逃がす。
それを見届けて、ベリンダが叫んだ。
「退魔軍序列第四位バルバ隊、結集!」
全員が立ち上がり、ドラゴンを恐れず睨みつけた。
「レディ、我々は退きます。武器が……」
「大丈夫」
ベリンダがウインクする。
「あるわよ、ね?」
カイはうなずいた。両手をかざす。黄金の光がいくつも生まれ、具体的な形を取る。クリスやジョージアの得物が生まれ、二人の腕の中に収まる。
「これは……」
「古代の秘術、魔法。二人は魔法使いになったのよ!」
「なるほど、あっりがてぇ!」
ドラゴンが咆哮を上げた。あたりの岩肌が崩れそうな声だった。
「鳴き声くらいで、ひるむバルバ隊でなくってよ!」
その言葉通り、全員が恐れずドラゴンに向かっていった。矢が突き刺さり、剣が肉を削ぐ。しかし巨大すぎて、足もとしか攻撃できない。
ゴウ、と炎があたりを薙いだ。ドラゴンの息だ。全員が岩を利用して隠れる。
『おのれ、人間! 我が眷族を辱めたにも関わらず……!』
「だったら、ガデューカを利用するなんてまだるっこしーことなんてせずに、真正面から来ればよかったのよ!」
ベリンダが挑発した。
「アンタがアタシにだけ復讐を考えていたから、助かったわ。アタシの思惑通り、カイにもエレナにも危害を加えなかったし」
『おのれええええ!』
また炎があたりを焼き焦がす。
「カイ、エレナ!」
「はい!」
「アタシをやつの上へ! それからエレナ!」
「は、はい!」
「ウルペースからの預かり物、アタシにちょうだい?」
「……! はい!」
カイとエレナの背に、それぞれ片翼が生える。二人はがっちり腕を組み、空いた手でベリンダを抱えた。飛びあがる。まっすぐ飛んだ。
「離して!」
ベリンダはドラゴンの背に乗った。大剣を振るう。翼が根元から斬り落とされた。
「レディ・ベル!」
エレナの声とともに、ベリンダは落ちてきたものをキャッチした。黄色の精霊石だった。
ベリンダは精霊石を思い切りヒールで踏みつけた。ドラゴンの牙でできたヒールがドラゴンの鱗を突き破り、精霊石を皮膚の下に埋めこむ。
次の瞬間、精霊石が弾けた。光と音がほとばしったが、ヒールから上には伝わらなかった。生じた爆発的な力は、すべてドラゴンの体の中に向かう。
ドラゴンは血を吐いた。体の中から傷つけられ、たまらず苦悶の叫びを上げた。
そこに、轡を噛ませるように、魔法の光帯がドラゴンの口を開いたまま封じた。
「エレナ!」
「うん!」
光の帯を握っているのは、もちろんこの二人。全身に力がみなぎっている。
「いっけぇ――!!」
光の帯が、あたりを白く染めるほど強く輝いた。ドラゴンの全身から力が失われた。
『無……念……』
ドラゴンは絞るように断末魔を上げた。目が濁り、光を失う。
『だが、辱めは……受けぬ……!』
ドラゴンは口から炎を上げた。しかしそれはブレスにならなかった。体内に生じた炎が、体中の傷を伝い、みずからを焼く。
「自分の火で死ぬつもりか!」
燃え盛る火焔となって、ドラゴンは大地に立ち上がった。鳴き声が嗚咽のようだった。
やがてそれも消え、炭のような残骸が残る。しかしそれも、強い風に崩れた。
「やった……」
「レディ!」
「レディ・ベル!」
全員が、すがるように紅薔薇色の髪の将軍を見つめる。
「皆、よくやったわね」
髪を払い、ベリンダがほほえむ。皆の顔にも、喜びが浮かんでいた。
「みゃー……」
トットットッと、チビがアンジェリーナを乗せて戻ってきた。
「チビ、よくやったな」
「みゃあ!」
カイがチビをなでる。
ベリンダはチビの背からアンジェリーナを抱き上げた。まだ意識が戻らない。
「かわいそうな子」
ベリンダが頬をなでる。
ス、とアンジェリーナの目が開いた。
「意識が戻ったの!?」
『おもしろい余興だったよ』
「!?」
少女の口から漏れた言葉に、ベリンダがのけぞった。
同時に、黒い気配がバルバ隊に押し寄せる。まるで殴られたかのように、全員が吹っ飛ばされる。
「いてて……何だ!?」
アンジェリーナの体が宙に浮いていた。
「まさか……魔王!?」
全員に、今までとは違う緊張が走った。
『オリュザはあきらめよう。やっかいな魔法が復活してしまった』
少女はあくまで静かに言った。
けれども誰も動けなかった。圧倒的な闇に、完全に気圧されていた。
『さあ、去ろう。ここはうるさすぎる。明るすぎる』
アンジェリーナは大きく両手を広げた。白い喉がのけぞる。全身から黒いもやが放出され――気配が消えた。
アンジェリーナはまるで人形のように投げ出された。ベリンダが受け止める。
「ハア……ッ!」
ベリンダは膝をついた。
「レディ!」
「レディ・ベル!」
バルバ隊の誰もが、ベリンダにすがるような視線を送る。皆、不安で震えていた。
「なんという様かしら。たったいくつか、話しかけられただけで」
自嘲して、ベリンダはつぶやいた。
「アタシの負けよ」
宿敵を倒し、腕の呪いは解かれ、ドラゴンを討ち果たしても、勝利を感じられない。全員が悔しさの重みに耐えかねて、うつむき、肩を落とした。
そんな中――ベリンダは毅然として空を見上げた。雲が割れ、太陽の光が射す。ルビー色の瞳が強い光を宿す。
「でも、この子は生きてるわ」
立ち上がり、全身で光を受けた。
その姿は、勇者の絵に似ていた。人間に限りない希望をもたらす、五百年前の戦士の姿に。
「レディ……」
「皆、ご苦労! 帰るわよ」
ベリンダはほほえんだ。今までで一番美しい笑顔だった。
「帰るわ。ロサの城へ。アタシたちの街へ」
全員が立ち上がり、力強くうなずいた。
***
アダマース暦五〇四年、帝国退魔軍バルバ隊、オリュザを奪還。
妖女マリーヤ・ガデューカを討ち、無霊地域の呪いを解く。以後、オリュザはふたたび美しい土地へと徐々に再生していくこととなる。
記録には勝利だけが残った。
初出:2014年甲午04月20日




