第十六話
「くそ……」
カイは間一髪、崩落からは逃れていた。穴の中は、当然ながらかなり広いトンネルになっていた。けれども地上への穴がふさがった今、あたりは真っ暗だ。
「チビ、お前が頼りだ」
「にゃっ」
ネコは人間よりはるかに夜目がきく。
カイはチビの横に立ち、その背に手を添えた。
チビはあたりをうかがいながら、ゆっくり進む。
チビを杖がわりにしながら、カイは慎重に進む。
「広いな」
目が闇に慣れ、わずかにあたりの輪郭が見え始める。天井は高く、幅もある。
「冷たっ!」
上から水滴が落ちてきた。足元からも、ときおり水たまりを踏む音がする。あたりも土ではなく、岩が増えてきている。
(天然の地下洞窟から穴をつなげたのかな)
焦る気持ちを抑え、カイは先を急いだ。
やがて広い空間に出た。先にはいくつもの岐路がある。しかしその岐路の前に立ちはだかるのは――。
あの大蛇がいた。全身からぼんやり光を放っているように見える。カイに気づいて、鎌首をもたげた。
「サーペントか……! エレナを返せ!」
サーペントは水が噴き出すような鳴き声を上げた。
(精霊術が使えれば、すこしは……!)
カイはダメもとで呪文を唱えた。
「天の精霊、地の精霊、我が声に応え、力を与えよ! 空飛ぶ翼を、与えよ!」
カッと黄金の光がほとばしる。
「やった! まだ使える!」
右腕に指先まで覆う黄金の鎧、背中に片翼。あたりが光で満ちる。
「チビ、お前は奴を引きつけろ!」
「みゃっ!」
サーペントは光にひるんだが、すぐに大口を開けて襲いかかってきた。
チビもカイも間一髪で避ける。
チビは跳躍し、サーペントの頭に逆落としをかける。
同時にチビより高く飛んだカイが、金の鎧で包まれた右腕を振るう。右腕は洞窟の天井を削った。切り取られた岩が、サーペントの下半身に落下する。
下半身を潰されたサーペントは上半身だけがのたうちまわり、その刺激で胃の中のものを吐いた。得体の知れない異物のまざった粘液とともに、見覚えのある明るい髪が転がり出る。
サーペントは痙攣し、動かなくなった。
「エレナ! エレナ!!」
カイはエレナを抱き上げた。手にピリッとした刺激が走った。消化液だ。
「どうしよう、これを落とさないと……!」
とっさに、足もとの水たまりに袖を浸す。それでエレナの顔をぬぐった。
「みゃー!」
「……何だ?」
ごうごうと地鳴りがする。地鳴りの音が近づいてくる。
「何だ!?」
「みゃー!」
「!」
ご、と岐路のひとつから水が押し寄せてくる。二人と一匹はなすすべもなく飲み込まれ、流されていった。
「にゃっ、うみゃっ、みゃー!!」
「うう……チビ?」
なじんだ鳴き声が、カイの目を覚ます。
「ここは……」
ザアザアと水の流れる音がする。あたりはごろごろ石が転がった、洞窟のような場所だった。よく見れば、周囲は水路のように水が流れている。
「水に流されて……途中の洞に引っかかったか」
どうやら水流の関係で、異物はすべてここに流れ着くらしい。
プルプルと頭を振る。冷たい水しぶきが飛んだ。右手で顔をぬぐうとザラリとした。泥水らしい。
「あ……術が解けたか」
金色の鎧は消え去っていた。
「あ、エレナ! エレナは!?」
「にゃー」
チビが、地面に転がっている影のそばに寄った。
エレナだった。カイはあわてて、彼女の様子を見る。息をしている。しかも、水に飲まれたことで消化液が洗い流されている。
「よかった……」
ほーっと息をついた。その息が白く濁った。
「寒い……」
鳥肌が立つほどに冷えてきた。濡れた服がどんどん体の熱を奪う。
「このままじゃマズいな」
カイは首筋をさぐった。ウルペースがくれた赤い精霊石を取る。火が出るという石だ。
「天の精霊、地の精霊、どうか力を……!」
地面に精霊石を叩きつける。パン、と石が割れ小さな炎が上がった。草も小枝もない瓦礫の上で、小さなぬくもりが生まれる。
「だけど、このままじゃ凍えてしまう……」
気温がかなり低いが、服を脱がなければもっと凍えてしまう。
「け、どなぁ……」
問題はエレナだった。彼女もびしょぬれだ。服を脱がさなければ、凍えてしまう。
カイは一瞬ためらった。
「エレナ……ごめん!」
うしろから抱きかかえるようにして、エレナの体を起こした。鎧をはずし、その下の服に手をかける。
(~~!)
うしろからかかえていると、エレナの細い体がよくわかる。そう意識したとたん、カイは赤面した。いやに緊張する。とまどう。激しく脈打つ心臓を抑えようとして、よけいにドキドキしてくる。
(落ち着け、落ち着け……やましいことはしてないから)
上着を脱がせる。精霊火の小さな明かりを、白い肩が反射した。
キラリと――金色に、背中が輝く。
「これは……!?」
カイは目を見張った。
(同じ……同じ刺青!?)
エレナの背の左半分には、翼を意匠化した文様が刻まれていた。
「どうして……!?」
まるで自分の対だ。カイは無意識のうちに右肩を押さえていた。
その時、ふたたび地鳴りのような音が響いた。
「サーペント!? まだ生きていたのか!」
水の中から、先のサーペントが躍りあがる。全身に傷を負い、下半身が潰れてもまだ動いている。大した生命力だ。
(しまった、剣が……!)
サーペントが鎌首をもたげた根元に、カイの剣が転がっている。
カイは動けなかった。スキを狙おうにも、体が凍えて鈍っている。とてもいつものように俊敏に、とはいけない。
突如、あたりが光に包まれた。カイは思わず顔を逸らす。
「エレナ!?」
今まで意識のなかったエレナが、立ち上がっている。全身から水をしたたらせ、そして光に包まれていた。
「この……光は!?」
黄金の光の帯が、彼女の左腕から伸びている。その背から、光の片翼が開いた。
間違いない。カイと同じ力だった。しかしまるで鏡に映したように、カイとは反対側の体に力が顕現している。
光の帯が、サーペントに巻きつき動きを封じた。
(今だ!)
カイは動いた。サーペントに肉薄し、剣を拾う。そのまま飛んだ。帯を足場にして、サーペントの頭より高く跳躍する。
「もらったぁ!」
剣をサーペントの脳天に突き刺した。
皮膚を破り骨を砕き脳が貫かれる。サーペントは断末魔を上げることなく、絶命した。巨大な体がカイを乗せたまま、岩の上に崩れ落ちた。
「あっ!」
エレナの背中から光が消えた。
カイはあわててサーペントの頭から下りる。危うく倒れかけた彼女を抱きとめる。
エレナはふたたび、意識を失っていた。
(何だ? 何が起こったんだ?)
カイの頭の中を、ぐるぐると疑問が回る。
「あ……さっきより冷えてる!」
疑問はとりあえず置いておいて、カイはエレナの服を脱がせた。さすがに下着まで脱がせる勇気はなかったが。
自分も服を脱ぎ、下着一丁になる。二人の布服は絞り、乾いた地面の上に広げる。
「…………」
カイはエレナの体を抱きこみ、精霊火の近くで横になった。こうでもしなければ、彼女はどんどん凍えていく。
(細い……)
抱きしめて、さらに実感する。
エレナの体は、カイよりもはるかに華奢だった。
(エレナ……目を覚まして。教えてほしい。今の力は何?)
体温を分け与える。ただ目を覚ましてほしいと願いながら。
しばらくそうしていた。
「う、ん……」
フ、とエレナの目が開いた。
「エレナ! 気がついた!」
「カイ……? っ、きゃあああああっ!?」
たがいがほぼ裸なのに気づいて、エレナは悲鳴を上げた。カイを押しのけ、両腕で体を隠そうとする。
「やっ、やあああ! 何これぇ!?」
「ごっ、ごめん! その、服が濡れたから!」
「み、見ないでぇ……!」
「ごめん!」
カイはあわててうしろを向いた。
「さ、さむい……」
「エレナ」
「大丈夫、自分であったまるから……!」
精霊火を挟んで、二人は何となく沈黙した。
カイはエレナに背を向けているので、背中ばかりが温まる。
チビはしばらく二人をながめていたが、やがてエレナのそばに寄った。
「……ありがとう、カイ」
ぽつ、とエレナが沈黙を破った。
「エレナ」
エレナの声が消えないうちに、カイも答えた。
「君は覚えていないかもしれないけど、僕と同じ力を使った」
右肩を押さえる。黄金の片翼は、今精霊火の光を反射して輝いているに違いない。
「僕はね、この翼をいつ得たのか、覚えていない。どんな精霊使いも、これがどういう文様かわからなかった」
胸に引っかかった疑問――彼女の顔を見ていない今なら、すんなり尋ねられる。不思議なものだった。
「エレナ、君は誰? 何を知っているの?」
「…………」
ふたたび沈黙が訪れかけた。
「オリュザに、行けばわかるわ」
エレナの声は、どこか突き放すようで、何かをためらっているようにも聞こえた。
「服が乾いたら、一緒に行きましょう。カイ」
「……うん」
カイは、服が乾くのを待ち遠しく思った。
2014年甲午03月10日




