「旦那様迷走曲」
迷走しているのは作者です。
団長視点に見せかけた、なんちゃって3人称。
「…っ、いい加減にしてくださいっ!!
そんなふうにずっと傍にいられると、鬱陶しいんですよっ!!」
◇◇◇
“こと”の起こりは、本当に些細な会話だった。
…いや、いつものようにジークフリートが妻に引っ付いていたことが原因なのかもしれないが。
ハルカの妊娠が発覚してから、7か月が過ぎた。
もう臨月が間近に迫って来ている彼女の腹部はかなり大きい。
正直、あまり物事に動じない――まあ、スルーしているだけ――彼女であっても、初めての出産というものは思った以上にストレスであった。
普段の彼女は全くといって良い程、ここが異世界であることを気にしていないが、さすがに出産には戸惑ってしまうようだ。
いくら治癒魔法があるといっても、医学の進歩した日本に比べればかなり不安がある。…彼女の知る“最も治癒魔法が得意な者”がアノ神官長でなので、仕方ないことなのかもしれない。
まあ、簡単にいうとイライラしていたのだ。彼女は。
ハルカに怒鳴られた夫は“そうか。…悪かった。少し席を外そう”と言い、部屋を出て行った。
「…………………」
夫――ジークフリートが出て行った扉を見ながら、ハルカは小さく呟いた。
「えっ、………ひょっとして、傷ついたんですか…?」
◇◇◇
別に、ハルカが言ったことに怒っている訳でも、落ち込んでいる訳でもない。
ジークフリートとて、彼女が出産間近で苛立っていたことには気付いていた。
ただ、妻の怒鳴り声を聞いて、今は自分が傍にいない方が良いだろうと判断したため、邸から出て来ただけだ。
………少しくらいは、傷ついたかもしれないが。
「ぎゃーっ!?何で団長がいるんスかっ!?」
その叫び声に振り返ったジークフリートは、不機嫌そうに口を開いた。
「ああ?…俺がいたらマズイのか」
………不機嫌どころか、彼の視線は人を殺せそうだった。
「め、めめ、滅相もゴザイマセンっ!!」
「黙れ。……ハッ、ちょうどイイ、次はお前の相手をして殺る」
えっ、やるの発音が間違ってませんか!?
…なんか団長の後ろに、第1小隊のヤツらが倒れてるんですけどっ!?
こうして、騎士団の鍛錬場には屍の山が築かれていった―――。
「ええっと、何かあったんですか?」
最近では考えられないぐらい機嫌の悪いジークフリートを気遣ったのか、部下達が声を掛けてきた。
…鍛錬と称して、殺されかけるのが嫌だったのかもしれないが。
「………………」
無言。
ジークフリートは部下の問いかけには答えず、ひたすら書類を書いている。
ちなみに、彼の後ろでは副団長が歓喜の涙を流している。
ジークフリートがまともに仕事をするのは、一体何か月ぶりなんだろう…。
「………奥さんとケンカでもしたんですか?」
『バキッ』
その言葉に、ジークフリートの手に握られていたペンがありえない音を立てた。
ペンは無残にも破壊され、中のインクが書類に染みわたっていく。
「………………」
「……………な、何でもアリマセン」
騎士団長の執務室であるその部屋で部下達が言葉を発することは2度となかった。
その人が現れるまでは―――。
◇◇◇
「ジーくんっ!!どうしたの~?」
その人は何の前触れもなく現れた。
そう、お通夜よりも暗い空気の執務室を救ったのは、この国の王であるアレクサンダーであった。
彼はたぶん、ハルカを除いて唯一、ジークフリートが気を遣う人物である。
「………陛下、何の用だ」
部下達をガン無視していた彼も、さすがに国王の来訪には反応した。
「う~ん。ジーくん、何か落ち込んでる?
ビミョーに元気がない気がするよ?」
ジークフリートの不機嫌MAXな様子を“元気がない”と言える国王は、間違いなくこの国1番の大物であった。
自分を心配しているらしい国王に、彼は溜息を吐いて答えた。
…部下達も一応、彼のことを心配していたのだが………たぶん、アプローチの仕方がマズかったのだろう。ジークフリートは意外と直球に弱い。
「別に何でもない。…アンタこそ、どうしたんだ?」
「うん?僕?僕は珍しくジーくんが仕事してるから、何かの陰謀じゃないかって言う騒ぎを聞きつけてやって来たんだよ」
「………………」
仕事をしただけで、陰謀扱いされてしまう騎士団長…。
「ジーくんは“女神ちゃん”のことで、悩んでるのかな?」
相手の様子を全く気にせず、国王は突然、話の核心を突いた。
「…悩んでなどいない。たまには仕事でもしようか思っただけだ」
いや、たまにじゃなくて毎日仕事してくださいっ。
その場にいた、国王以外の全員がジークフリートの言葉に内心ツッコミを入れた。
しかし、彼の雇い主である男は何事もなかったかのように話を続ける。
………おい、良いのかそれで。
「お仕事はもう十分したんじゃない?早く家に帰ってあげたら。“女神ちゃん”きっと心配してるよ」
「………ああ、もう帰る。愛しい妻が待っているからな」
「それでこそジーくんだよっ!!
じゃあね~、“女神ちゃん”によろしく!!」
早足で執務室を出て行く後姿を見送りながら、国王は笑顔で手を振った。
◇◇◇
ジークフリートは扉の前で固まっていた。
この扉を開ければ、愛しい彼の妻がいるのだが………心の準備ができていなかった。
ハルカが怒っていることを恐れている訳ではない。
彼の妻はそんなに長い間怒りを引きずるタイプではないし、仮に妻が怒っていたとしても怖くはない。
…ああ、そうか。
俺はハルカに嫌われたかもしないことが怖いのか。
彼女のセリフを思い出し、若干暗くなるジークフリート。
彼のこんな姿を部下達は永遠に目にすることはないのだろう。………いや、実際に見ても信じないかもしれない。
そんな彼の葛藤を断ち切ったのは、愛する妻の声だった。
「ジーク、いるんでしょう。入って来てください」
彼女の声に従い、ジークフリートはようやく扉を開け部屋へと入った。
「………………」
「………………」
「………体調は変わりないか?」
何となく気まずい空気を変えるように、ハルカに声を掛ける。
「…はい、特に変わりはないですよ」
「そうか」
そこで黙ってしまった夫を見る。
彼は、いつものように甘ったるい笑顔を浮かべてはいなかった。
…っ、やっぱり気にしてますよね。
何て言って謝ったら良いんでしょうか。
「そんな顔をするな。…別に昼間のことは気にしなくて良い」
「気にしているのはジークでしょう。
……はぁ、あのときはスミマセンでした。ちょっとイライラしちゃって」
「………俺のことを嫌いになったか?」
どこか不安気なジークフリートの様子に、ハルカは呆れは顔を向ける。
「あんなことで嫌いになってたら、まず、ジークと結婚なんてしてません」
「……………」
「弱気なジークなんて、らしくないですよ。…まあ、たまには悪くありませんけど」
妻の笑顔を見て、ジークフリートもようやくいつもの“甘ったるい”笑顔を浮かべた。
「そうか?俺はいつだってお前に振り回されてばかりだぞ、ハルカ」
「………………」
「…おい」
◇◇◇
数日後。
「………ジーク。なぜか我が家に“安産祈願”はまだしも、“家内安全”だの、“縁結び”だの、“恋愛成就”だののお守りが大量に届けられているんですが」
「さあな、俺は知らん。別に呪いじゃないんだ、構わないだろう」
「……………この間のときは騎士団に行ってたそうですね」
「ああ、仕事をしにな」
―――きっと、1番振り回されているのは王立騎士団の部下達だろう。




