「結婚前から奥様と呼ばれていたワケ」
ハルカの正体(?)がバレた日の夜―――。
「おい、ノルベルト。この邸に女を住まわせることにした。近い中に妻にする女だ、そのつもりで準備しろ」
「…かしこまりました」
突然過ぎる主のセリフにも、ノルベルトはいつも通りの無表情で答えた。
妻?………まさか、噂の神獣だろうか。
神獣を“妻”になどできるのか?
…まあ、何であれ、それがジーク様の望みであるならば叶えるだけだ。
ジークフリートの有能な執事は内心そんなことを思いながら、主の命令に従い部屋を出て行った。
…彼が神獣の中身について知るのは、この数日後である。
◇◇◇
「へえぇ~。旦那様が連れて来た美人さん、噂の“女神様”なんですか」
パウルはのんびりとそう言った。
「ええっ!?そうなんッスか!?
…女神様って、神殿にいるんじゃなかったんッスか?」
「あはは、攫って来ちゃったのかもしれませんねぇ」
不安気な顔をしたトーマスの言葉に彼は朗らかに笑う。
…その内容は、決して笑えるようなものではないが。
「それってヤバイッスよっ!!笑い事じゃないッスよ」
「トーマス、そんな訳がないでしょう。
女神様はジーク様を選ばれたのです。まあ、当然のことですが」
そう言って、2人の上司たるノルベルトは“女神様”の説明を始めた。
ちなみに、彼は主至上主義である。ジークフリートがこの世で1番素晴らしいと言って憚らない。
………その盲目的なところは、どこぞの神官長に似ているかもしれない。
「ジーク様はあの方を妻になさるおつもりです。あなた達もそのつもりで女神様にお仕えするように」
「“妻に”って、女神様と結婚するつもりなんスか?
………騎士団のトトカルチョって、まだ間に合うんッスかね?」
「間に合いますよ。僕、一昨日賭けて来ましたから。
しかし、ジーク様が結婚されるとはねぇ。意外と言うか、何と言うか…」
しかし、2人は上司の話をよそに“騎士団のトトカルチョ”の話題で盛り上がっていく。
「パウルさん、ズルいッス!何でオレを誘ってくれないんッスか」
「いやぁ、だってトーマス君はジーク様に賭けるんでしょう?
僕の儲けが減っちゃった嫌ですから」
「ヒドイっ!!…つか、オレは王子に賭けちゃいました」
「………ドンマイ」
「ええっ!?な、何かダメなんスか、あの人。
…女の人って、ああいうキラキラした顔好きじゃないッスか」
「ああ、トーマス君知らなかったんですか?殿下は、あんなお顔で虫を食べたりする人ですよ。
なんと言うか………残念な人なんです」
「…え?」
どうやら、王宮の外にまで王子の残念っぷりは伝わってきているようだ。
まあ、王子の実態を知っていても“何か可哀想”と賭けている騎士達もいたりするが。
「いい加減にしてください。いつまで無駄話をしているつもりですか。
…いいですか、女神様はこの邸の奥方となられるお方です。くれぐれも失礼のないように。
結婚式まであまり日がありませんし、しっかりと働いてください」
ノルベルトの言葉にトーマスは首を傾げる。
「日がないって、いつの予定なんッスか?」
「1か月後です」
「はあぁ!?1か月ぅ!?
旦那様って一応侯爵家の次男ッスよね。そんな急ごしらえな式とかありなんッスか?」
そう、ジークフリートは由緒ある侯爵家の次男坊であり、この国の王立騎士団団長である。
普通ならば、招待客の選別や案内状の送付だけでもかなりの時間が必要なのだ。
ただ式場を準備すれば良いというものではない。
「もちろん式は侯爵家の名に恥じないものにしますとも。
ジーク様の結婚式なのですよ。当たり前です」
当たり前に無茶なことを言ってのけるノルベルトは、どこまでもジークフリート第一であった。
彼は、主がやれと言ったらどんなことでも実行する男だ。
「でも、そのためにはジーク様の恋を成就させないと」
そんな3人の会話に割って入ったのは、この邸のメイド長を勤めるマーラであった。
ちなみに、ノルベルトの姉でもある。
「姉さん」
突然の姉の登場にノルベルトは戸惑った声を上げる。…表情は全く変わらないが。
しかし、彼女は弟の様子を無視して話を続ける。
「ハルカちゃんは、別にジーク様と結婚するつもりはないみたいだし。
さっさと外堀から埋めて行かないとダメよ」
「ハルカちゃんって、誰ッスか?えっ、外堀…?」
トーマスは話に付いていけないらしく頭の上に疑問符を浮かべている。
だが、やはりマーラは相手の様子を気にすることなく答えた。
………彼女はかなりマイペースな人のようだ。
「女神様のお名前よ。教えてもらったの」
「…そんなことより、女神様に“ジーク様との結婚の意思がない”とはどう言うことですか?
ジーク様は妻となる女性だと仰っていましたが」
ノルベルトには、女神の名前よりも“ジーク様の結婚話”の方が気になるようだ。
「ジーク様の言うことを真に受けるんじゃありません。
たぶん、それは“妻にしたいと思っている女性”って言うだけだと思うわ。
別に結婚の約束をしているとかじゃないみたいだし」
「ええっ!?じゃあ、ほんとに神殿から攫って来ちゃったんッスか!?」
マーラの衝撃(?)発言にトーマスは顔色を変える。
…もしそうなら、神官長が邸を襲撃しに来るかもしれない。
「………今すぐ、邸の結界を強化しましょう」
ノルベルトも同じ考えに至ったのか、緊張を孕んだ声でそう言った。
本当に女神を誘拐したのなら間違いなくジークフリートの方が悪なのだが、彼の頭にはそんな考えはないのだろう。
どこまでも主のために生きる男、ノルベルト。
「あはは、本当に攫っちゃったんですねぇ」
「もう、バカなことばかり言わないの。パウルさんも2人を煽らないでください。
いくらジーク様でも攫って来たりはしないわよ。…多少強引だったかもしれないけど」
マーラの言葉にあからさまにホッとする2人。
…パウルがどことなくつまらなそうなのは、たぶん目の錯覚だ。
ちなみに、ことの真相は“親切ぶって言いくるめた”だった。
「はぁ、話が逸れちゃったじゃない。
良い?ハルカちゃんは別にジーク様と結婚する気はないらしいの」
「ええっと、じゃあ旦那様の“片思い”ってことッスか?」
あのジークフリートが片思い………に、似合わない。
なぜだろう、寒気がしてきた。
「そんなっ!?ジーク様を好きにならない女性などいませんっ!」
「うーん。まあ、脈はあるみたいなのよね」
無表情で興奮している弟を無視して、マーラは自分の考えを話す。
「え、脈アリなんですか?つまらないですねぇ。
振られて落ち込むジーク様とか、ちょっと見たかったんですけど」
「ひぃぃ、そんなもの見たくないッス!!」
怖いもの知らずなパウルの発言に、トーマスはビビりまくりだ。
落ち込むジークフリートとかホラーにしかならない。あるいは、辺り一面を地獄に変える生物兵器とか…。
「ハルカちゃんは割と流されやすそうだし、“奥様”って呼んでお嫁さん扱いしてたら、そのうち諦めて結婚してくれそう」
「うわぁ、“諦めて結婚”とか不幸な響きですねぇ」
「諦めは大事よ。それに結婚生活なんて、妥協が7割なんだから」
「な、7割も妥協なんスか……」
マーラの言葉は、前途ある若者の結婚への憧れをぶち壊してしまったようだ。
…だいぶ極端な考え方なのだが。
「いけませんっ!!」
先程からずっと、1人で主の魅力を語っていたノルベルトが復活した。
「うわっ!?…突然どうしたんスか、ノルベルトさん」
「無表情で叫ばれると何か怖いですよねぇ」
「ほんとに落ち着きのない子だわ」
三者三様の反応を返すが、ヒートアップしてしまったらしいノルベルトは止まらない。止められない。
「ジーク様が振られることなど、あってはいけません。
ここは姉さんの言う通り、なんとしてでも女神様に奥方となって頂かなければ」
―――こうして、“女神様を奥方にし隊”が秘かに(?)発足した。




