◇1
「あの、網タイツとかは興味ないんですか?」
「全くありませんね」
アレは足への冒涜だと思います、と目の前の男が言う。
お昼の休憩時には全く使われない、人気のない通路の奥にあるこじんまりとした第5会議室。
私は長机に座らされ、地面に片膝を立てるヤツの手に片足をすくわれる。
スーツのタイトスカートがかなり際どい所まで上がるが、ヤツはその奥のパンツには目もくれず、うっとりと紺のヒールを見つめ、やがてそれを脱がす。
曝された足先が空気に触れ一瞬の肌寒さを覚えるが、ベージュのストッキング越しにヤツの手のひらの熱が伝わり、ホッと小さく息が出た。
それを見届けてよしとしたのか、その手のひらは上に這っていく。くるぶし、ふくらはぎ、膝裏、と最初は優しく触れるだけだったものが、徐々に力を込め無遠慮な手つきに変わりラインをなぞっていく。
「このストッキングは脱がないんですか?」
「流石に脱ぎませんね」
残念、と上目使いでこちらを見、目を細めて微笑んだ。
そして目を閉じ顔を近づけてくる。
―――また負けてしまった。
ヤツの旋毛を見つめながら、ため息を吐く。
そして窓の向こうの空を眺めた。
まだ日は高く、この部屋以外では通常に生活している中、傍から見て決して健全とは言えない行為を昼間から行う異質な光景。
私の足元には成人男性。
出逢うべくして出逢った私達。
自然とこの第5会議室が逢引の場所になった。
…逢引というのはおかしいか。
会合の場所、だ。
*
「…いい尻だ…」
資料を取りに行こうと、自分の部署から階も違う遠く離れた通路を歩いていた私の前に、理想が現れた。
私は尻フェチである。
男のそれより女のそれ、そして三次元より二次元のそれはもう垂涎ものだ。
キュッとくびれた細い腰から滑らかなラインを描き、柔らかい双丘がこれでもかと上を向く。スカートから見えそうで見えないその付け根がまた私の心をくすぐる。
小さい頃初めて見たアニメがそういった類のものだったのだから、仕方ないというものだろう?
特にエロい知識もなく、純朴に育っていた私にとって、そのチラリズム過多のアニメは大層な衝撃をもたらしたのだ。
勿論美少女ゲームやフィギュアも持ってますとも。
あのラインを手で触れ3Dで見れるとはイイ時代になったものだ。
この趣味のお陰で19歳の時大学で付き合っていた彼氏(そこそこの美尻)にドン引きされ。そして即刻別れを告げられたのは大変栄誉ある事ではないだろうか。
それ程までに愛していると、認められたと言う事なのだから。
貴様はまごうことなき尻フェチだと。
女が尻を追いかけてはいけないのだろうか?
想いを馳せてはいけないのだろうか?
誰が決めたというのだ。それに、別に女限定じゃないという事を忘れないで欲しいものだよ。男の小さい尻もイイと思うよ?堅そうで触りたいとは思わないけど。
だがしかし。
三次元で男尻神が降臨してしまっては無視する事は出来ない。
現実で、男の尻が、輝いて見える日が来ようとは。
このやや大きな会社に勤めて早数年、こんな尻を持った人を見逃していたとは…!
小ぶりの引きしまった双丘は上を向き、だが決して堅くはない弾力だと私に教えてくれる。私の手に納まり吸いつくように楽しませてくれそうだ。
エロさと可愛さを合わせ持つ、非常に小悪魔的な尻神だ。
黒のスーツからチラチラと顔を覗かせ、私を誘惑していた。
自分のリサーチ力の甘さに涙を流しながらも、人気の無いその通路にかこつけて不自然にならないよう歩き、その形と輝きを目に焼き付けようと目を見開きロックオンする。
暴れ出そうとする右手を左手で封印し、ギリ、と歯を食いしばりながら舐めるようにガン見する。
…幸せだ。
これで触って揉めたらもっと幸せなんだろうなぁと悦に浸っていると、ドンッと額に衝撃があった。
その衝撃に封印が解かれた右手で額を押えながら、その衝撃の元を辿ると、どうやら尻神様の本体にぶつかってしまったようだった。
一瞬で真っ青になり、慌てて頭を下げる。
「す、スミマセン!よ…余所見をしていました!」
「ああ…私は大丈夫ですが、貴女は大丈夫ですか?」
優しく問いかけてくる人に、先程じろじろと尻を見ていた居たたまれなさに、頭を下げた状態からもう一度頭を下げてその場を逃げ出した。
…しかし。
ラッキースケベとは本当にあるもんだな。
ぶつかった際にちょっと触っちゃった!いい弾力!ツンッ!
ほくほくと帰った私に、同僚の子に『気持ち悪い!』と追い払われた。この子とは入社時からの仲だったから自分の性癖の事も話してあった。
最初はドン引きしていたくせに、なんだかんだで隣にいてくれるいい人なんだ。
だから先程の運命の出会いを切々と語って聞かせると、肩を叩かれ涙を拭う仕草をしてみせた。
「そうか。あんたにもようやく春が来たのね。二次元じゃなく三次元の男に恋が出来るチャンスが来たわ」
どうしてそういう事になるのだろう。
確かにあの尻にはフォーリンラヴだったけれども。
「で?どこの部署の人?名前は勿論聞いたんでしょうね?」
「え」
私の返事ににっこりと笑ったまま青筋を立て始める同僚に、慌てて記憶の限りこういう尻だよと説くと頭を叩かれた。
「尻で判別できるか!て言うか尻には興味ない!雄の魅力はヒゲなのよこの末期尻フェチめ!!」
「やだー!ヒゲは触っても楽しくないじゃーん!」
ぎゃあぎゃあと言い合っていると、向いの上司からゴホンッとワザとらしく咳を鳴らされ、しおしおと仕事に戻った。
*
翌日、同じ位の時間に同じ場所へ行ってみるも、尻神様はいなかった。
そりゃそうか。銅像じゃあるまいし、いつもそこにいる訳じゃあないか。
仕方ないと自分の部署に戻ろうと思っていたらドンッと何かにぶつかった。いや、これはどっちかと言うとっていうか確実に私がぶつかられた感じだ。
自分を蓋う影の正体を見ようと振り返ると、黒いスーツの男が口元を押えて私を見下ろしていた。
見下ろすというか、俯いているというぐらい視線は結構地面に直っぽかったけれど。
「…あの?」
「…あ…!…す、スイマセン、余所見をしていまして…」
と更にペコリと頭を下げられたので、昨日見た同じ景色に思わず笑ってしまった。
あははと頭をかいて微笑む男の腰元を見ると、やはり昨日の尻神だったと確認できた。
内心ガッツポーズをし、余所行きの笑顔を貼り付け、その場を去りつつ後ろに回り拝んで行くかと算段を立てていると、いきなり腕を引っ張られ開いていた第5会議室に連れ込まれた。
後ろ手に鍵をかけられ、カツカツと中央にある長机の所まで引っ張られる。
訳の分からない展開に頭がついて行かず、されるがままになっていると、脇に手を入れられ机の上に座らされた。
そして大きな身体をバッと折り曲げたかと思うと、おもむろに私の足を掴んでこう言った。
「理想の、足だ…!」
キラキラと輝いた目で私の足を持ち上げ、色々な角度から眺め、男の手にしては滑らかでスラっとした手で愛撫をするように撫でられればたまったもんじゃあない。
限りなく足に近い頭をぐいっと掴んで叫んだ。
「自分だけずるい!私にも尻触らせなさいよ!!」
小さい部屋に自分の声は思ったより響いて、しんと静まり返った部屋に目を丸くして見あげる男の視線と絡まった。
「…」
「…」
そして私達は視線で会話をした。
同士よ、と。
*
それからほぼ毎日と言っていい程、この会議室に集まり互いの身体を提供している。
…いや、正しくは9割方私だけ差し出している形だ。
「あああー…このふくらはぎ…たまんねぇ…」
ヤツの発言に過去に戻っていた意識を戻すと、私の足を持って頬擦りしている姿が目に入る。
「俺さぁ、細すぎる足首って苦手なんだよねぇ。不健康というか。だから昔運動していましたっていう程よい筋肉の感触…この俺の指ギリギリ届くこの絶妙な太さがもう…!そこからふくらはぎ、太ももまでのS字のラインが神がかってる…!どの角度から見てもエロい。最高。超神。好み過ぎて死にたい」
だらしなく目尻を下げ嬉しそうな顔をして…本当に腹が立つ。
イライラしている私をよそに右手は膝を上がり太ももを揉んでくる。
「ひゃ…!ちょ、ちょっと!!そこは駄目だって言ったでしょう!?」
「ええー!ケチだなー!もうここまで来たら触らせてよー!!」
ベシッと手を叩くと頬を膨らませて抗議してきた。
残念ながら貴様の上半身など興味はない。カワイコぶっても無駄だ馬鹿め。
大の大人の男が頬を膨らませ足を抱きしめている光景に、私の限界が来た。
「ジャンケン制やめましょう!私最初の1回しか勝ってない!1回しか触ってないのは不公平ではないですか!?」
そうなのだ。自慢ではないが、私は連敗記録を更新中なのだ。
お互いの興味は下半身。
同時に触れる事は難しいから交代制になるのは必然的で、ヤツの『どうせならユーモアにジャンケン制にしません?その方が勝ち甲斐があるし、やる気も起きそうでいいじゃないですか』という言葉に即肯定し、初日のお触り券を奪って触って揉んで堪能したら、その快感がたまらなくより一層私を虜にさせた。
だがしかし。
この会議室に連れ込まれてから早2週間は経っているが、あの尻を触って揉めたのは最初の1回だけ。後は連続勝利のヤツにより、私の両手はかなりの間おあずけくらってご無沙汰している。
それに毎日毎日、くすぐったくて変な声が出そうになるのを堪えるのは疲れるんだ!
「じゃあ強くなればいいんだよ。ほら、俺を踏んでよ強く。挟んでもいいよ」
「踏んであげるから明日は私に触らせてください!」
「ああやっぱ踏むのは明日で今日はストッキング脱いで」
そう言ってつつっと膝をなぞられて身体がビクッとなる。
「ふふ、敏感だね。素肌になると…もっとよくなるのかなぁ?」
うっとりと膝を見つめ顔が寄せられていく。
避けようにもガッチリと掴まれていてそれも叶わない。
そうこうしているうちに距離がつめられていき、頬擦りされる―――と思ったらなんかいつもと微妙に角度が違う。
顔は真正面のままだった。
「…え…?」
声が出るのと同時に、昼休みを終える放送が流れた。
「…ああ。今日もこれでおしまいですか。では、また明日」
スッと立ち上がり、鍵を開けて出て行く男。
私はその背中をただ見ているだけだった。
「…今…キス…しようとしてた…?」
膝に、だけど。