やはり彼女は兵器だった
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彼女との暮らしに傷は耐えなかった。
彼女は何か意に沿わないことがあると発狂し絶叫し一人で場を紛糾させた。私はその度に殴られ蹴られ投げられた。
部屋の壁はそこかしこが凹み、家具の類も例外なく傷ついたり壊れたりして何度か買い換えた。
ただ、彼女の機嫌の悪さの原因は全て空腹だということがわかった。だから私は絶えずポシェットを身につけ、その中に菓子やパンを入れている。
食べ物を与えればしばらくは大人しくしているので、まあどうにか生活はできている。幸い私の部屋の両隣には住民は住んでいないので、今のところ近所とのトラブルはない。上の階の人間には彼女の叫び声が聞こえているのかもしれないが、恋人同士の喧嘩とでも思っているのか今のところ苦情は来ていない。
私と彼女の意思疎通は相変わらず彼女の暴走をきっかけにして行われるだけで、言葉による意思疎通は同棲が始まって一ヶ月経っても皆無だった。
十ヶ国語ぐらいで試してみたのだが、やはり彼女は言葉を話すことも理解することもできないようだ。あるのは食欲だけ。
これで性欲でもあれば私の生活に相当な潤いをもたらしていたのだろうが、残念なのことに彼女は夜になると実に平和的に眠ってしまう。私はその平和的な寝顔を眺め平和的な男に徹している。
同棲を始めて二週間ぐらい経った頃、私が朝起きると、彼女がカッターナイフを手にしていた。
これまで幾度ものDV行為にさらされてきたが、武器を使用されることはなかった。けれどついに……。
などと命が風前の灯と化するのを感じつつ彼女を見ていると、どうもこれから戦闘行為に及ぶつもりではないようだ。
というのも、彼女はまるでぬいぐるみを抱く女の子のように安心して笑っているからだ。決して不敵な笑みを浮かべてはいない。
できれば本当にぬいぐるみであってくれればよかったのだが。
カッターナイフを大事そうに手に持ち、微笑を浮かべている彼女はとても良い笑顔をしていた。私はしばしの間彼女をぼんやりと見ていた。
とても、きれいだった。
金色の髪がぱらりと頬にかかる。彼女はそれをごく自然な動作で耳の後ろにかけた。そんな何気ない仕草ひとつ取っても、彼女がやるとどの女がやるよりも映える。
カッターナイフの刃が蛍光灯の光を反射して鈍く光った。
――もしかして。
私は部屋を引っ掻き回してハサミ、縫い針、千枚通し、画鋲を見つけ出した。
「こんなのもあるぞ」
私がそれらを示すと、彼女は目を見開いた。
そして一つ一つ手にとって検分を始める。白くて細い指が、ハサミの刃を根元から先へゆっくりと滑っていく。
私はその指が自分の腹の上を滑っている感触を想像し、頬が熱くなった。
本当に彼女の体の中は機械じみているのだろうか。
ボルトだのCPUだのメモリなどが搭載された機械兵器なのだろうか。
彼女のなまめかしい指先からは、とてもそうは思えなかった。
全ての品を気に入ったらしく、彼女は満足そうにそれらをまとめて手にしようとしたが、当たり前だが手が足りなかった。智恵も足りないらしい。
私は以前百円ショップで買ったプラスチック製の筆箱にカッターナイフやハサミをまとめて入れ、彼女に持たせた。彼女は筆箱を十字架のように抱きしめた。
武器を持って安心した、ということなのだろう。
やはり彼女は兵器だった。