仮病
翌朝
「秀ちゃん、起きなさい」
「ん……今何時?」
「何時でもいいから起きなさい!坂口さんが来てるのよ」
「えっ!」
僕の目は一気に覚め時計をみると7時20分。
「早く着替えなさい。待たせちゃダメでしょっ」
「うーん」 僕はのびをしてからカーテンを開けると赤いフレームの自転車をとめて恵理様が待っている。携帯には恵理様から着信が入っていた。
僕は慌てて恵理様にかける。
「あんた、何様のつもり」
「ごめんなさい。まさかこんなに早く来るなんて」
「いいからはやく用意しなさい」
「はい」
僕は全速力で通学の身支度を整えた。もちろん朝食なんて食べない。玄関をでると恵理様と母さんがにこやかに話していた。 僕はとりあえずほっとする。
「行ってらっしゃい」
「はい、お母様」
二人になると恵理様の表情が変わった。
「昨日、わたくし明日から一緒に通学すると言いましたわよね」
「はい」 「その初日からわたくしを待たせるとはいい度胸ね」
「いえそんな、待たせるつもりなんてありませんでした」
昨晩は興奮して全然寝付けなかった。
「付き合うってどういう事か分かっているの?」
「……」
「相手のことを最優先にするということでしょう。違う?」
「その通りです」
「これだから経験のない子は困るのよね」
「すいません」
「そういう子にはきちんと罰を与えませんといけないわね」
恵理様は自分の自転車を昨日僕が自分の自転車を止めたところへと押していきカギをかけた。
「わたくしを後ろに乗せていきなさい」
「はい、わかりました」
僕の頭に拒否という選択肢は無い。
「あら、初見くん彼女と一緒に登校?」
間の悪いことに麻里ちゃんが隣の玄関から出てきた。麻里ちゃんが駆け寄ってくる。
「はじめまして。酒井麻里子といいます」
ニコニコしているが目はモノポリーで勝ち目がなくなったときに見せるのと同じ目だ。
「はじめまして坂口恵理と申します。本田くんとは同級生ですわ」
「へえ、初見くんって年増が好きなんだ」
おいおい。
「二年なんてあっという間よ」
「坂口さんは一生私より二つ年上ですけどね」
麻里ちゃん何が言いたいの」
僕は割って入る。
「あんた彼女いないっていってたじゃない」
僕に詰め寄ってくる。
「あの時は居なかったよ」
「この一ヶ月で彼女ができたんだ」
「わたくしたちは昨日から付き合い始めたんですの」
「秀ちゃん? あはは、あんた秀ちゃんって呼ばれてるの?」
「麻里ちゃんには関係ないだろ」
僕に先をこされたのがそんなに悔しいのか?
「彼女が彼氏をどう呼ぼうと部外者には関係ないんじゃないかしら」
「…………」
恵理様から厳しい一言が発せられると麻里ちゃんは黙ってしまった。
「痛っ!」 なぜか僕の右足のすねを蹴って向き直り走って去っていく。洋介にいは玄関から出てこない。
「恵理様、今日は補修でもあるんですか?」
「無いはずだけど、どうして」
「洋介にいは麻里ちゃんが泊まるときは一緒に駅まで送るんですけどね。 風邪でも引いたのかな?」「秀ちゃんは本田くんのことそう呼ぶんだ」
「おかしいですかね?」
「ううん、 おかしくないわよ。 仲がいいのね」
「洋介にいは僕のヒーローですから。かっこ良くて、頭が良くて、機転が利いて、スポーツ万能で、いつも憧れていました。 いや、いまでも憧れています。洋介にいがいなければ今頃自分がどうなっていたのかわかりません。 常に洋介にいというヒーローがいたから僕はこの高校に入ることができたんです! 僕は洋介にいのようにはなれません、だけど少しでも洋介にいに近づこうと頑張って受験勉強に励んだんです。 はっきり言って僕は授業についていけません馬鹿です。でも洋介にいがいたからいまの僕がいるんです」
僕は溜まっていた何かを吐き出すように熱く語った。
「そ、そう本田くんってすごいもんね」
恵理様は引いている?
「僕はですね誰よりも洋介にいの凄さを知っています」
戦隊ものの正体を知っている少年みたいに僕は自慢気にいう。沈んでいた気分が上昇してきた。
「恵理様、早く後ろに乗ってください」
「わかりましたわ」
僕は軽快にペダルを漕ぎ始めた。通学途中、痛いほど視線を浴びたが僕は気にならないほど気持ちが高ぶっていた。
昼休み
午前の授業中、非常にからだが重かった。上がったテンションに任せて恵理様を後ろに乗せてきたがその反動が来た。額を触ると熱っぽい、僕はからだが弱いので少しでも無理をするとすぐに熱がでる。 チャイムがなってもしばらく突っ伏していると
「初見くん、どうしたのよ。体調悪いの?」
と、声が聞こえる。
えっ! サユリちゃん? 顔を上げるとサユリちゃんが僕の顔をまじまじと見つめていた。
「サ、サユリちゃん!」
「何驚いてんのよ」
「珍しいことがあるもんだと」
「私のことどう思っているのよ。心配したくらいで驚いて」
計算高い人だと思っています。
「あんたは貴重な本田先輩とのパイプ役なんだからね」
そう言って仲の良い女子のグループに帰っていった。僕はいつもどおりのサユリちゃんで安心した。 さて、売店に買出しに行くか。
「秀ちゃん、 お弁当一緒に食べましょう」
んっ? 恵理様が当たり前のように教室に入ってきて僕のもとに来る。
「坂口先輩、秀ちゃんはやめてください。ふたりきりの時だけにしてください」
僕は恵理様に耳打ちをする。
「わたくしたちの関係ってどういう関係?」
クラスの端にいても聞こえる大きさの声でいう。
この場でこたえさせるつもりか。 もしかして恵理様はS?
今さら気づくが僕はクラス中に付き合っていることを宣言する勇気はありません。椅子から立ち上がり恵理様の手を引っ張って昼休みに開放される屋上まで来た。
「ハァ、ハァ……」
すっかり息が上がってしまったがダルさは取れている。運動は体に必要なんだななんて考える、とりあえず売店行かなきゃ。
「恵理様、僕は売店に買出しにいきます」
「行かなくていいですわ。わたくしあなたの彼女でしょ、弁当くらいつくってきておりますの」
恵理様は可愛いデザインの布袋から弁当箱を二つ取り出して青い弁当箱を僕に渡す。
「お口に合いますかどうか。食べてください」
僕と恵理様は適当に空いていたベンチに座り弁当箱を開いた。鮮やかな彩りのバランスの良い弁当だ。
「すごい」
素直な感想をいうと恵理様は嬉しそうに笑う。なんて綺麗な人なんだ! なぜ僕なんかと付き合うんだろうな?
僕は箸を持ち 「いただきます」
と、手を合わせプチトマトに箸を伸ばす。
「お待ちなさい」
恵理様の言葉に僕の箸は止まった。
「……ん?」
「あなたにはまた罰が必要ね!」
またこわい恵理様が光臨なされたようです。
「なんですか急に」
「どうしてわたくしたちの関係を公言できないのですか?」
「皆の前で言うことですか?」
「皆の前で言えないことなんですの?」
そのままカウンターを返された。サユリちゃんといい、あの麻里ちゃんといい僕の周りにはどうしておっかない女の子しかいないんだろう。洋介にいもあんなだし。
「そ、そんなことはございません」
「食べさせなさい」
「は?」
「わたくしに弁当を食べさせなさい」
「承知しました」
僕に拒否権は存在しない。
「あーん」 モグモグ……。
「どうぞ」
「あーん」
僕は赤い弁当箱を開き恵理様に弁当を食べさせてさし上げた。これはただの奴隷のような。 周りの人はこっちを見ている。恵理様は気にならないんだろうか? 恵理様が食べ終わると今度は恵理様が僕の口に弁当を運んでくれる。 その箸を使うと間接キスですが……僕は言えるわけもなく黙って食べる。
「美味しかったですか?」
恥ずかしくてそれどころではありませんでした。
「凄く美味しかったです」
機嫌が治ったようで微笑んでくださった。
「洋介にいは来てますか」
僕は朝から気になっていた事を訊く。
「いいえ、今日は休んでいるみたいよ。午前中は来てないわ」
「そうですか」
洋介にいが学校を休むのは僕の記憶にはない。携帯をかけてみるが留守電だ。僕のこと怒っているからでないだけかもしれないかれど。
「体調が悪いみたいです。電話にもでません」
「本田くんのことになると秀ちゃんは眼の色が変わるわね。ヒーローだからかな」
どうも恵理様は面白くなさそうだ。
「それは」
「でもね、もういいかげん本田くんから卒業したほうがいいんじゃないかしら。本田くんも受験生なんだし、秀ちゃんにはわたくしがいるでしょ」
「はい」
僕は洋介にいに依存しすぎてきたのかもしれない。洋介にいには受験が待っている。 精神的に僕は独立すべきかもしれないのは正論……でも好きだ。
僕は洋介にいのことが好き。
愛していると好きの狭間で僕はさまよっている。はっきりしてしまえばいいと言われればはっきりしているけど、いまの僕には選択する資格なんて無い。
「秀ちゃん、何考えているのかしら」
「いえ、決心を付けていました」
「何の決心かしら?」
「僕が恵理様を最愛の人とすることです」
僕は恵理様は機嫌を良くしてくれるとこう言ったのだが……。
「ねえ、じゃあいままで中途半端な気持ちでしたの?」
治りかけの機嫌をまた悪くしてしまった。
「秀ちゃん、好きな人いるのかしら」
言えない、洋介にいとは言えない。
「もしかして朝会ったあの娘をすきなの?」
麻里ちゃんのことか? 僕にとっては意外な人が出てきたがうまく立ち回れば渡りに船となりそうだ。 僕は神妙な面持ちを装いしばらく黙ってから頷いた。
「そうだったの……でもいいわ。いまはわたくしが好きなんでしょ」
「はい、愛してます」
「うんうん、いい子いい子」
ペットのように頭を撫でてくる。心の奥では笑っていないかもしれない。
「あの娘のことはいつから好きだったの?」
「初めてあった時からです」
鳥肌が立つ嘘をついてしまった。
「あの娘可愛いものね」
見た目はね。
「眼鏡をかけてますし」
「め、眼鏡!」
「お母様から伺いましたの。眼鏡をかけた娘が好きなんでしょ」
あの人が黙っているはずがないもんな、父さんもよくあんなのと結婚したよ。
「わたくし明日から眼鏡を掛けてこようかしら」
「恵理様はそんな事なさらずとも綺麗です」
「ありがとう」
これは事実。
「恵理様、もう昼休みも終わりですね。恵理様といると時間が経つのを忘れていまいます」
「ういヤツじゃのう」
抱きしめてくる。凄くいい匂いで柔らかい。
「恵理様僕は手洗いに行きますのでそれでは失礼します」
「バイバイ」
立って歩こうとすると恵理様は手を振る。
僕はトイレには行かず、もう一度携帯をかけた。
トゥルルルル……トゥルルルル……ガチャッ
洋介にいが二回のコールで出た。こんなにはやく出てくれるのは久しぶり。
「秀か……」
「洋介にい、今日はどうしたの」
「ちょっと熱が出しまってな、麻里を見送りに行けなかった」
「しょうがないよ」
邪険に扱われず僕は安堵した。
「洋介にいが休むなんて珍しいよね」
「実は高校に入って初めてだ」
「誰かにうつされたの」
麻里ちゃんは元気だったし……。
「わからない、昨日秀と電話した後、急に気分が悪くなってね」
じゃあ麻里ちゃんとは何もなかったんだ。
「まだ、熱があるの?」
「8度5分。さっき測ったらそうだった」
きついだろうな。僕はしょっちゅう熱発するからよくわかる。
「ねえ、今日お見舞いに行っていい」
僕は探る。洋介にいはまだ怒っているのかどうか。
「秀にうつさないかな、お前は体が弱いからな」
「洋介にいからなら喜んでうつしてもらうよ」
「……じゃあ来いよ」
「はい、ではまたあとで」
僕は電話を切る。洋介にいは怒っていない、熱があるから気力がないだけかもしれないがお見舞いにいってから判断しよう。
5時限目が終了し、最後は音楽の授業を残すのみとなった。 僕はサボるために保健室に行き熱を測った。自慢をするわけではないが(自慢にはならないけど)僕は平熱が7度2分ある。 測った体温計を保健室の坪井先生に見せる。
「たいして熱はないみたいね」
「朝から吐き気出して、授業が終わるとすぐにトイレで吐いてます」
「昨日、生物でも食べたのかな」
「さばのお刺身を食べました」
「下痢はするの」
「はい」
ここ数日で僕は平気で嘘を付く人間になったしまった。
「後一時間くらい我慢できないの?」
その言葉を聞いて僕は嘔吐の演技をし保健室の洗面所で吐くふりをした。何も出はしない。
「ずっと吐き続けで何も出なくなりました」
「そう、仕方が無いわね。帰っていいわよ」
坪井先生は仮病だと気づいているかも知れないけど早退を了承してくれた。
僕は先生に一筆書いてもらい、職員室の音楽の先生の机の上に置き帰っていった。帰りの途中にりんごを買う。 なんとなくお見舞いにはフルーツのイメージが強いのはテレビの見過ぎかな。僕は家につく5分前に洋介にいの携帯に電話を掛けた。
「もうすぐ着きます」
「はやいな6時限目はどうした?」
「早退しました」
「もうこんな事するなよ。成績に響くぞ」
「ごめん」
「俺に謝ることじゃない、それなら玄関のドアを開けておく」
家に着いた僕はドアを開け足早に二階に向かう。 ガチャッ 洋介にいはベッドに横になっていた。額には熱冷ましが貼ってある。 僕は洋介にいのベッド傍らに立ち熱冷ましを外して右手で熱を確かめてみると熱い。まだ熱は下がっていないみたい。
「全然良くならない」
目はつぶっているが起きている。僕はりんごと鞄を学習机に置く。
「熱はかろうか」
僕は体温計を取り、掛け布団をお腹まで折り曲げてパジャマのボタンを上から3つはだけさせ脇に挟む。
洋介にいの呼吸は荒く胸が膨らんだりへこんだりする。普段は白い肌がピンク色に染まっている。 ピピピピッ、ピピピピッ
熱は7度8分に下がっているが微熱の時が一番体がきつい、僕はパジャマのボタンを留めて掛け布団を洋介にいに掛け直す。
「洋介にい、なんか食べた?」
「トイレ以外起きあげれないから何も食べていないよ」
「それはまずいよ。無理してでも栄養を取らないと」
僕はチャンスが来たと思った。
「おかゆ作るね」
「お前作れるのか?」
「作れるよ」
「へえ、意外だな」
「出来るまで洋介にいは安静にしててよ」
僕は昔から料理が好きで母さんの手伝いをしているからおかゆぐらい朝飯前。
作りたてのおかゆを洋介にいの部屋の持っていくと洋介にいは上半身を起こしていた。
「寝てなきゃだめだよ」
「だいぶ体が軽くなったんだ」
「ぶり返したらだめじゃない。寝ててよ」
「おかゆ食えないじゃないか」 そうだな……。
僕は学習机の椅子をベッドの横に持って行きそれにお盆を置く。そしてフーフーして洋介にいの口に持っていく。
「あちっ」
「ごめん」
僕はもう一度フーフーして洋介にいの口に運ぶ。今度は冷めていて食べることができた。
「うまいな、塩加減抜群だな」
「うれしいよ」
洋介にいはすべて平らげた。僕は心のなかでガッツポーズをする。
「料理に関しては秀が上だな」
「今度はボルシチを作るよ」
「なんでボルシチなんだよ」
「腕を自慢するためだよ」
「なら、ハヤシライスにしてくれ。こないだ商店街にあった洋食屋が潰れてから食ってない」
「了解、食後のデザートはいる? りんご剥くよ」
朝だるかったのが嘘みたいに気分が優れる。
「剥かなくていい、そのままくれ」
りんごは渡すと洋介にいはタオルで表面を拭きりんごに齧りつく。CMみたいな爽やかさがある。 「お前も食うか?」
「食べる」
僕は机の上にあるりんごを取ると
「それおいとけよ」 と、洋介にいが言う。
「……?」
「横に来いよ」
洋介にいは自分の隣にスペースを作る。僕は誘われるままにそこに座る。
「口を開けてごらん」
そのとおりに口を開けると洋介にいが口を重ねてきて自分の咀嚼したりんごを口移しで僕の口に入れてくる。
「な……なにするの洋介にい」
僕は驚き慌てて口を離しりんごをゴミ箱に吐き出しティッシュで口を拭く。
「俺のこと嫌いなのか?」
「嫌いじゃないけど、 いきなりこんな事しないでよ!」
「俺は本気なのに」
「僕だって洋介にいのことは好きだけど、こんな事するのは洋介にいらしくないよ」
「すまん、 俺はいま焦ってる。 お前が坂口くんと付き合ってると聞いてから焦ってイライラしてしまうんだ」
僕はこの場に居づらくなり鞄を急いで手に取り自分の家へ帰った。