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告白と勘違い


先輩……どうして僕を呼んだの?

「初見くん、君はゲイをどう思うかね」

眼鏡を中指で直しながら本田先輩が訊いてきた。本田先輩は、いつもは僕を名前の秀一を略して秀と呼ぶ。

「ゲイ?」

「男色家だよ」

「えっと、男なのに男を好きな人のことですか?」

「そうだ」

「人を好きになるのに性別は関係ないとは思います」

なぜ本田先輩がこのようなことを僕に聞くのかわからない。

本田洋介。色白の長身で、黒髪の鋭い目をしたハンサムな顔は大人びた雰囲気を漂わせている。それでいて成績優秀、スポーツ万能。女性からもてるために生まれてきたような人だ。

僕が小学校三年生の時この街に引っ越して来て以来、隣のお兄さんとして何かと僕の面倒を見てくれた。中学も高校も同じでいつも一緒に自転車で通っている。 同級生の女子からはいつも先輩のことを紹介してくれと言われうんざりとするくらいだ。

だけど彼女がいない。なんでだろう。 僕のクラス一の美少女であるサユリちゃんですら本田先輩に憧れている。その気になればいつでも彼女くらい作れるのに。

「実はね、初見くん僕は昔から好きな人がいるんだよ」

「そうですか、その女性は幸せですね! 何たって本田先輩は憧れの的ですから」

「……うむ」

「それで告白はしたんですか?」

「それをいま迷っている」

「どうしてですか? 本田先輩を振る女の子なんていませんよ。僕が保証します」

「まあ、その、なんだ……なんで俺がお前を呼び出してゲイの話を持ち出したかということだ」

「それって、まさか」

 鈍い僕でも理解した。

「ああ、俺が好きな人というのは初見……お前なんだ!」

僕はどう答えればいいのかわからなかった。ただ心のなかでは本田先輩に憧れている全ての女子に対して優越感を持った。君たちがどんなに本田先輩に擦り寄っても気持ちは僕にあるのだよと。

「……正直いって困ります。なんといっていいのか、頭が真っ白です」

「そうだよな。初見くんゴメンな」

そう言って本田先輩は僕の頭を撫でた。

「いいえ。 頭の整理がつかないだけですから。それに僕は本田先輩が好きですから」

相手の受け取り方によってはまずい事を言ってしまった。

「そうか、 よかった。秀に嫌われたらどうしようかと思っていた」

本田先輩は安心したように普段の呼び方である『しゅう』に戻った。

「本田先輩、ひとつ聞いていいですか?」

「なんだ」

「僕で抜いたこと有りますか?」

いたずらっぽく聞いてみる。

「ノーコメントだ」  と冷静に取り乱すことなく答える。

「僕だって自分でしているのに、先輩はしないんですか? 僕が好きなら僕のことを想像してするでしょう?」

僕は饒舌に質問をする。ひょっとして僕も本田先輩のことを恋愛対象としてみていたのかもしれない……いま僕は浮かれている。

「調子にのるなよ」

 本田先輩は小突いてきた。

「すいません」 と僕もふざけた口調で返す。

「今日、久しぶりにうちに来ないか?」

「いいですけど優しくしてくださいよ」

「ばーか。俺がそんなに軽い男に見えるか」

「信じていいんですね」

「初見くん、なにをしてるの?」

サユリちゃんだ。どうしてここにきたんだ。

「本田先輩こんにちは」

僕に話す時とはテンションが違う。でもね無駄なんだよ。

「初見くん日直でしょっ! 先生が呼んでたわよ」

 サユリちゃん一人でやればいいのに。いつもは僕ばかり仕事させられている。 わざわざ本田先輩が僕を呼び出したのはクラスにいた人ならみんなが知っている。サユリちゃんとしても本田先輩と会話をするチャンスだと考えたのだろう。 先生のところに僕は行ったがサユリちゃんひとりで出来る仕事だった。 初見が職員室へ向かって本田とサユリはふたりきりになった。

「あの、本田先輩。初見くんとはどういう関係なんですか?」

 ブラウスのボタンを上から二つ外してある。計算づくだ。

「あいつが小3のときに隣に越してきてから弟みたいに付き合ってきた」

「本田先輩って面倒見がいいんですね」

「あいつは可愛いからね。ほら、天然なところがあるだろう。付いててやらないと心配でさ」

「でも、あいつ……いや初見くんももう高校生ですよいい加減しっかりしないと彼女もできませんよ」 「いやだからさ、そこが可愛いんだよ。子供っぽくてさ、負けず嫌いで……あいつはさこの高校に入れる頭じゃなかったんだよ。でもさ俺がからかったら一生懸命勉強してさ、同じ学校に入ってきた。中学の時もそうだった」

サユリは本田に告白をする機会を狙っているしかし初見の話ばかりで先に進まない。 始業5分前のチャイムが鳴ると、さっさと本田は教室へ帰っていった。

6時限目終了。一日の終わりにサッカーはきつすぎる。 僕は汗をビッショリかいてしまった。

「本田先輩のうちに行く前に風呂はいらないと臭うな。はてそういえば今日はすぐに帰るんだろうか?携帯かけてみるかな」

なんて考えているうちにホームルームは終了。今日も学校から解放された。

「ねえ、初見くん」

「なに?」

ドアの近くの席の倉持さんが声をかけてきた。

「坂口先輩が話しがあるって」

「ふーん」

 目をやると坂口先輩が立っていた。 長身で脚が長く制服が校内一似合うと言われている人だ。  髪型はショートカットで茶髪。綺麗な顔立ちをした女性で男子から絶大な人気がある。本田先輩の同級生だ。 僕はかばんを右手に持ち坂口先輩のところへ歩いた。

「僕に用ですか?」

「ええ、 でもちょっとここでは話せないことですわ」

そう言って坂口先輩は歩き始めた。 僕は大体想像は付いているけど黙ってついて行った。 階段を登っていき屋上へとつながる非常階段の踊り場で彼女は立ち止まってこっちへ振り返った。

「あの……好きでして」

 やっぱりそうですか、はいはい、また本田先輩への仲介ですね。

「そうですか」

「好きだと言ってるでしょ」

「はい」  

 どうしようかな、黙っとくかなどうせ答えはノーだし。

「聞いてるの? 好きだと言っているのよ」

「知ってますから」  

 本田先輩に伝えればいいんでしょ。

「なんですって!」  

 別に驚かなくてもいいのに。

「初見くんどうして知っていたの」

「半年もあったらわかりますよ」  

 半年も同じクラスにいれば誰だって本田先輩に好意をいだくよな。

「初見くん、君は随分と経験がありそうだね。余裕があるわ」

「10人くらいです」

 12人だったかな? おぼえてないや、話だけ聞いて本田先輩に言わなかったっこともあるし。

「10人! それは何年でですの?」

「中学校に入学してから今までです」

「今付き合っている人はいるの?」

「いません」

「そ、そう……身長差とかはどう思う」

 坂口先輩は僕より10センチくらい高いから本田先輩と並ぶちょうどよさそうだよな。

「いいです」

「いいですとは良いということでいいの?」

「はい」

「では返事を聞かせてくれない?」

「今ですか」

携帯を取り出そうとポケットに手を入れる。 あれ、入ってない。引き出しの中かな?

「あの、明日じゃないとだめですか?」

「明日で結構よ」

「もう、帰っていいですか?」

「いいわよ。明日を楽しみにしてるわね」

僕はさっさと向き直って階段を降りて行った。 教室の引き出しには携帯はなかった。おそらくは家に置き忘れてきたんだろう。 本田先輩の教室を覗くといなかった。先に帰ったんだろう。僕はいつもどおりに自転車で家路につく。

「ただいま、母さん」

「秀ちゃんおかえり」

「もういい加減、秀ちゃんと呼ぶのやめてよ」

「なによ子供のくせに」

「高校生だよ! 子供じゃない」

「未成年は子供よ。まあ、あっちの方は大人になりつつあるみたいだけどね」

母さんは含みのある笑みを浮かべた。  まさか! 僕は自分の部屋に駆けていくと机の上にはいかがわしい雑誌がきれいに積み上げられて置かれていた。                      「やられた」

すぐさまキッチンに戻る。

「母さん自分の部屋くらい自分で掃除するから入ってこないでよ」

「ねえ、秀ちゃんは眼鏡をかけた娘が好きなの?」

 しっかり目を通してやがる。

「……僕の好みなんてどうでもいいじゃないか」

「そうでもないわよ。お嫁さんとは仲良くしないといけないでしょ」

 この場面でいうセリフか?母は偉大なり。

「でも、変な雑誌は無かったから安心したわ。少年はそのまま育ちなさい」

「……」

「実はね、チョット来てごらん」

僕は母に促されて夫婦の寝室へ連れてこられた。母は父の書棚の中から外国語本のカバーを取り出した。 中身は雑誌のようだ。 母は雑誌を取り出す……ハードSM雑誌だった。母親にこんなモノ見せられては流石に引く。

「これどう思う?」

 勘弁して下さい母上様。

「パパがね、雑誌で満足しているうちはいいけど、もし母さんに要求してきたらどうしたら良い?」 「……息子に聞くなよ」

「あなたにも関係あるのよ。あのね、秀ちゃんが弟か妹がほしいなら母さんパパの新境地に付き合ってもいいかなって」

顔を赤らめ両手で頬を押さえる……どう見ても興味津々です。ありがとうございました。

「す、好きにすればいいよ」

僕は寝室を出て行く。早く本田先輩の家にいこう。 僕はシャワーを浴び服を着替え、そして本田先輩に電話を掛ける。

「もしもし、本田先輩。いまから行きます」

「玄関は開けておくから俺の部屋に来い」

「はい」

玄関を出て隣の家に行くと鍵は掛かっていない。

「お邪魔します」

鍵を閉めてから靴を脱ぎ2階の本田先輩の部屋に向かう。

 コンコン……

「入れよ」

「はい」

 本田先輩はベッドに俯せになり文庫本を読んでいて入ってきた僕を見る。

「風呂入ってきたのか?」

「サッカーで汗かいちゃいました」

「そうか、 でもドライヤーくらいかけないと風邪ひくぞ」

「だからかあ、どうりでいつも風呂上りくしゃみが出るわけだ」

「……今度から気をつけろ」

本田先輩は呆れたように言った。

「何読んでるんですか?」

僕は本田の隣に俯せになって聞く。

「ほれ」

本の表紙を見せてくれる。

「知らないだろう」

「うんっ!」

本田先輩は本を閉じメガネを掛ける。

「先輩の素顔を知っているのは僕だけですね」

「そうなるかな」

「やっぱり僕は特別なんだね」

「おまえってやつは……」

本田先輩は一度かけたメガネを再び外して僕の顔をまっすぐに見つめ抱くように肩に手を回してくる。昔はこうやってよく二人で寝たものだ。

「あっ、やっと思い出しました」

 僕はベッドを降り、本田先輩を見下ろすように立った。本田先輩は眼鏡を掛けベッドの上で胡座をかいて僕の方を見る。

「先輩、あのですね、坂口先輩が先輩を事を好きだそうです。返事は明日にしてもらいましたけどなんと言えばいいですか?」

「俺が好きなのは誰だ」

「……僕ですね」

「それなら結論はひとつのはずだ」

「……お断りですね。嫌だなあ、これで何回目になるのかな」

「その場で断ればよかったよ。これからはそうしろ」

「はーい。先輩、怒ってる?」

「いかにも。それと秀、俺のことを先輩と呼ぶのはやめないか」

「長幼の序というのもありますから」

「お前にしては難しい言葉だな。 昔のとおり『洋介にい』でいいよ」

「わかりました。これからはそうします」

 僕は洋介にいと指切りげんまんをして自分の家に帰っていった。

 翌日  いつも通り何もなく一日は終わった。帰ろ、帰ろ。  なんか忘れている気がする……なんだっけ? レポートは来週だし。

「初見くん。坂口先輩が来てるよ」

 昨日と同じく倉持さんが伝えてくれた。

「あっ」  

 返事しなきゃいけないんだった。面倒だなあ。 僕は体が重い。今まで断ってきて泣く娘などを見ているからだ。洋介にいが直接断ってくれればいいのに、いつも僕は嫌な役目だ。

 サユリちゃんは日直でも僕に仕事を押し付けるし……これは今は関係ないけど。

「こんにちは坂口先輩」

 僕は憂鬱ながらも出来うる限りの笑顔で言った。

「こんにちは初見くん」

 坂口先輩も笑顔で返してきた。

 こんなきれいな女性なのになあ、勿体無い。

「じゃあ行きましょ」

 坂口先輩は軽やかに歩き始めた後ろ姿を見る僕はやはり足が長いなあなどと考えていた。  昨日と同じ場所で昨日と同じように振り返った。

「返事を聞かせてくれない?」

 坂口先輩は首をかしげながら笑顔でいう。断りにくいよ。

「……」

 こればっかりは慣れることはない。

「……あの、泣かないでくださいね」

「その……先輩は彼女とかつくらないそうです。だから先輩が嫌いだとかそんなことはありません」 「えっ、先輩って誰?」

 坂口先輩は戸惑っている。なんでだろう?

「本田先輩ですよ」

「あなた何言ってるの?」

「ですから先輩は付き合うつもりはないということです」

「だからどうして本田くんの名前が出てくるのよ」

「それは、坂口先輩が本田先輩への告白の仲介を僕に頼んだからでしょ」 「私はあなたに好きだといったでしょ」

「はい」

「それならどうして本田くんがでてくるのよ」

「ですから……」

 あれっ、もしかして僕は勘違いをしている?

「私はあなたに告白したのよ」

 僕への告白だったのか! ど…………どうしよう。  いままで先輩の代わりに女の子の告白を断ってきたことはあるが自分が告白されたのは初めてだ。

「勘違いしてたのね。 まあいいわ」

「それで、あなたは私のことをどう想っているのかしら?」

「その、急に言われてもですね」

「私は一日待ったのよ。勘違いしたのはあなたでしょう。全てあなたが悪いのよ」

 きつい口調で言う。僕は女性に慣れていないしこんなきつい言い方をされたことはない。サユリちゃんと麻里ちゃん以外には。

「ご……ごめんないさい。先輩」

 取り敢えず謝ってみる。

「謝ってすむことかしら私は凄く傷付いたわ」

 事態を打開できないな、見通しが甘すぎた。

「あの、どうすればいいのでしょうか」

「私はあなたに何を求めてるの?」

「……告白にこたえることですか?」

「ええ、 そうよ。あなたは私を傷つけたことを考慮してちょうだい」

「……」

 断るなということだ。でも、僕には洋介にいがいる。

「時間をいただけませんか」

「ダメよっ! 一日待ったのよ」

 即座に坂口先輩に返される。非常に困った。

「今付き合っている人はいるの?いないの?」  

 尋問みたいだ。

「いません」

「私のことは嫌い?」

「嫌いじゃないです」

「好きな女の子はいるの?」

「……いません」

「それならなんで時間が必要なのかしら?」

「……」  洋介にいの事は言えない。

「はっきりしなさいよ。 男でしょ」

「すいません」

「謝ってもどうこうならないんじゃない。もしかして私を振るつもりなの? ひどいわ」

 坂口は両手で顔を覆いしゃがみこんだ。

「うっ…………ううっ……」

 泣き始めてしまった。僕は女の人を泣かせてしまったんだ。

「先輩、ごめんなさい」

 背中をさすりながら謝る。

「あなたがいけないのよ。あなたが……うっ…………」

 僕はどう手を打てばいいのか策が浮かばない。ただただ背中をさすり謝り続ける。

「ごめんなさい、ごめんなさい」

 誰かが来たらどうしよう。こんな所見られたら……ええいっ、もうどうにでもなれ。

「先輩、付き合いましょう」

 僕は破れかぶれで初見は坂口の告白を受け入れた。ある意味一生の思い出になる一言だ。

「あら、ありがとう」

 顔から両手を離しながら僕をみつめ坂口先輩は言った。目は赤くなっていないし、涙も出ていない。 「うそ泣き……」

 ぼくは思わずつぶやいた。

「そうよ」

坂口先輩は悪びれることなくあっさりと認める。僕は後悔の念が溢れてきた。

「あの、さっきのは無しで」

「何のこと?」

 坂口先輩、わざとらしいです。

「ですから……付き合うといったことです」

「君は私が泣いたから付き合うといったの?」

そうだけどそうだとは言えない。

「いいえ」

「あなたが断る理由はあるのかしら」

「……ないです」

「じゃあ付き合いましょう。 決定事項です」

 坂口先輩に押し切られてしまった。

「手を繋ぎましょ」

 坂口先輩は立ち上げりしゃがんでいる僕にいう。僕は諦めゆっくりと立ち上がり坂口先輩の右手を左手で軽く握りしめた。

「遠慮しなくていいのよ」

 坂口先輩は右手に力を込める。体格がいいだけあって結構な握力だ。客観的にはきれいでスタイルのよい女性から告白され付き合えるという羨ましい状況にしか思えないだろうが僕の心は重たく憂鬱だった。

「鞄を取りに行きましょ」

 そういえば坂口先輩は鞄を持っていない。

「鞄は教室に置いているんですか?」

「あたりまえでしょ。他にどこに置くのよ」

それはそうだけど、坂口先輩は洋介にいと同じクラスだし洋介にいは帰っているのかな?

「手を繋がなくても」

「私たちは付き合っているんだからこれくらい当然よ。 なんならそれ以上のことをする?」

 手をつないだまま教室へ向かう途中、すれ違うみんながこっちを見る。恥ずかしい……でも逃げられない。坂口先輩はしっかりと手を握っている。  手をつないだまま教室に入ると教室中の視線がこちらに注がれる。

「ねえ、恵理ちゃんその子誰?」

「私の彼氏よ」

「年下じゃない。えっちい」

「これから調教するわ」

 あっけらかんと言う。  僕は洋介にいの席を見るとまだ帰っていなかった。僕の方を一瞥するとまた机に向かいノートにシャープペンをはしらせていた。                        目はあったが洋介にいの心を読めなかったきっと怒っているだろう。

 坂口先輩は手をつないだまま洋介にいの席に近づいていく。運の悪いことに坂口先輩の席は洋介にいの隣だった。

「本田君、私と初見くんは今日から付き合うことになったから」

 洋介にいと僕が知り合いであることは知っているみたいだ。いつも一緒に登校しているから当然かな。

「そうか」  とだけ洋介にいはこたえる。

「洋介にい、今日は何時に下校するの?」

僕は洋介にいの機嫌を伺う為に訊いた。

「君に関係ないよ」

怒ってます。

 100%。

「さあ、 帰りましょう」

 鞄をとって坂口先輩は早々と教室を出て行く。手を握られている僕も当然いっしょに引っ張られて出て行く。

「洋介にい、 あとで電話するから」

 洋介にいの機嫌を取るように僕は出て行く寸前に言った。学校で洋介にいと呼んだのは初めてだったがそんなことを気にする余裕はなかった。

「初見くん、これからあなたのことは名前で呼びますからね。よろしいですか?」

「……わかりました」

「それでは秀一くん、これからは毎日いっしょに帰りましょうね」

「毎日ですか? 坂口先輩は自転車で通学しているんですか」

「いいえ、電車ですわ」

 僕は安心した。

「すいませんが僕は自転車通学なんでそれはできませんね。うちは電車には不便ですし」

「明日から迎えにいきますわ。もちろん自転車で」

「僕の家を知らないでしょう」

「これから行けばいいことですわ」

 なにやらどんどんマズイ方向に僕は引き摺られている気がする。

「坂口先輩、僕の靴箱はこちらですから」 

 僕は握っていた手を振りほどき1年生の靴箱へと向かう。このまま逃げてしまおう。  素早く靴に履き替えて学校の自転車置き場へと走る。

「今日の所はひとまず逃げておこう」

 何の解決にもならないけど時間をおけばいい案が得られるかもしない。本日の目標は逃げ。

 残念でした。坂口はすでに初見の自転車の前で待っていた。

「早かったわね。 息が上がっておりません?」

 すれ違うまもなくさっさと下校する計画は頓挫した。

「いえ、そんなことはないですよ。 坂口先輩は自転車ないんでしょ」

「あなたの家に伺うと申しましたはずですわ」

「もしかしてですね……」

「はい、あなたの自転車の後ろに乗せていただきますわ」

 うん、 逃げられません。

 僕は先輩を後ろに乗せ自転車を漕ぎ始めた。重いけどそうとは言えるわけもなく明日は筋肉痛だなあ、なんてことを考えながら家路へついた。

 いつもより10分は遅れて家に着いた。信号で停まってまた自転車をこぐときの負荷がきつい。こういう時は貧弱な体の自分が恨めしくもある。  家に着き僕は自転車を駐車スペースの右端に置く。母さんの車はない、買い物にでも行っているのかな。

「先輩、 ここがうちです」

「わかったわ。 でもうちからどうくればいいのかしら?」

「無理しなくてもいいですよ、学校で会えるんですし」

「朝迎えに来られるの嫌なの?」

「そ、そんなことないです」

「ねえ、二人の時の呼び方考えない? 秀一くんは普通すぎるから秀ちゃんでいいわよね」

「はい……」

 学校では苗字で呼んで欲しい。恥ずかしいし母さんと同じ呼び方だし。

「私はどうしよう? 私のフルネームは坂口恵理。 なんて呼びたい」

「なんてといわれても先輩ですし苗字で呼ぶのが自然だと」

「私たち付き合うんでしょっ!」

「はい!」

 背筋が思わず伸びる、坂口先輩なんか怖い。

「あなたが決めないなら私のいうことに従いなさい。 恵理と呼びなさい」

 いくらなんでも呼び捨てとはまずい。

「恵理さんでいいです」

「でも、普通すぎるわね。つまらないかな? うん、恵理様にしましょう」

 なんだかんだで全て自分で決めてしまったじゃないかとツッコミたいが遠慮しとく。無益な争いは好きではない。  二人の時ならなんとか言えそうな落とし所だし。なんか自分の感覚がずれてきているような気がするが、気のせいだ気のせい。

 ファーン……  

 クラクションの音がする。 反射的に目を向けると赤いセダンが駐車場の前で止まっていた。母さんの車だ。  僕と恵理様は駐車場からでる。車の中にいる母さんは恵理様の方を見てから会釈をしてバックで駐車場に車を入れた。ニコニコしながら後部座席から大きな買い物袋を取り出す。

「お母様、おひとつお持ちしますわ」

 恵理様はすぐに一袋を両手で持った。

「重たいですわ」

 僕の時と違い可愛らしい声で言う。

「秀ちゃんも持ってあげなさいよ」

 僕も一袋もたされた。それプラス10キロのお米つき。

 二人はさっさと家の中へと入っていった。母さんがどんな反応をするのか、間違いなくからかわれる。

 僕が家に入ろうとすると今度は自転車のベルが鳴った。これは音でわかる、洋介にいの自転車だ。 「洋介にい、おかえり」

「ああ、坂口くんがきているのか」

 僕は迷った。嘘をついて洋介にいの機嫌が少しでも治るようにするか、ホントのことをいうか。嘘をつこうとしても洋介にいは恵理様の姿を見ていてわざと訊いてきたのかもしれない。知っていて僕を試しているのなら嘘をついても許してくれるかな?

「秀ちゃんどうしたの?」

 玄関を開けて恵理様が出てきた。僕の迷いはすべて泡と消えた。洋介にいは相変わらずの無表情。 「坂口くん、こんばんは……には少し早いかな」

「本田くんこんばんは。もう暗いからいいんじゃない」

「……」

 僕はどんな顔をしてればいいんだ?

「本田くんの家はここから近いの?」

「隣だ」

「へえ、だからいつも一緒に通学してるのね」

「坂口くんはどこに住んでいたっけ」

「T町よ」

「ここから少し遠いね。たしか君は電車通学だったと聞いていた気がするがバスでここまで来たのか?」 「秀ちゃんの自転車の後ろに乗ってきたのよ」

「そうか、もう暗いから早く帰ったほうがいいと思うよ」

「私もそうしようと思ったんだけどお母様が夕食を誘ってくださったから、断りづらくて」

 母上様、何をなされるか。てか洋介にいの前でお母様と言わないでください。

「明日から私と秀ちゃん一緒に通学する事になったから」

「そうか、俺には関係ない話だ」

「一応ことわっておきたいのよ」

「そうか、好きにすればいい」

「そうさせて頂くわ、秀ちゃん家に入りましょう」

「……はい」

「本田くん、また明日」

「ああ」

 洋介にいは機嫌が悪いと『そうか』と『ああ』が増える癖がある。いまの機嫌はそういう事です。僕はへこみながら家の中へと入っていった。

「もう少し待っててね」

 母さんは上機嫌だ。

 僕と恵理様はリビングでテーブルを挟んで向い合って座っている。何を話していいか母さんがいることもありわからないので間を紛らわせるためにテレビをつけた。どのチャンネルをあわせてもニュースばかりでつまらない。

「ニュースしかないですわね」

 恵理様が言うのでそっちを向くとミニスカートなのに脚を組んでいる。白いものが見えているのは気のせいではない。僕は慌ててテレビのほうを見る。

「秀ちゃん、みえた?」

「何がですか?」

「白いものよ」

「何のことかわかりません」

「秀ちゃん、可愛い」

 キッチンに居る母さんに聞こえるか聞こえないかの大きさの声でいう。僕は気が気でない。

「お待たせ、ご飯できたわよ」

 僕と恵理様はテレビを消し食卓に行く。  食卓には二食だけ用意してあり、並べておいてある。母さんはその向かいに座り片肘をついてニヤニヤしている

。  僕は左に座ったが特に意味はない。

「いただきます」

「いただきますわ」

 ……肘があたった。僕は何も計算していたわけではないが箸を動かしていると恵理様の体に肘があたってしまうのだ。

「ごめんなさい」

「いいのよ」

 母さんは相変わらずニヤニヤしている。椅子を少し近づけていたんだな!

「ごちそうさまでした。美味しかったですわ」

 そう言って恵理様は食器を台所へ持って行き洗う。

「あらいいのよ」

「わたくし家事が好きですの」

 はいはい、ポイントアップ。

 僕はといえば食欲がわかずまだ三分の一残っている。恵理様は食器を洗い終わり戻ってきている。 「お口にあったかしら」

「お母様、凄く美味しかったですわ。習いに毎日伺いたいくらいですわ」

「お上手ね。 あなたがよければいつでもいらっしゃい」

「ほんとですの? うれいしいですわ」

「部活動は入ってないの?」

「家でバイオリンを習っております」

 この二人は気が会いそうで話が止まることなく続く。恵理様の適応力がすごいのか。

「ところでお名前を聞いてなかったわね」

「はい、坂口恵理と申します」

 恵理様は椅子から立ち上がり深々と頭を下げる。

「礼儀のしっかりした子ね。 躾がいいのねえ」

「その……父が会社を経営しておりまして幼い頃より厳しく躾られましたの」

「へえ、お父様はオーナーさんなの?うちなんて狭っくるしいでしょう」

「そんなことございませんわ。こんな素敵なお母様がいらっしゃって家族でお食事ができるんですもの。わたくしはいつも家では一人でご飯を食べておりますの」

「お忙しいのね。でも不況の今なら贅沢は言えないもんね。なんて会社なの? 言いたくないならいいけど」

「ES商事という会社です。わたくしは詳しくは存じませんが」

「えっ!」

「そこって」

 僕とは母さんは同時に声を上げる。父さんの務めている会社だ。

「そ……そう、ところで恵理さんはどうしてうちにいらしたの?」

 母さんは動揺している。まさかオーナーの娘が家に来るとは思いもしなかったのだろし、僕にとってもまさかだった。

「わたくしと秀一くんは付き合うことになりまして家を教えていただこうと思いましたの」

 母さんが僕の方を見る。 『よくやった』という目をしている、僕は食事をやっと終え食器を台所に下げる。食卓にはすぐに戻りたくないのでトイレに行くことにした。

「はあ、 なんて展開だよ、母さんのあの目は絶対に逃すなって目だよな。僕には洋介にいが居るのに」  もとはといえば僕の勘違いと優柔不断さの結果なのだから自業自得ではある。外を見ると真っ暗だ。 「坂口先輩、もう帰ったほうがいいのじゃないですか?」

 僕が言うと

「じゃあ、母さんが送って行くわ」

 と、母さんがこたえて母さんと恵理様は玄関を出て行った。『坂口先輩』といったとき恵理様が一瞬不機嫌になったような……次からは気を付けて名前で呼ばなきゃ。

 二人が玄関を出ていき車の発信する音が聞こえると僕は携帯で洋介にいに電話をかけた。       トゥルルルル……トゥルルルル……トゥルルルル……ガチャッ

「ただいま電話にでることができませんピーッという発信音の後に――」

 一度電話を切りもう一度かける。    

 トゥルルルル……トゥルルルル……トゥルルルル……ガチャッ

「ただいま電話にでることができませんピーッという発信音の後に――」

 最後にもう一度。

 トゥルルルル……トゥルルルル……トゥルルルル……ガチャッ

「ただいま電話にでることができませんピーッという発信音の後に――」

 本当に出られないのかわざと出ないのか、僕は久しぶりに洋介にいの家の固定電話にかけた。誰かがでれば洋介にいと変わってもらえる。

 トゥルルルル……ガチャ

 一度のコールですぐに出た。

「はい、本田です」

 おばさんの声にしては若いな……麻里ちゃんの声だ!

 酒井麻里子――洋介にいの従妹の女の子で僕とは同じ年だ。見た目はいいのだが性格がきつい。僕の天敵だ。

「もしもし、どなたですか?」

「初見です」

「なーに、何の用?」

 僕と話すときどうして不機嫌になるのか?一度問い詰めてやりたい。

「どうして居るの?」

「両親が旅行に行ってるのよ」

「何日くらいそこに泊まるの?」

「あんたに関係ないでしょ一週間よ」

 洋介にいと麻里ちゃんはあと6日同じ屋根の下で過ごすのか。洋介にいだってよろしくやってるじゃないか、僕は怒りの感情が沸き起こった。

「洋介にいはいるかな?」

「部屋にいるよ」

 わざと携帯を無視したんだ……もういいよ!

「洋にいと変わる?」

「いや、いい」

 僕は電話を切り自分の部屋に行き、洋介にいからもらった万年筆を力任せに真っ二つに折った。  そして風呂場に向かい熱いシャワー浴びる。15分ほどシャワーを浴びていると冷静さを取り戻してくる。従妹が泊まっているぐらいでなぜ僕は怒ってしまったのだろうか、洋介にいの気持ちは僕にあるからそんなに麻里ちゃんを警戒しなくても……でも、麻里ちゃんが洋介にいのことが好きで強引に迫ったら洋介にいだって男だから間違いを犯してしまうかも……いや、洋介にいを信じろ。  だけど洋介にいが僕のことを嫌いになっていたら。  あらゆることが想定されどれが正しいのかも知ることはできない。  僕は湯船には浸からずスポンジで洗った体をシャワーで流し、荒々しく髪を洗って風呂をでた。

 リビングには父さんがいた。

「おかえり」

「母さんは?」

「坂口先輩を送っていってる」

「誰だそれ」

「僕の彼女だよ」

 父さんはソファーから身を乗り出してうんうんと肯く。

「お前もそういう年頃になったか。美人なのか?」

「美人だよ。スタイルもいいし」

 僕はぶっきらぼうに言った

「付き合ってるんだろ。 お前、素っ気ないな」

「成り行きでそうなったから。父さん、母さんが期待しているみたいだよ」

「何のことだ?」

「隠している雑誌見つかってるよ」

「なにっ……あ、あれはだな、同僚に無理やり借りさせられたんだよ」

「中学生みたいないいわけだね」

 僕は自分のイライラを父さんにぶつけている。

「本当にその気はないの?」

「あるわけないだろ」

「僕は弟がほしいな」

「秀一、 お前今日おかしいぞ。刺があるな、恋の病にでも冒されたのか」

 今日のというか、恵理様と付き合うと決まった時から僕はおかしい。それは分かっている、よく自覚している、でもどうしたら自分がいつもの自分の戻れるかわからないんだ。            父さんに嫌味なことを言ったりしてほんとに嫌な人間だいまの僕は。

 ……キュキュッ  

 車のタイヤとアスファルトの擦れる音が聞こえた。母さんが戻ってきたようだ。

「母さん帰ってきたみたいだね。 僕はもう寝るからおやすみ父さん」

「おやすみ秀一、 やっとご飯にありつけるよ」

「今夜は母さんも食べさせられるんじゃない」

「この、生意気な」

 父さんはヘッドロックを仕掛けてきた。父さんは気分を損ねていないみたいでよかった。

「ギブギブ」

 僕はヘッドロックを解いてもらい自分の部屋に言った。

 母さんは父さんに恵理様のことをどういう風に説明するのだろう。僕はベッドに横になりそんなことを考えている。下からは笑い声が聞こえてきてそれがますます僕を悩ませる。             いつものネットサーフィンも今日はする気が起きない。電気を消して天井を眺めていると携帯の着信音が鳴る。洋介にいから勧められたアーティストの曲、ディスプレイには『洋介』の文字が表示してある。出ようか無視しようか、僕はベッドから起き上がり机においているサイコロを振った。  出た目は1……奇数が出れば電話に出ると決めていた。

「もしもし、洋介にい」

「俺に電話かけてたんだろ」

「知ってて無視したくせにっ!」

「なんで、秀が怒るんだ。裏切ったのはお前だろ」

「裏切ったって何?」

「お前は俺のこと好きだって言っただろ」

「言ったよ。だから何?」

「ならどうして坂口くんと付き合うんだ」

「勘違いしないでくれる。僕は確かに洋介にいが好きだよ。でもそれは愛しているとは違うんだ」 「……そうか、そうかわかったよ。お前とはもうなんとも無いから、好きにしろよ」

「洋介にいにいわれなくても好きにするよ。僕は普通に女が好きだし」

「俺だって男しか愛せないわけじゃない、例えば……麻里子なんて可愛いと思う」

「洋にい遊ぼう」

 電話越しに麻里子の声が聞こえてくる。

「ああ、ちょっと待ってな」  洋介にいがこたえる。

「聞こえただろう。そういうわけだ俺と麻里子がどうなろうと秀には関係ないしな」

「あたりまえだよ」

 いつもは優しい洋介にいが感情的になっている。僕が悪いのは自分でも自覚している、でも今日の僕は素直に謝れない。

「お邪魔しましたっ!」

 僕は電話を一方的に切った。それから自分の中で洋介にいに当てつけるように夕飯前に見た恵理様の白い下着と胸のふくらみを思い浮かべて自慰をした。興奮していた僕はあっと言う間に果てて虚しい時間が訪れる。

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