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SKYPIECE  作者: 御影のたぬき


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3/6

第3話 スカイラッシュ前夜

 シンカ・レイはレースの3日前にスカイピース外縁区画に来た。

 下見のためだ。

 コース拡張区間の確認はドローン映像でできる。データも十分にある。でも彼は必ず自分の目で見る。ドローンは風の感触を伝えない。データは死角を映さない。コースを走るのは自分の体で、体が感じることは体で確認するしかない。

 外縁区画は、スカイピースの中でも特殊なエリアだ。

 プラットフォームの縁。ここから先は空だ。眼下に広がるのはアンダートーク。配管と廃ビルと電線が複雑に絡み合う、薄暗い迷宮。スカイピースの住民はここを見ない。見る必要がないから。あるいは、見たくないから。

 シンカは柵の近くまで行って、真下を見た。

 遠くに、何かが動いた。

 人間だった。高速で移動する人間。フットスラスターを使っているが、出力が小さい。なのに速い。配管の上を走り、ビルの壁を蹴り、廃材を足場にして、複雑な立体空間を一切の迷いなく動いている。

 スラムランナーだ。

 シンカは目を細めた。

 速い。普通じゃない速さだ。あのスラスター出力で、あの速度は出ない。なのに出している。体の使い方が根本から違う。重力の使い方、慣性の逃がし方、反応の速さ。全部が、シンカが今まで見たどのランナーとも違う。

 人影はすぐに視界から消えた。

 シンカはしばらくその場所を見ていた。

 何か言いたいことがあるわけじゃない。ただ、印象に残った。

「シンカ選手、下見の方は終わりましたか」

 スポンサー企業のコーディネーターが背後から声をかけてきた。

 若い男で、いつも情報端末を片手に持っている。コーポレートのロゴが入ったジャケットを着ている。シンカと同年代だが、住んでいる世界が違う感じがする。

「終わった」

「新しいコース区間について、何か懸念点は」

「外縁区画のカーブ、風が複雑になる。プラットフォーム縁のエッジ効果で乱流が出る」

「対策は」

「進入角度を2度変える。自分でやる」

 コーディネーターが端末に何かを入力した。

「外縁区画は観客エリアにも近いです。今年は下層まで……アンダートークまで、コースの一部が視認できるということで、話題になっています」

 シンカは特に何も言わなかった。

「下層の人間には、今まで縁のなかった大会ですが」コーディネーターが続けた。「企業としては、新しい市場への……」

「下見は終わった」

 シンカはそれだけ言って歩き出した。コーディネーターの話には最後まで興味が持てなかった。企業の話はいつでも同じだ。市場、戦略、機会。シンカはレースをする。それだけだ。

 ただ。

 ふと、さっきの人影のことを思い出した。

 あの速さは、上でも通用する。スラスターがまともなら。

 スラスターがまともで、IDがあれば。

 シンカはその考えを打ち切った。意味のないことを考えても時間の無駄だ。レースまで72時間を切った。集中することがある。

 ジールはその夜、コース確認書を受け取った。

 スラムレースのコースだ。マーカスから3日前に出す、と言っていた通りの時間に届いた。手書きの地図で、第1層の外縁近くを大きく使うルートが引かれている。

「ここ、外縁区画のすぐ下じゃないか」ジールはピカトに言った。

「そう。マーカスはわかってやってる。スカイラッシュが上を通る時間と、スラムレースの時間を合わせる気だよ。盛り上がるから」

 それは確かに盛り上がる。アンダートークの住民が下からスカイラッシュを見上げながら、同時に自分たちのレースを見る。2つの世界が、1つの空間の中に並ぶ。

「難しいコースか」

「下見してくれば」

「この後行く」

「私も行く」

 ピカトが立ち上がった。珍しい。ピカトが自分からコース下見についてくることはほとんどない。

「なんで」

「あなたが一人で行ったら、どこかの配管の上でぼーっと上を見上げてるのが目に見える」

「見上げない」

「絶対見上げる」

 ジールは何も言えなかった。ピカトはたいてい正しい。

 夜のアンダートークを2人で歩いた。

 ジールが前を歩き、ピカトがついてくる。ピカトはスラスターを持っていない。必要ないからだ。ジールのいるところにはジールがいる、という単純な計算をしている。何かあれば、ジールがどうにかする。

「第1ターン、ここを左折か」

 ジールが地図と現場を照合した。廃ビルの角を曲がって、配管の下をくぐる区間だ。

「配管の高さ、1.7メートルか。腰を落とす必要がある」

「スラスターで浮けばクリアできる」

「燃料がもったいない」

「あなたはケチ」

「節約家だ」

 ピカトがふんと言った。

 コースを一通り確認して、外縁近くの開けた場所に出た。プラットフォームの真下。ここから仰ぎ見ると、プラットフォームの縁が見える。

 来週ここを、シンカたちが飛ぶ。

 ジールはやっぱり上を見た。

「見てる」

 ピカトが呆れたように言った。

「仕方ないだろ」

「仕方ないとは思う。でも——」

 ピカトが珍しく言葉を止めた。何かを選んでいる感じがした。

「シンカ・レイって知ってる?」

 知っている。スカイピースの現トップレーサーだ。19か20歳で、企業スポンサー付きで、軍用レベルのスラスターを使う。スラムでも名前は知られている。

「スカイラッシュで3年連続優勝してる」

「そう。あの人、今日、外縁区画にいた」

 ジールは振り向いた。

「なんで知ってる」

「マーケットで聞いた。外縁区画の警備員が話してた」

「下見か」

「たぶん。それで——」ピカトがジールをまっすぐ見た。「あの人、外縁から下を見てたって」

 沈黙があった。

「あなたが走ってた時間と重なる」

 ジールは理解した。ピカトが何を言いたいのかを。

「見られた、かもしれない」

「かもしれない。確認できない。でも——もし見られてたなら、あの人は気づく。あなたの動きがおかしいって」

 気づく。

 シンカ・レイが。

 それが何を意味するのか、ジールにはよくわからなかった。良いことなのか、悪いことなのか。どちらにせよ、今の自分には関係ない。IDを持たない下層の人間が、上の世界のトップレーサーに気づかれたとして、それが何かに繋がることはない。

「関係ない話だ」

「そうだといいね」

 ピカトの声に、珍しく感情が混じっていた。心配、だ。

「本当に関係ない」

「うん」

 2人は工房に帰った。

 ジールは眠れなかった。別に理由はない、と自分に言い聞かせた。ただ眠れなかっただけだ。

 スカイラッシュ前日。

 アンダートークは普段より賑やかだった。

 外縁区画に近い第1層には、人が増えていた。明日のレースを下から見ようという人間と、マーカスのスラムレースを見ようという人間と、単純に祭りの空気を楽しもうという人間。ドリンクを売る屋台が出て、違法改造のモニターを設置して上層のレース中継を流そうとしている業者もいる。

「アンダートークがこれだけ盛り上がるの、久しぶりだな」

 ジールはマーカスに言った。前日確認のために第3層に来ていた。

「10年前のスカイラッシュの時もこうだった」マーカスが言った。「あの時はコースが遠くて何も見えなかったけど。今回は見える。外縁通るから」

「見えることで、何か変わるか」

 マーカスは少し考えた。

「変わるかどうかはわからない。でも見えることが大事なんだよ。見えないものへの憧れと、見えるものへの羨ましさは違う。見えた方が、感情が大きくなる」

 感情が大きくなる。

 ジールはそれを頭の中で転がした。

「感情が大きくなって、どうなる」

「さあ。爆発するか、諦めるか、燃えるか。人によって違う」

「マーカスはどうだった」

「俺は——」マーカスが義眼の方を、軽く触った。「燃えた。役に立たなかったけどな」

 それ以上は言わなかった。

 ジールも聞かなかった。

 夜、ピカトがスラスターの最終チェックをしていた。

 作業台の前に座って、細かい部品を1つずつ確認していく。ジールは横に座って、それを見ていた。ピカトの手の動きは迷いがない。設計した本人だから当然だが、その確かさを見ていると落ち着く。

「調子は」

「問題ない。ただ——」ピカトが手を止めた。「左スラスターのジャイロ、わずかに偏差が出てる」

「影響は」

「高速旋回の時、0.3度ずれる。レースには影響ない。でも、高出力時には」

「高出力って、オーバードライブの話か」

「そう。オーバードライブを使うなら、今日中に直す必要がある」

 ピカトがジールを見た。

「使わないんでしょ」

「使わない」

「なら関係ない。明日のスラムレースには、今の状態で十分」

 ピカトは作業を再開した。

 ジールはじっとピカトの手を見ていた。

「なあ、ピカト」

「なに」

「お前はなんで、オーバードライブを作った」

 間があった。

 ピカトは手を止めずに言った。

「使わないために作ったわけじゃない」

「じゃあ」

「いつか使える日が来るかもしれない、と思ったから。あなたの体が、それを必要とする日が来るかもしれないと思ったから」

 ジールは黙った。

「今じゃない」ピカトが続けた。「明日でもない。でも、ゼロじゃないから作った」

 作業が続く。ツールが小さな音を立てる。コンテナの外で、誰かが笑っている声が聞こえる。

「ありがとう」とジールは言った。

「礼はいらない」とピカトは言った。「勝って来て。3ヶ月分の生活費」

 ジールは笑った。

 それで十分だった。

 スカイラッシュ当日の朝が来た。

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